第十八話 裏 その声が導く先は 後
固唾を飲んでボイスレコーダーに耳を傾けていたコハクもまた、その再生が終わっても床の一点を見つめたまま動けずにいるようだった。
ただ、尻尾だけが何かを考えるように宙に円を描いている。
「……これを聴いて分かった。異端者たちは俺が思っていた以上に危険で、しかも組織的に動いてる。だから……コハクはここで――」
「それ以上言ったら、怒るよ」
その声に怒気は欠片も無く、ただ景真の言葉を静かに遮った。
景真を見つめる瞳に揺れる焔が強く、大きくなり、それに呑まれるような錯覚に呼吸が詰まる。
「……コハクを、危険な目に合わせたくないんだ」
それは本心からの言葉だった。
自分ではコハクを守れない。
己の身すらも。
廃坑で襲撃者と命懸けで戦うウェスペルを、景真は見ていることしかできなかった。
二人がかりで戦えば、あるいはウェスペルが負傷することも無かったかもしれない。
だけど、景真は戦うことはおろか握りしめた短剣を抜くことすらできなかったのだ。
力も、勇気も――覚悟すらも足りていなかった。
「それは、私も一緒だよ」
コハクの温かな両手が、硬く握りしめた拳を包み込む。
「だけど……ううん、だからこそ私たちは一緒に行くべき。だって……」
その目がそっと逸らされる。
「もしここでケーマと別れても……心配で何も手につかないよ」
それは言わば、景真が初めて聞くコハクのわがままだった。
景真の身が心配だから共に行くのではない。
何もわからずただ心配し続けるのは嫌だ。だから一緒にいたいのだ、と。
確かに、仮にここでコハクと別れたとしてその身は安全だと、何も無かったかのように元の生活に戻れているなどと信じられるだろうか。
互いに身を案じ続けるくらいなら、一緒にいた方が遥かにマシだと思えた。
「……そうだな。それはきっと俺も同じだ。――じゃあ、ここから先はもっと、安全第一で進もう。そのためにコハクの未来視を頼るかもしれない」
「うん。任せて」
その迷いのない声に、目の前の霧が晴れていくようだった。
何度目だろうか。
道すら見えない暗闇を、彼女が照らしてくれたのは。
「コハクは奴らの言う”聖地”ってのがどこのことか分かるか?」
「……たぶん、”真理の方舟”だと思う」
「”真理の方舟”?」
「大昔、女神様がネビュラに乗って来たと言われる方舟。公都の南に残ってて創世教と救世教で何千年も奪い合ってたけど、ここ千年くらいは救世教の本拠地になってるって」
その方舟とやらが遺跡として残っているのなら、やはりネビュラの創世神話はただの作り話などではあり得ない。
「女神は……今でもそこにいるのか?」
エクトルはかつて女神は実在すると断言した。
そしてミラは女神を殺せと景真に指示した。
さらに、その女神が生み出したとされる”奇跡の根源”たるアニマの存在は、この身をもって味わっている。
このネビュラにおいて、神は偶像などではない。
実体があるならば明確な所在も存在するはずだ。
「二千年ほど前に聖都に移られたってことになってるけど……本当のところはわからない」
聖都オルフェイム。
以前コハクから聞いたネビュラの主要都市の一つだ。
確か、ネビュラ創世教の総本山がある都市だったはずだ。
「じゃあ予定通り公都へ向かい、そこから”真理の方舟”を目指すことになる、か」
きっと、長い旅になるだろう。
だが、当て所ない旅ではなくなった。
「ケーマ……」
先ほどまで一寸の迷いも見せなかったコハクの声が揺れる。
「女神様を……殺すの?」
ハッとなり、自分の左手を見つめる。
「……わからない。ミラがなぜ女神を殺せと言ったのか。あれからこいつは黙ったままだ。……でももし、そうしないと先輩を救い出せないのなら……」
コハクの顔に影が差す。
彼女にとっては紛れもなくこの世界を創り出し、四百年以上もの間信仰してきた神なのだ。
それを殺すなど、到底受け入れられる話ではないだろう。
しかし、コハクはそれを否定はせず、ただ静かに頷いた。
内ポケットのスマートフォンが振動する。
一瞬空穴を警戒したが、画面を見ると21時に時報として設定したアラームが鳴っただけだった。
スマートフォンの存在と同時に、巨大空穴が開いた時に大量の通知が届いていたことを思い出す。
ロックを解除し、通知に目を滑らせるとその中に遼からのメールを見つけた。
『情報共有』と簡素なタイトルが付けられたメールを開くと、そこには遼が掴んだ情報のいくつかが簡潔にまとめられていた。
遼が向かった苔守村という寒村。
そこで出会ったというネビュラからの迷い人の名が記されていた。
「ヒスイ……?」
それは以前聞いた、コハクの母の名と一致していた。




