第十七話 表 神なき村
真っ暗な坑道を抜け出し見上げた空には、無数の星が輝いていた。
――あの光の一つ一つがこの小さな地球に悪意と敵意を向けている。
そんな妄想が浮かび、微かな吐き気を覚える。
ミラビリスの言葉とあの事故報告書が事実ならば、ネビュラは異世界などではない。
この宇宙のどこかに存在する惑星の一つということになる。
その惑星には地球人と交配可能なほどに近い知的生命体が住んでいて、空穴という言わば時空の歪みで地球と繋がっている。
――これが偶然と言えるだろうか。
遼にはとてもそうは思えなかった。
巨大な作為が働かなけば起こり得ない。
そして、その根源はやはり女神であると、そうとしか考えられなかった。
この異星の女神はすでにこの国において実体的な力を持ち振るっている。
星雲救世会はもはやただのカルトなどではない。
異星からこの地球を侵食する触手そのものだ。
そんなものと対峙でき得るのだろうか。
頭上に広がる星空は痛いほどに己の存在の小ささを思い知らせてくれる。
国による土砂の撤去が進めば、その上に広がる廃墟の異常性に必ず気づくだろう。
いや、すでに気づいているからこそ報道を制限しているのかもしれない。
その先にある、異世界の存在に。
そして山を掘り進めればいずれ、あの端末へと辿り着く。
歴史と、技術の特異点に。
「――遼」
月明かりを頼りに足元をぼんやりと見ながら歩いていると、正面から名を呼ぶ声がした。
顔を上げると、そこにはヒスイが立っていた。
「この地にあったアニマが薄らいでいます。……やはりこの世界では人の中でしか存在できないのですね」
その指先が宙を撫でると薄く光の線を描き、すぐ闇に溶けていく。
何か言葉を返さなければと口を開くが、声にはならなかった。
「……何が、あったのですか?」
何かがあった。それは確信しているという問い方だった。
これはネビュラの……ヒスイの世界の存在そのものを揺るがし、根底から覆すような話だ。
彼女が四百年焦がれた故郷を。
――言えない。
そもそもあの突拍子もない話を言語化して説明できる気すらしない。
それでも、嘘はつきたくなかった。
「今は……言えません。いずれ、自分の中で整理がついたらお話しします」
出した結論は、先送りだった。
いつか逃げ場がなくなるまでは。
「わかりました。その時まで……待っていますね」
月がヒスイの笑顔を照らす。
どこか寂しげな、その笑顔を。
「……燈さんは、まだ眠ってますか」
「ええ。わたしはお腹が空いて目が覚めてしまって。それから……遼の姿が見えなかったから」
ヒスイが右手に聳えるここにあらざるべき山を見上げる。
「……この村の人々はみな親も、その親も、そのまた親も顔を知っています。四百年。いえ、そのもっと前から彼らが必死に紡いできたものが、一瞬で断ち切られてしまったのですね」
月明かりを映す翠緑の瞳が揺らぎ、伏せられる。
「――ネビュラから来た、これのせいで」
その語尾が震える。
怒りか悲しみか、それとももっとやり場のない感情に。
ヒスイの責任ではない。
だが、それを言葉にしたところで彼女の心は救えない。
「……わたしが、こうなる未来を視られていたら……この村を、離れていなければ……」
その足が止まり、頬を伝い落ちた涙が土へと染み込んでいく。
未来を識ることのできるヒスイだからこその後悔。
救いにも慰めにもならずとも、これだけは言わなければならないと思った。
「未来のことはわからない。今回は、”未来を視るべきだった”ということがわからなかった。……その責任を負うべきは、未来視を極力使わないよう言った私です」
これは欺瞞だ。
村一つが滅んだその責など自分に負えるはずもない。
だが、それはヒスイも同じだ。
「その力で全てを救おうだなんて傲慢な考えは捨てましょう。あなたは、かみさまではないんですから」
彼女もまた我々より永く生きただけの、人間に過ぎないのだから。
山の姿をした取り返しのつかない過去に向けて、ヒスイが泣く。
彼女の痛みを本当の意味で理解できる人間など、この世界には一人もいない。
それはずっと、世界に取り残され続けた彼女だけの痛みだ。
何百人、何千人もの人々を見送って、その傷を一本ずつ刻みつけながら一人生き続けてきた。
――その果ての仕打ちがこれだ。
救いなんて存在しない。
元いた世界の全てを失ってこれだけの傷を負ってなお、優しく微笑むヒスイをすら世界は、神は救おうともしない。
神は人を救わない。
ならばこの手で彼女を故郷へと送り返し、全てを終わらせるしかない。
それが救いになるかはわからない。
ヒスイが救いを求めているのかすら。
ただそうしたいと、遼自身が強く願ったのだ。




