第十八話 裏 その声が導く先は 前
豪奢な宿の一室で、音声データの再生が終わっても景真はしばらく動けずにいた。
これは春華がこの世界にいるという確たる証拠だ。
そして同時に、簡単には取り戻せない場所にいるという事実を突きつけてもいた。
教団は、いや教祖である御堂コトネはやはり最初から春華を意図的に招き入れていた。
「”鍵”ってのはなんのことだ……?」
その目的を連中は”鍵”と呼んでいた。
そしてそれを今は遼が持っている、とも。
一方で、鍵とやらは持たずとも春華は重要人物として扱われているらしいことが伝わった。
ひとまず、すぐに生命を奪われる心配は無さそうだということは景真にとって好材料と言えた。
「聖女の息女……なんで先輩のお袋さんが聖女なんだ?」
そう言えば、春華から母親にまつわる話を聞いたことがない。
精神科医の父親や、刑事をしている弟については聞いていたが、母親に関しては、いる、いないという話すら春華はしなかった。
それは何か、踏み込んではならない一線のように思えて景真は深く考えなかった。
「次に通話が繋がったら遼に聞いてみるか」
それは遼にとっても同様に踏み込まれたくない話である可能性は高い。
それでも、春華を救う手掛かりになるとなればそうも言ってはいられないし、遼も情報を提供してくれるだろう。
御堂コトネと対峙し、恐らくは意識を失うその直前に春華は遼と景真の名を呼んだ。
その瞬間、どこか茫漠とした感覚のまま音声を聞いていた景真は、背中に赤熱した芯を打ち込まれたように感じた。
春華は自分たちを信じてこのボイスレコーダーを残してくれた。
そしてきっと、無事に助けを待っている。
握る拳に力が入る。
トントンと軽くドアが叩かれる。
景真は腰掛けていたベッドから立ち上がりドアへと向かう。
半刻ほど前、ボイスレコーダーを握りしめて深刻な顔で固まる景真にコハクは「お風呂入ってくるね」と言い残して部屋を出ていった。
そのコハクが、まるで景真が音声を聴き終えるのを待っていたかのように部屋に戻ってきた。
開錠してドアを開くとその隙間から小柄な体がするりと部屋へと入ってくる。
「ただいま」
景真を見上げるように立つコハクから昇る石鹸の匂いが鼻をくすぐる。
「おかえり。風呂はどうだった?」
「うーん……大きくて綺麗だったけど、やっぱり私はゴンドの温泉が好きかな。でもさっぱりした」
そう言ってまだ湿って細くなった尻尾を撫でる。
「そっか。俺も後で入ろう」
「うん」
コハクがベッドに腰掛け、立ったままでいる景真をじっと見る。
ただ静かに、景真の言葉を待つように。
その視線に、意を決する。
「……コハクが廃坑で見つけてくれたこの黒い道具だけど、これはオービスの、音を記録する機械だ。先輩……俺が探している人があそこに遺していった物だった」
「音を記録……聴けたの?」
スマートフォンと同様、ボイスレコーダーもフル充電が維持されていた。
原理は未だ不明だが、景真はこれをアニマの働きによるものではないかと推測している。
「ああ。殆どが日本語……俺の国の言葉だったけど、ネビュラに来てからのものもあった。それを……」
まだ迷いがあった。
これを聴かせるということは、コハクを引き返せないところまで引き摺り込むことに等しい。
彼女には教団に追われる理由も、敵対しなければならない理由も無い。
後者に関しては故郷であるゴンドが奴らによって脅かされているという懸念はあるものの、だからと言ってコハク個人が矢面に立って戦うのは不可能だしその必要もない。
ましてや、コハクと春華は見ず知らずの他人で、文字通り住んでいる世界すら違うのだ。
そのコハクに四百年間紡いできた日常を捨てさせて、生命すら危険に晒すかもしれない。
異端者に襲われたあの夜から、ずっと胸につかえてきた不安。
春華の遺した音声は教団の危険性を明白にし、不安の輪郭を浮き彫りにした。
それでもコハクはその透き通る橙色の瞳に赤い焔を灯し、真っ直ぐに景真を見ている。
景真の言葉を待っている。
だから、それを罪と知りながら、
もう取り返しがつかぬと分かりながら、喉につかえていた言葉を吐き出した。
「――コハクにも聴いてほしい」
「わかった」
コハクはなんの迷いも無いかのように即答する。
そして、彼女がそうするだろうこともわかっていた。
だからこそ、胸の奥がズキリと痛む。
ちょいちょいと自分の隣を示すコハクに呼ばれるままその隣に座り、ボイスレコーダーに残された最後の記録を――再生した。




