第十二話 裏 侵蝕 前
――キケロがフォボス商会にいる。
オウカの言葉で、ガルス村の夜の出来事が一つの線に繋がっていく。
「あいつが手引きしたのか……!」
街道でキケロにワタリビトではないかと指摘された景真は否定も肯定もしなかった。
あの時点では”ワタリビト狩り”の存在を知らなかったし、キケロの言葉はある種の確信に満ちていて、否定しても無意味だと思わせる力があったからだ。
「奴と何かあったのか?」
景真のただならぬ様子にオウカが尋ねる。
だが、この話をするには景真がワタリビトであることを明かさなければならない。
コハクがこちらを見ている。
判断を任せると、そう言われている気がした。
景真はコハクに向かって頷くと、オウカに向き直る。
「俺はワタリビトだ。そして俺たちはオウカに会う前日の晩……キケロと会った日の夜にガルス村で”異端者”に襲われた」
オウカは全てを知っていたかのように頷く。
「――そうか。異端者は何人いた?」
「二人だ。真っ黒な服装で、短剣で武装していた」
「二人一組で行動……情報通りだな。どうやって助かった? 兄さんも狐の姐さんも腕自慢には見えないが」
それはもっともな疑問だった。
実際、あの二人に景真たちは手も足も出なかったのだ。
「ああ、なんとか逃げ切ったんだ。裏路地を走り回ってな」
確実に聞かれるであろう質問にあらかじめ答えを用意していた景真は、この期に及んでまだ嘘をつかねばならないことにチクリと胸を痛める。
それでも、さすがにミラの事を話すわけにはいかないし、話したところで信じてもらえないだろう。
「そうか、運が良かったな。噂では捕まったワタリビトは儀式の贄にされるって話だしな」
オウカは冗談めかして笑うが、その目は景真を見定めるように向けられている。
「実はあんたからキケロの名を聞いてすぐに密偵をゴンドに向かわせた」
「ゴンドに?」
「ああ。俺が個人的に奴を追っている、というのもあるが何か目的があるんじゃないかと思ってな」
その言葉を聞いたコハクが何かに気づいたように立ち上がる。しかし、膝から力が抜け体がぐらりと揺れた。
「コハク、まだ休んでないと」
そのまま地面に座らせるがその体勢すら維持できず、両手でその肩を支える。
「ゴンドが……」
俯いたまま絞り出したその声は微かに震えていた。
「……朝、話したな。フォボス商会が持ち込んだ幻想薬で村が滅んだと。その時も、奴らは祭りの騒ぎに乗じてクスリを売り捌いた。あっという間にクスリは村の若い連中の間で蔓延し……今は廃墟になってる」
腕の中でコハクの細い肩が震える。
「……つまり、同じ事をゴンドでやろうとしてると?」
「ゴンドはデカい。警備も機能してるし、寒村と同じようにはいかんだろう。が、一度広がれば汚染は免れん」
「奴らの目的はなんだ? 金か?」
「一つは金、もう一つは――」
オウカが声を潜める。
「行き場を無くした民草を、ネビュラ救世教の信徒に引き込んでいる。そうまでして信徒を増やす理由は分からんが」
――ピン、と空気が張り詰める。
コハクを支える手から何かが流れ込んでくるのを感じる。
これはアニマだ。
それは手から腕へ、腕から首へと遡上してくる。
その奔流が脳に到達すると、それは明確なビジョンとなって再生された。
どこか懐かしさを覚える町並み。
行き交う人々。
立ち昇る湯気。
――ゴンド温泉郷。
これは、コハクの未来視が流れ込んできている。
「やめろコハク! ダメだ!」
掴んだ肩を揺すり、力の発現をなんとか押し留めようとする。
今その力を行使すればコハクの身体への負荷は取り返しがつかないものになる。
未だアニマの行使の仕方を掴みかねている景真にもはっきりと理解できた。
『なんで止めるの?』
ゆっくりと景真の方を振り向いたコハクの口がそう動いたが、声にはならなかった。
その顔は蒼白で、追い詰められて尚、泣き出すこともできない痛みに歪む。
景真は普段表情の乏しいコハクが初めて見せるその顔に、心が千々に裂かれるようだった。
同時に、暗い感情が湧き上がる。
キケロに。
フォボス商会に。
ネビュラ救世教に。
コハクにこんな顔をさせた全てに。
――無力な、自分自身に。
コハクの眼前に、オウカの手のひらが突き出される。
「姐さん、落ち着いてくれ。キケロを追った密偵にはゴンドの町議会にすぐこの事を伝えるよう言ってある。奴らの狙い通りにはならん」
その声は揺るぎなく、静かだった。
コハクの周囲に灯りかけていた光が霧散し、木々のざわめきが戻る。
「断じて、奴らの好きにはさせない。今は休んで明日の朝、このまま俺たちと進むか、ゴンドに引き返すか決めてくれ」
オウカはコハクの虚な目を真っ直ぐに見てそう言い残すと、立ち上がり去って行った。




