第十話 裏 行商隊 前
長い夜が明け、ガルス村を朝焼けが赤く染める。
昨夜あんな目に遭ったのだから神経が昂って眠れないのではないかと危惧していたが、恐ろしいことに景真は横になって二分もしない内に眠りに落ちていた。
景真とコハクは部屋のドアを開くと廊下が無人であることを確かめ、足音を殺すようにして階段を降りる。
「おお、コハクさんじゃないか!」
階段を降り切ろうとしたところで太い声が宿の一階に響く。
前を行くコハクは驚きの余り耳も尻尾も天を衝いている。
恐る恐る覗いた階下には筋骨隆々の大男が立っていた。
「あ……ルド。おはよう」
「おはよう! いや、昨日は顔を見せられなくてすまなかったね。ちょっと食堂を離れられなかったんだ。君がケーマ君だね?」
「初めまして。……えっと?」
コハクの方をチラリと見る。
「この人はルド。この宿の主人で、ナーシャの旦那さん」
合点がいき、改めて挨拶をする。
「景真だ。よろしく」
そう言うと、目の前に大きな手が差し出される。
恐る恐る景真も手を差し出すと、握り潰さんばかりの力で握られた。
「よろしくケーマ君!」
そのまま手をぶんぶん振られて肩が外れそうになる。
ルドはひとしきり握手を交わすと手を離す。
「そう言えば君たち、昨夜は大変だったみたいだね」
――ルドの言葉に一瞬遅れて景真の心臓が跳ね、反射的に距離を取る。「なぜ昨晩のことを?」という言葉が喉まで出かかった。
「二人して酔っ払ってすっ転んだそうじゃないか! そうだ、汚れた服はナーシャが洗っているよ。裏の井戸にいるから君たちも顔を洗って来たらいい」
二人は大声で笑うルドに胸を撫で下ろす。
と、同時に彼を一瞬でも疑ってしまった罪悪感が小さく胸を刺した。
宿を出て裏手にある井戸では、ルドの言葉通りナーシャが小さな椅子に腰掛けて二人の服を洗濯していた。
「おはよう、ナーシャ」
コハクが声をかけるとこちらに気づいて挨拶を返す。
「あらおはよう、コハクさん、ケーマさん。よく眠れた? 洗濯、もうすぐ終わるから」
大きなお腹を抱えるようにして洗濯板に服を擦り付けるその手は、冷たい井戸水で真っ赤になっている。
「すみません。あとは自分たちでやるのでナーシャさんは中で座ってて下さい」
居た堪れなくなった景真が言うが、ナーシャは動こうとはしなかった。
「いいのよ、働いてないと落ち着かないから。そこの桶にきれいな水が汲んであるから顔を洗って」
そう促されて顔を洗い終えると、ナーシャがゆっくりと立ち上がる。
「じゃあ、洗い終わったから絞ってそこの竿に干しておいてもらえるかしら」
そう言うと、二人が各々の服を絞って干す様子を見守っている。――きっと、二人に罪悪感を抱かせないためにそうしたのだろうと景真は感じていた。
「朝食ができてると思うから、そのまま食堂に行ってね」
三人で宿に戻ると、ナーシャにそう言われるがままに食堂へ向かう。
食堂が近づくと、廊下まで食欲をそそる匂いが漂っていた。
「おっ! 来たね二人とも。昨日は自慢の料理を振る舞えなかったからね。腕によりをかけたよ。さあ! 冷めない内に食べてくれ」
ルドが二人掛けのテーブルを指差す。
テーブルにはパン、スープ、焼いたハムに卵料理、生野菜と二人で食べるには多すぎるほどの料理が所狭しと並んでいる。
「ルド、あの宿代でこれはやりすぎ。またナーシャに叱られるよ」
コハクが呆れたような、申し訳なさそうな顔で言う。その一方で尻尾はご馳走を前にわさわさと揺れている。
「何言ってるんだコハクさん。親交の証にコストなんて概念は――」
そこまで言って、ルドは視線を食堂の入り口に向けて固まっている。
「ナ……ナーシャ」
そこには笑顔を貼り付けたナーシャが立っていた。
「あなた……”また”ですか?」
その言葉は静かだったが、景真の知るナーシャからは想像できない迫力を帯びている。
「こ……これは……二人に喜んで欲しくて」
「二人はゆっくり食べててね。食べきれなかったら無理しないで。あなたはこっちへ」
ナーシャはルドを連れて食堂を出て行った。
景真はコハクと目を見合わせる。
「……とりあえずいただくか」
「うん……」
並べられた料理はどれも美味で、そこには確かに二人を歓迎しようという想いが込められているのを舌で感じられた。
二人が大量の料理を平らげている間中ずっと、食堂のドア越しにルドの謝罪の言葉が響いていた。




