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断章1 失郷


 「それじゃあいってきます!」

 少女が胸に藤を編んだ大きな籠を抱き声を弾ませると室内が一段明るく、暖かくなる。

 夕食の下ごしらえをしていた母がその手を止める。

「陽が高い内に帰るのよ」

「うん!」

 元気よく頷くと少女の雪原を思わせる銀髪が、屋内に差し込む朝日を浴びてキラキラと揺れる。

「リベルテ、最近は“空穴”(くうけつ)の発生が増えているみたいだからくれぐれも気をつけるんだよ」

 作業部屋で椅子を作っていた父も見送りに来て、リベルテと呼ばれた少女の頭を撫でる。

「もうお父さん、木屑が付いちゃうよ」

「お、ごめんごめん」

 笑いながら作業着で手を拭う父を横目にポンポンと頭を払う。


 家の外に出たリベルテを両親が玄関先まで見送りに来る。

「リベルテに、アニマの加護があらんことを」

 二人の祈りを受け、大きく手を振るとリベルテは軽い足取りで村外れの森へと向かった。


 森への道すがら、背後から声をかけられた。

「やあリベルテ、今日も森で採集か?」

 隣家のルカスだ。

 リベルテより少しだけ年上の男の子で兄妹のように育ち、物心ついた頃から一緒に遊ぶ仲だった。

「うん。いっぱい採れたらお裾分けするね。ルカスはお魚釣り?」

「うん。こっちもたくさん釣って分けてあげるよ」

 腰に魚籠(びく)を提げ、手に持った釣り竿を掲げて見せる。

「わあ、楽しみ! お母さんにフィッシュパイを焼いてもらうね!」

「そりゃ楽しみだ。おばさんの焼くパイは村一番だからな」

 肩を並べて歩いていた二人は、森と川へ向かう三叉路で手を振って別れた。

 

 一年ほど前から薬草や木の実、キノコの採集を任されるようになり、今では日課になった。

 少し大人になったようで嬉しかったし、何より両親の役に立てる事が誇らしかった。

 

 風に揺れる木の葉の音と時折聞こえてくる小鳥の囀りだけが心地よく耳をくすぐり、木漏れ日が頬を撫でる。

 この森には普段人を襲うような獣はおらず、父から教わったルートを巡回するように回ればさほど危険はない。

 

 唯一気をつけるべきは“空穴”(くうけつ)だ。

 空や、あるいは地面などあらゆる所に忽然と現れ近くのものを吸い込んでどこかへと送ってしまう。ひとたび空穴に飲み込まれれば二度と戻っては来られない。

 飛ばされる先は地獄だとも魔界だとも、あるいは未来だとも過去だとも言われる。

 嫌な想像が背筋を震わせ、身を引き締める。

 仕事をこなそう。

 まずはこの先に群生しているシロテンシダケからだ。


 籠いっぱいに戦利品を詰め込み、一人得意げに微笑む。

 これだけあればお隣さんにお裾分けもできるだろう。ルカスは喜んでくれるだろうか?

 でも、採集に夢中で少し陽が傾いてきてしまった。

 両親は心配しているだろうか。それとも怒っているだろうか。

 母との約束を破ってしまった罪悪感が、家を目指す足を僅かに速める。


 夕陽を背に歩き、村を見下ろす丘の上まであと少しの所で異変に気づいた。

 村の方向から黒々とした煙が立ち昇っている。

「火事!?」

 突き動かされるように丘を駆け登った。


 ――村が、炎に呑まれていた。


 反射的に籠を足下に放り駆け出そうとしたその時、

「リベルテ!!」

 背後から手首を掴まれる。

 振り返るまでもない。ルカスの声だ。

 聞き慣れたはずのそれは、聞いた事がない必死さで上ずっていた。

「ルカス、村が……燃えて! おと……お母さ……!!」

 振り返り、ルカスの顔を見た途端、胸から込み上げるもので声が詰まり言葉が出てこない。

「リベルテ、落ち着いて。何が起きてるのか分からない。火の手が無いところからこっそり村に入ってみんなを探そう」

 リベルテの肩を掴む手は震えていたが、その声はとても力強く響いた。

 こくりと頷き、二人は身を屈めるようにして丘を下る。


 村に近づくにつれ、その惨状がはっきりと目に飛び込んでくる。

 三分の一くらいの家は全焼し、なおも炎が残った家を飲み込まんと真っ赤な腕を広げている。

 

「ルカスと……リベルテ……無事だったか」

 村の入り口に大男が倒れていた。

 村唯一の鍛治師である彼は村一番の力自慢でもあった。

 正義感が強く、村内で揉め事があればいの一番に駆けつけて仲裁してくれていた。

「中は……危険だ――”邪教徒”どもが……森へ、隠れろ……」

 ゆらめく炎に照らされたその巨体は、いつも溢れんばかりだった活力を失い自らの血溜まりの中ぐったりと横たわっている。

 その姿に、一度は引っ込んでいた涙が再び溢れる。

「おじさん、薬草たくさん採ってきたから。すぐに持ってくるから……!」

 必死に言い募るリベルテのあたまをゴツゴツとした大きな手が撫でる。

「優しい子だ――。俺は大丈夫だから、お前たちは逃げるんだ――」

 髭面を歪ませるようにして笑顔を作る。

「でも……!」

 なおも諦めきれないリベルテの頭にあった手は、その力を失いずるりと地面へ落ちる。

 

