第十一話 裏 異端の影 後
川原に大きな篝火が設けられ、行商隊の隊員たちがそれを囲んでいる。
その人数は移動中や野営の準備をしている間の印象よりも大分多い。
恐らく、結構な人数が周辺の偵察に当たっていたのだろう。
彼らは皆、不揃いな器に酒をなみなみと湛えて立ち並んでいる。
その円陣の中心に篝火を背にオウカが躍り出た。
炎がオウカの揺らめく影を前へと長く伸ばす。
「皆、ご苦労だった。その尽力もあって旅は順調だ。明日にはアゲントに至るだろう」
野太い歓声が上がる。
表情は一様に明るかったが、炎に照らし出された顔は様々だった。
いかにも商人といった、小太りで計算高そうな男。
頬に深い傷を刻んだ傭兵風の男。
貴族崩れのような華美な服に身を包んだ細身の男。
恰幅のいい中年の女。
年齢も職業も、種族さえもバラバラな一団が、オウカの元に団結しているのが分かる。
オウカは歓声が止むのを待ってから続ける。
「そして今回は俺たちの商売にとってこの上なく力強い味方がいる! コハクの姐さん、こちらへ」
呼ばれたコハクが篝火の前へ歩み出る。
これはあらかじめオウカから聞かされていた段取りだった。
再び歓声が沸き、静まる。
「アゲントに行く以上、俺たちが商うべきものは一つ!」
オウカの声に呼応するように若い男が「銀だ!!」と叫ぶと、次々に同じ言葉が重なっていく。
「そう、銀だ! さあ、狐族の巫女よ。その相場の行く末を占ってくれ」
コハクは無言で頷き、まつ毛が静かに伏せられる。
風が止まる。
コハクを中心に光の粒子が現れ、結合し、いくつもの光球が生まれた。
今ならあれがアニマの力の発現だとはっきりと分かる。
光球はピンポン球ほどの大きさになると空中に静止し、それぞれが糸のような光線で接続される。
景真にはそれが、ニューロンとシナプスで形成されるネットワークのように思えた。
その線がコハクの体に伸び、接続されその目がゆっくりと開かれる。
いつもそこに湛えられている暖かな光は身を潜め、背後で燃える篝火よりも強く輝いているように錯覚する。
やがて、光球もコハクの瞳も光を失い、森に静かな夜が戻る。
「――明日以降、銀は値上がる。公都に着く頃には、もっと」
コハクが静かに告げ、息を呑んで見守っていた人々はまだ声を出していいものか迷っている。
「――聞いたか皆! 我らには大いなる予言と、女神の祝福がある! 今宵は飲み明かそう!」
オウカが沈黙を破り、盃を天に翳す。
またも歓声が起こり、皆一様に盃をあおった。
その熱狂に圧倒されていた景真の視界の端で、コハクの体がぐらりと揺れた。
その空間だけスローモーションのように感じられ、考えるより早く体が動く。
手に持っていた盃を投げ捨て砂利を蹴り、その小さな体を支えた。
抱き支えたその体は服越しに分かるほど冷たく、頼りない。
背筋に冷たいものが伝う。
きっとこれは喪失への怖れだ。
「コハク、大丈夫か?」
目が薄く開くが、体に力は入らないようだ。
「……うん。ちょっと遠く、先まで見ないといけなかったから……疲れたみたい」
景真はコハクを抱き上げると、川原を離れ木に背を預けるように座らせた。
その時、コハクの腹がクゥー、と高い音で鳴った。
景真は驚いて固まり、コハクは耳の毛を逆立て、顔を真っ赤にしている。
「……力を使うと、お腹が減るの……」
景真から顔を背けるようにして言う。
その様子に、なぜか無性に胸が締め付けられた。
それと同時に、深く安堵する。
「食べ物を貰ってくるよ。ちょっと待っててくれ」
そう微笑んで見せてから立ち上がり、河原へと向かう。
「姐さんは大丈夫か?」
オウカがスープ……と呼ぶには具が多すぎる器を差し出している。
「ああ、少し疲れたみたいだ」
器を受け取りながら言う。
「……無理をさせたな。すまん」
オウカが深々と頭を下げる。
「互いに利があってやってるんだ。謝ることじゃないだろ?」
「ふ……そうだな。じゃあこうだな」
微かに笑ってから右手を差し出す。
景真はスープの器を左手に持ち替え、その手を握った。
「感謝する。お陰で隊の士気が高まった」
オウカは景真の目を真っ直ぐに見て言う。
その眼差しにこの若さでこれだけの隊を率いている、その理由を垣間見た気がした。
「ところで」
固い握手を終え、景真が食事をコハクのところへ運ぼうと足を踏み出したところにオウカが再度声をかける。
「あんたたちに話がある。後で行ってもいいか?」
「……? 構わないけど、なんの話だ?」
オウカは少し迷った様子を見せる。
それは彼が景真の前で初めて見せる迷いだった。
「――キケロについて、だ」
意を決したように放たれた言葉は、景真からすれば意外なものだった。
景真たちにとっては僅かな時間話しただけの相手について、なんの話があると言うのだろうか。
「……分かった。まずはコハクの腹を満たしてからな」
その真意は計りかねたが、聞いてみないことには始まらないと考え了承する。
「ああ、夕食後に」
オウカはそう言うと、颯爽とした足取りで宴の渦中に戻って行った。
それが、隊の長としてオウカが被るべき仮面なのだろう。
温かな食事を終え、一息ついたところに約束通り盃を片手にオウカがやって来た。
コハクはまだ体に力が入らない様子だったが、篝火に照らされたその顔色は大分良くなっている。
「食事はどうだった? 隊の専属料理人による渾身の作だ。まあ、こんな所じゃできることも限られてるが」
オウカが景真たちの向かいに胡座をかく。
「美味かったよ。料理人までいるのか、この行商隊は。……これだけの隊を束ねてるなんて大したもんだな」
「そんな大したもんじゃないさ。祖父が創って親父が育てたモンを引き継いだだけだ」
謙遜するように、しかし少し誇らしげにオウカが言う。
その言葉は景真にとって希望でもあり、同時に妬ましくもあった。
ワタリビトだったというオウカの祖父は、それでもこうして後世に残すべきものを残してこの世を去ったのだ。
「そんなことより、本題に入らせてくれ。キケロのことについてだ」
「ああ。だけど、俺たちは本当に少し話をしただけだぞ?」
「それでもだ」
宵闇に、猫の眼が爛々と輝く。
景真が小さく頷くと、オウカは静かに語り出した。
「あいつは、キケロは姉貴の許婚だったんだ。小さな村だったからな。同世代の子供もそう多くはいない。だからあいつは俺にとっても幼馴染で、友人だった。気のいい奴だったよ。真面目じゃあなかったが、誰にでも親切だった」
そこまで言って、オウカは盃を煽り、息をつく。
「だが結婚式の前夜、あいつは姉貴が未来の子供の養育費にと貯めていた金を持ち出して、失踪した」
オウカが奥歯を噛み締める。
その話に出てきた男が、どうしても飄々とした人懐こいあの行商人の姿と重ならない。
「翌朝異変に気づいた俺はすぐに奴を追おうとした。けど、姉貴は何も言わずに首を横に振った。それから数ヶ月。俺の怒りは治らなかった。そして、ある日顔馴染みの行商人からある噂を聞いた」
地面を睨みながら話していたオウカの視線が、景真のそれとぶつかる。
「キケロが、フォボス商会にいると」




