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第十話 表 奇跡の淵源 後


 遼たちは約束の十九時より十五分ほど早く乾が経営する病院近くの駐車場に到着した。

 もう夜と言って差し支えない時間だが、真夏の太陽は今もしぶとく空に留まっている。

 

 昼食後、三人は燈の希望で観光地をいくつか巡っていた。

 久しぶりの再会と東京観光に大はしゃぎし、疲れ果てたヒスイは後部座席に深く身を預けて眠っている。

 一方の燈はヒスイと同等か、あるいはそれ以上にはしゃいでいたにも関わらずまだまだ元気を持て余している様子で、眠るヒスイの尻尾に鼻歌混じりに櫛を入れている。

 これが若さか、と自分が失ってしまったものを偲びつつヒスイに声をかける。

 

「ヒスイさん、着きましたよ。眠かったらそのまま寝ててもらっても……」

 そこまで言って、車内にヒスイ一人、あるいは燈と二人だけを残していく訳にはいかないと思い直す。

「……起きてください。全員で行きましょう」

 今日は一日、人通りが多い場所を選んで周ったのが功を奏したのかは分からないが何事も無かった。

 その中で徐々に警戒心が薄れていた事に気づき、気を引き締める。

 

「ヒスイさま〜、起きてください」

 燈に肩を揺すられたヒスイが寝ぼけ(まなこ)を擦る。

「んぅ……燈……? ご飯ですか……?」

「なに寝ぼけてるんですか。降りますよ」

 燈が呆れながらヒスイのシートベルトを外し、車を降りるように促す。

 ドアを開けると車内に閉じ込められていた冷気は瞬く間に霧散し、湿気を伴った熱気が体を包み込んだ。

 あくびをしながら降り立ったヒスイの尻尾がワンピースからはみ出したままになっているのを燈が慌てて直している。


 病院の自動ドアをくぐると、ちょうど退勤するところだったのであろう看護師の女性とすれ違い会釈を交わす。

「約束の時間のピッタリ10分前。変わらんな、お前は」

 顔を上げたところに聞き慣れた声が響く。

 そこには白衣姿の乾が立っていた。

「スタッフはもうみんな帰した。奥の診察室で話そう。……ん? そちらの嬢ちゃんは?」

 燈の存在に気づいた乾が怪訝な顔をする。他言できるような話ではないのだから当然の反応だ。

「彼女は神来社(からいと)燈さん。……そうですね、ヒスイさんのご家族です」

 遼の紹介に花が咲いたように燈が笑う。

「いぬいさん……? ですよね! よろしくお願いします!」

 乾の前に出て勢いよくお辞儀をすると、ポニーテールが高く跳ねた。

「お、おう。よろしくな」

 流石の乾もその勢いに気圧されているようだ。

 

 診察室に入ると、乾と遼は向かい合って椅子に座り、ヒスイと燈は並んでベッドに腰掛けた。

 ヒスイは緊張しているのか、膝の上で両手を強く握っている。

 遼はあらかじめ、ヒスイに自らの体の中にあるアニマについて知る心づもりをするよう伝えていた。

 

「早速だが、これを見てくれ」

 そう言うと、乾はデスクの上のモニターに一枚の顕微鏡写真を映し出す。

「これは……血液ですか?」

「そうだ。この間採らせてもらったヒスイさんの血だ」

 乾はマウスを操作して写真を拡大する。

「その時も言ったように、ヒスイさんの血液の組成は俺たちとほとんど変わらない。だが……」

 さらに写真を拡大する。

 遼は医学の専門知識を持たないため詳しい事は分からないが、赤血球と思われる円が無数に表示されている。

「……ん? この点は……」

「気づいたか」

 無数の赤血球の間に、さらに小さな粒子のようなものが点在している。

「そしてこれが、ブドウ糖液を添加して二時間置いたものだ」

 写真が切り替わる。

 一枚目より明らかに粒子の密度が上がっている。

「これが……アニマ?」

 ヒスイが目を見開いてモニターを凝視している。

 不可視の存在だと思っていたものが、実体を持っているという事実に驚いているようだ。

「うちの顕微鏡じゃあ動画は撮れなかったが、この粒は血液の中を動き回り増殖していた。さらに――」

 カチッとクリック音がし、写真が切り替わる。

「ブドウ糖を与えなかった方は動きが鈍く、増殖もしなかった。つまり、普段はヒスイさんの体内からエネルギーを得て活動しているってことだ」

 

 ――診察室を沈黙が包む。

 

 遼はこれらの情報から考えうる可能性を整理する。

 頭に浮かんだのは、アニマが共生細菌の一種であるという可能性。

 ミトコンドリアのように体内に共生し、生体システムの一部に取り込まれたのではないか。

 しかしこれは、ヒスイから聞いた「アニマは生物の中、大気、水、大地に(あまね)く存在する」という説明と矛盾する。

 

