第十一話 裏 異端の影 中
日が傾き出した頃、行商隊は街道を外れ森へ続く道へと入った。
先ほどまで風に混ざっていた草いきれは消え、代わりに土と木の匂いに包まれる。
「野営地に向かってるんだと思う。この先に川があるから」
どこへ連れて行かれるのかという景真の不安に気付いたようにコハクが言う。
「そうだ。予定より少し早いが、ここで野営して明日の昼前、水瓶の刻頃にはアゲントに着く予定だ」
オウカがコハクの言葉を肯定する。
水瓶の刻、というのはコハクに聞いた話だと確か十一時を指しているはずだ。
アゲントは銀鉱山で栄えており、ゴンドと公都の間にある町で最も大きいという。
そこまで行けば、公都への道のりの七割を消化した事になるということだった。
「人間だけならどこでも野宿できるが馬はそうもいかん。奴らが飲む量の水は運べんからな」
オウカの視線の先に森が開け、夕陽に輝く川が現れた。
川原では二十名ほどの隊員たちが慣れた様子で野営の準備をしており、その中でも常に数名が武器を手に周囲を警戒している。
荷馬車は整然と並べられ、積荷ごと奪われるのを防ぐためか鎖でひと繋ぎにされていた。
重荷から解放された馬たちは川辺でのんびりと水を飲んだり草を食んでいる。
しかし、景真はこれだけの人々の中にあって尚、森の中から有りもしない視線に背筋を冷たい汗が伝う。
コハクの様子を伺うと、顔はいつも通り平然としているが耳は右を向いたり左を向いたりと忙しなく情報を収集している。
景真はオウカに手伝いを申し出たが、「客人は座して待っていろ」と追い払われた。
手持ち無沙汰のままコハクと並んで石に腰掛け、川と馬を眺めていた。
「……馬を見てると癒されるなぁ」
馬の背に跨り、その高さと揺れるのが怖くて泣きじゃくる幼い日の記憶が浮かぶ。
その背を降り、泣き腫らした顔をじっと見つめる馬の優しげなその瞳がずっと心の中に刻まれている。
「私も、馬は好き。大きくて、綺麗だから」
コハクも両手で頬杖をついて馬を眺めている。
その大きな琥珀色の瞳が水の煌めきを映し出し、景真はそこに銀河を見た気がした。
「――ああ、綺麗だな」
言葉が口をついて出たが、それが何向けられたものだったのか景真自身にも分からなかった。
「お二人が兄貴の連れてきたお客人ッスね!」
ぼんやりと馬を眺めていたところに突然声をかけられ心臓が跳ねた。
恐る恐る声の方を振り向くと、そこにはオウカと同じ毛色の耳と尻尾を持つ少女が立っていた。
その背丈は小柄なオウカより、さらにもう二回り小さい。
キケロも小さかった事を考えると、猫族というのはそういう種族なのだろう。
「あ、ウチはマツリカ。兄貴……オウカの」
「妹か?」
先手を打って答えてみる。
「惜しい! けどブッブー! はずれです!」
マツリカと名乗った少女は手で大きくバツ印を作る。
「ウチは兄貴の姪です。兄貴に付いて商人の修行中ッス」
「……姪なのに”兄貴”ってのはおかしくないか?」
「いいんスよ。心の兄貴なんで」
少女は腕を組み鼻を鳴らす。
「おい」
その小さな背中越しに低い声がし、小さな肩が跳ねた。
「ひゃっ……! なんスか兄貴、びっくりするじゃないッスか〜」
「その小物っぽい喋り方をやめろとずっと言ってるだろ。本気で商人としてやっていきたいならな」
「う……そう言われてもなかなか直らないんス……ですよ」
そう言って首と尻尾を垂れる。
「あと客人に迷惑をかけるな。俺が恥をかくだろうが」
オウカはマツリカの襟首を掴む。
「に゛ゃっ! 暴力反対! ママに言いつけるッスよ!」
「なっ……! 姉ちゃ……姉貴の頼みじゃなきゃお前なんか連れてきてないんだぞ!」
ジタバタと足掻くマツリカを片手で吊り上げたオウカが去り際に頭を下げる。
「……うちのモンが騒がせて悪かった。もうじき夕餉ができるからもう少しゆっくりしててくれ。……あと、今のやり取りは忘れてくれ」
マツリカのギャーギャーという声が遠ざかり、辺りに静けさが戻るとコハクと目を見合わせる。
「――ぷっ……」
堪えきれないといった様子でコハクが吹き出し、それに釣られて景真も笑う。
これだけの行商隊を束ね、いつも毅然とした商人の仮面を手放さないオウカでも、家族の前……素顔を見せられる相手の前ではあんな顔をしてしまうのだと思うと、可笑しくなってしまった。
そして、そんな相手がいる事が少しだけ、羨ましかった。
だけど、寂しさはない。
些細なことで一緒に笑い合える相手が、傍にいてくれているから。
――いつか必ず来る、別れの日までは。
そしてその別れは、自ら選択しなければならない。
夕暮れの最後の輝きを、揺れる川面が無数の光に散らす。
やがて消えるその光の中で、コハクが静かに笑っている。




