第十五話 表 失われたもの 後
「この先通行止めでーす!!」
警察官が手を振って遼の車を止める。
苔守村へ続く唯一の道は警察車両によって塞がれていた。
窓を開けると車内へ真夏の熱気が流れ込む。
「彼女たちは苔守村の住民です。土砂崩れがあったのは知ってますが、安全なところまでだけでも入れませんか?」
「安全が確認されるまで通せません」
警察官は一考すらせず即答する。そもそも彼には判断する権限がないのだから仕方ない。
こういうケースで現場の警官相手に粘ったところで無意味なことを遼はよく知っている。
自身も警察官であると名乗ることも考えたが、おそらくは無意味だろう。
マスコミの報道の仕方を見るに、すんなり村へ辿り着けるともハナから考えてはいなかった。
「分かりました」
あっさりと窓を閉めるとUターンして来た道を引き返す。
「燈さん、徒歩でもいいので村へ入る抜け道はないですか?」
ルームミラー越しに燈と目が合う。
まだ顔色は優れなかったが、その目には強い光があった。
「……あります。小さな山を一つ越える旧道が」
「案内してください」
ルームミラーの向こうの燈がゆっくりと頷いた。
その抜け道の入り口は、何もない野原の先に隠れるようにひっそりと開いていた。
遼は携帯食料や水、防災用品の詰まったバックパックを背負い、山道の前に立つ。
山は異様に静まり返っており、蝉の声すらしない。
その静けさがこの先に待ち受ける光景を暗示しているようで背筋に冷たいものが這う。
道は狭く、人二人がなんとかすれ違える程度の幅しかない。
「私が先に行くのでついて来てください」
燈がそう言って前に出ようとするのを遼は引き止めた。
「いえ、もしかしたらこの道にも監視があるかもしれません。私が先導して、もし誰かいたら迂回の指示を出します」
実際にその可能性も考えてはいたが、本心はそこではない。
この先に待ち受けているであろう光景を、燈が最初に見てしまうのを防ぎたかったのだ。
それが姑息な時間稼ぎに過ぎなかったとしても。
「……分かりました」
燈は存外、あっさりと引き下がった。
責任感から先導を買って出たものの、やはりその目で村を見るのが怖いのだろうか。
「では登りましょう。分かれ道では案内をお願いします」
「一本道なので真っ直ぐ進めば大丈夫です。……ヒスイ様の社の裏に出るので」
「えっ!? ここがあの山なんですか?」
ヒスイが驚いて声を上げる。
「ヒスイ様……400年も住んでて知らなかったんですか?」
燈が少し呆れたように言う。
村ぐるみでこの道を隠していた、というわけではないようだ。
「つまり、ヒスイさんは山を降りればいつでも村から出られた、ということですか」
村の最重要機密事項であるウカノミタマノカミの化身たるヒスイを、敢えて村の外縁に置いたのは何か理由があったのだろうか。
「うぅ……だって、今まで村を出ようなんて、考えたこともなかったもの……」
ヒスイはそう言ってかぶりを振る。
それはきっと、本当にそうだったのだろう。
30分ほど山道を登ると小さな鳥居が立っていた。
朽ちた木製のそれがいつからそこにあるのかはわからない。
鳥居をくぐるとその裏側に古い字体で文字が刻まれているのに気づき、足を止める。
『久遠にわたり里を守り給ひし御神徳、畏み畏みも白し奉る。
また、長き時この地に留め奉りしこと、恐れながら詫び奉る。
願はくは、宇迦之御魂の大神の道行き、安らかにして幸多からむことを』
それは、ウカさまへの――ヒスイへの感謝と、別れの言葉だった。
いつか、自らの意思で山を降りることを選んだ彼女への。
そしてそれは先ほど湧いた疑問への、答えだった。
彼女は神話に囚われ、村に縛り付けられていたのではなく、自らの意志でここを居場所に選んだのだ。
ヒスイはその文字を愛おしそうに撫でた。
「わたしは、果報者ですね。……迷い込んだのがこの村で、ほんとうに良かった」
その翠緑の瞳が400年の記憶を辿るように遠くなる。
一体、いくつの出会いと別れをその瞳に焼き付けてきたのだろうか。
「……行きましょう」
ヒスイはほーっと息をつき、鳥居に背を向ける。
鳥居からさらに10分ほど登ったところで社に辿り着いた。
その姿は遼が訪れた時と何も変わらなかったが、あの時に感じた神性のようなものは消え失せたように思えた。
主を失った今、ここはもう神域ではなくなったのだ。
「鍵がかかってます」
燈が社の戸を確認して言う。
社の周囲を見るに、やはり土砂崩れが起こったような形跡は見られず、地盤が緩んでいる様子も見られない。
三人並んで社の縁側に座り水分補給を済ませる。
水分が体に染み渡るにつれ、この後目にするであろう景色への恐れが湧いてくる。
それでも、前に進むしかない。
「……村に降りましょう」
遼はそう言って、先頭に立って村へと続く石段を降りる。
一段降るごとにその気配が強まっていく。
かつては山頂の小さな社から最も強く発せられていた気配が。
それが、足元から這い上がってくる。
木々の間に視界が開け、真夏の日差しが目の前を白く染める。
眩しさに閉じた瞼をゆっくりと上げる。
――その先に見えるはずの長閑な田園風景は、そこにあるはずのない山と、その上に散らばる廃墟に塗り潰されていた。