「一ノ瀬はどう考える?」

 乾が問う。

 それは遼を試す、というよりは何かを確認するような声色だった。

「……考えついたのは共生細菌です。ですが、この説だとアニマについて説明しきれない」

 乾が遼の答えに満足げに頷く。

「俺も最初はその可能性を考えた。だがこの粒は細菌にしては小さすぎる。しかも、100℃の高熱に晒しても活動を停止しなかった。ならタンパク質をベースにした細菌やウイルスも除外される」

 ぐるりと三人の顔を見渡す。ヒスイはぽかんとした顔で聞いているが、燈は興味深そうに前のめりになっている。

「そこで辿り着いた……というより残された結論が、アニマとは無機物と有機物が結びついた”ナノマシン”なんじゃないか、というものだ」

 

 ――ナノマシン。

 細胞よりもさらに小さな、ウイルスサイズの機械を意味する言葉だ。しかし、ようやく実用化に向けて動き出したと言う段階で、ほとんどSF用語と化しているという認識だった。

 そしてそれが”未来予知”のような奇跡まで起こすとなると、ヒスイから聞いていたネビュラの文明レベルとの乖離が余りにも大きすぎた。

 

「ヒスイさん、あなたが飛ばされる前のネビュラはどんな生活をしてた?」

 乾の質問にヒスイは意図を解しきれていない。

「……? そうですね。四百年くらい前になりますが、その頃のこの国と変わらなかったように思います」

 つまり、戦国時代末期から江戸時代の前期頃の文明だったのだろう。

「それじゃあそんなすごいナノマシンなんて作れませんよねぇ……あ、そもそもアニマはヒスイ様が生まれるずっと前からあったんですよね?」

 燈はある程度話を理解できているようだ。その手のフィクションに造詣があるのかもしれない。

「その通り。だけど、俺の推論が正しければアニマは自己増殖、自己完結したナノマシンだ。つまり――」

 乾が興奮した様子で立ち上がる。

「現行の文明が作る必要はない。過去に存在した高度な文明が散布し、現代に至るまで自己増殖を続けたもの、と俺は考えた」

 

 燈が息を呑み、熱弁する乾の熱と反比例するように遼の頭に冷たい思考が流れ込む。

 

 以前ヒスイから聞いた、ネビュラの創世神話。

 それによると、創世の女神オルフェナは神の国から旅をし、つまりは外の世界からネビュラに降り立ち世界を創ったという。

 外界から女神が降り立つ――それはそのまま”移住”という科学的事象に置き換わる。

 そしてその高度な文明は何らかの原因で滅び、その末裔としてヒスイたちがネビュラに存在しているのではないか。

 それが真相だとするならば、これは神話などではあり得ない。

 異星からの”侵略の歴史”ではないか。

 

「俺自身、突飛な考えだという自覚はある。けど、異世界なんてもんを解き明かすならこれくらい突き抜けてないとな……おい、大丈夫か? 顔色が悪いぞ」

 乾の声で思考の沼から引き揚げられる。

 それはさっき見た映画の話をするような、半分冗談めかした物言いだった。

 その言葉通り真剣に考えた結果の結論でも、心から信じることはできないのだろう。

 

「大丈夫です。……いえ、やはり少し気分がすぐれないので今日はこの辺りで」

 アニマの正体すらまだ推論に過ぎず、そこから考え至ったネビュラの歴史などほとんど遼の妄想に近い。

 

 だが、簡単に切り捨てられない説得力を持って遼の脳内に居座っている。おとぎ話だと思っていたものが実話だったと知らされたような大きな違和感が三半規管を揺らし、微かな吐き気を催す。

 

「……そうか。また何か分かったら連絡する」

 乾はネビュラの神話を知らない。

 そして、その神話がこの地球(オービス)にまで触手を伸ばしつつあるという事も。

「ええ、ありがとうございます。……この件については、少し考えを整理しておきます」

「運転、気をつけろよ」

 

 三人はそれぞれ、入り口に立って見送る乾に手を振り病院を出た。


 ルームミラー越しに燈が何かを言いたげに口を開くのが見えたが、言葉になる事は無かった。

 なんとなく、彼女も遼と同じ考えに至ったのではないかと思考の片隅で思った。


「遼……? 大丈夫ですか?」

 ハンドルを握ったまま固まっている遼をヒスイが気遣う。

「……大丈夫です。帰りましょう」

 低くエンジンが吠え、ライトが夜闇を切り裂くとゆっくりと走り出す。

 

 沈黙が支配する空間を、自動車が遼のマンションへと運んで行く。

 

 

 

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