 ――パチパチと、炎のはぜる音だけが残る。

「……行こう、リベルテ」

 ルカスに手を引かれ、静かに横たわる鍛治師の方を振り返りながら村の中へ歩を進めた。


 家々の隙間を縫い、物陰に潜みながら辿り着いた村の広場で見たものは異様な景色だった。

 捕えられた村人たちが縄に繋がれ一列に座らされている。

 その中にはリベルテの母の姿もあった。

「お父さんは……?」

 姿の見えない父を思い、頭に浮かぶ最悪の事態を振り払う。

 

 二十人ほどだろうか。黒づくめの男たちが腰に剣を提げ、その中心には――


 月明かりを編み上げて造られたかのような純白のローブを身に纏い、星空を垂らしたが如き漆黒の黒髪。

 この世のものならざる美しさでその女は佇んでいた。

 その美貌には、柔らかな笑みが湛えられている。


「アリエス様。これで全員です」

 男の一人が言う。

「……子供が二人、監視者の報告より少ないようですね」

 一点の濁りもない氷を思わせる声だった。

 カツン、と手に持った錫杖が地面を叩き、取り付けられたベルがチリンと鳴る。その杖と所作はどこか羊飼いのそれを思わせた。

「間違っていたのはあなた? それとも監視者ですか?」

 たおやかなその声はしかし、刃のような鋭さだった。

 顔を伏せたままの男の額に冷や汗が滲む。

 カツン、チリン。

 再び杖が鳴ったその刹那、男の足元から炎が上がった。

「アリエス様!? なぜ……やめ……うわあぁああ!!」

 炎は瞬く間に男の全身とその断末魔をも飲み込み、人の形をした炭だけをその場に残して消えた。

「――ッ」

 物陰から息を呑んでその光景を見守っていた二人だが、受け入れがたいそれにリベルテが僅かに後ずさったその時――


 アリエスと呼ばれた女と目が合う。

 大きな、底の知れない瞳がこちらを見つめている。

 その目が、ゆっくりと細められ、

 

「やっぱり――いるじゃないですか、()()が」


 悍ましいまでに上品な笑みだった。

 天使というものが実在するならきっと、こんな風に微笑むのだろう。

 その笑みの前にリベルテは蛇に睨まれた蛙の如く硬直――しかけた所をルカスに手を引かれ我に帰る。

「逃げるぞッ!」

 その声で身を翻し走り出すその直前、縄に繋がれた母と目が合う。

 

 その目は祈りに満ちていた。

 ただ、リベルテの幸福だけを祈っていた。

 もはや、この”望郷の里”での日々は戻らない。

 もう自分も、夫もあの子の傍にはいてやれない。抱きしめてやれない。

 まだほんの9歳の子供だというのに両親も、故郷も失うのだ。

 

 それでもどうか、優しいあの子がこの世界に絶望しないように――

 

 アリエスが逃げるリベルテたちの方に無言で錫杖を向けると、広場にいた黒づくめたちの半数がその後を追う。


 二人はただただ必死に走った。

 村を出て、丘を登り、森を目指す。

 森の中で息を潜めれば、夜闇の中で見つける事はきっと困難だろう。

 だが――


「くっ……そ、はなせッ!」

 所詮は子供。

 速さも体力も、追手の方が遥かに上だった。

 無慈悲にも丘を登る途中で追いつかれ、なす術なく捕まると村へと連れ戻された。


「男の子と女の子が一人ずつ、報告通りですね」

 アリエスが満足そうに言う。

「……女神ORPHENA(オルフェナ)も満足される事でしょう」

 聖母の如き笑顔が二人の背筋を凍らせ、そして――ルカスに決心をさせた。

 

「いッつ!! このガキッ!!」

 自分を捕らえていた男の手に力一杯噛み付く。口の中に血の味が広がった。

 その痛みに緩んだ手から素早く抜け出すと、男の腰から剣を抜き腰だめに構えるとリベルテを抱えていた方の男に向けて突進した。

 両手が塞がっていた男は咄嗟の事態に反応も遅れ、無抵抗に脇腹を貫かれる。

「ぐァアアアッ!!」

 唸り声をあげ男が倒れ、リベルテは土の上に放り出される。

「逃げろリベルテッ! 早くッ!」

 返り血に顔を染めたルカスが必死に叫ぶ。

 リベルテは地面に落ちた衝撃で朦朧としながらもなんとか立ち上がる。

 

 目をやるとルカスは既に剣を抜いた男たちに囲まれていた。

 リベルテを庇うように立ち必死に剣を向け、男たちを睨みつけている。

 リベルテは反転し、走り出す。

「皆さん、くれぐれも無傷で捕らえて下さいね」

 その背後からアリエスの声が冷たく響く。

「子供は宝ですから」


 その時――夜空が裂けた。


 無数の星を湛えていた宵闇のカーテンが声なき悲鳴を上げ、裂け目がリベルテの体を空に吸い上げる。

 

 ――いや、()()()()()


「あらあら。……これは偶然でしょうか、それとも必然? あるいは女神の導きかしら?」

 天に昇る少女を見上げ、紅潮した頬に手を当てうっとりと呟く。

 

 なす術なく闇へと飲み込まれるリベルテが最後に見た景色は、必死に剣を掲げながらこちらを見上げて名を呼ぶルカスの姿。


 そして、

()()()()()()()()


 妖艶な笑みを浮かべ、声こそ届かなかったが確かにそう囁くアリエス(てんし)の姿だった。

 

 空に堕ちていく。


 光も、音も、痛みも、悲しみも――記憶すらも、置き去りにして。

 


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