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第八話 裏 顕現する奇跡 後・Ⅱ



 コハクとテーブルを挟んで座り、注文を済ませて料理が届くのを待つ。

「元気な子だな。ちょっとニャーラに似てるかも」

「このお店の子で、初めて会った時はまだ赤ちゃんだった。この道を通るたびに寄ってるから」

 コハクの目が過去を思い出すようにふっと遠くなる。

「おまたせ、”金のホルホ亭”自慢、自家醸造の麦酒ばくしゅだよ」

 アリサが二人の前に泡立つ黄金色の液体がなみなみと注がれたジョッキを置く。

「へぇ、ビールそっくりだな」

「びーる?」

 アリサにそう尋ねられ、自分が迂闊な発言をしたことに気づく。

「あー……いや、俺の故郷だと麦酒をそう呼ぶんだ」

 ワタリビトである事を悟られまいと咄嗟に誤魔化すと、アリサは忙しいからか「ふーん、そうなんだ」とだけ返して去って行った。

 

 アリサがテーブルを離れるのを見てコハクの前にジョッキを掲げると、自らのジョッキを遠慮がちにぶつけてきた。

 正直言って、景真はぬるいビールが苦手だ。

 だが、電気すらないこのネビュラでは常温で提供されるのが道理だろう。

 覚悟を決めてジョッキに口をつける。

「おお、冷たい……」

 よく冷えた麦酒が発泡しながら喉を滑り落ちていく。鼻に抜ける香りと爽やかな苦味は、正しくホップのそれだった。

「これもアニマで冷やしてるのか?」

「うん。サクラダケで作った樽に入れて冷やしてる」

 思い返せば、温泉で飲んだフルーツミルクもよく冷えていた。ネビュラではポピュラーな冷蔵技術なのかもしれない。

 

「はい、ガルス村名物、ホルホ鳥の丸焼きよ」

 アリサが軽快な足取りで大皿を運んでくる。

 その上に乗っているのは、どこからどう見ても鶏の丸焼きだった。

 取り皿やナイフなどを手際よく並べると、アリサは忙しなく景真たちのテーブルを離れる。

 香草を刷り込んでこんがりと焼かれた肉の表面で脂がパチパチと弾けている。

 その大きさに景真は圧倒される。これは二人で食べ切れる大きさなのだろうか。

 コハクは目を輝かせてナイフとフォークを握り、その刃を肉の中心に突き立てて切り開いていく。

 その立ち昇る湯気の中から現れたのは肉汁と脂をたっぷりと吸って艶を放つ野菜と、柔らかく炊かれた麦だった。

 コハクは肉と具材をバランスよく皿に取り分けて景真の前に置く。

 同じようにコハク本人の皿に料理が盛られたのを確認して手を合わせ、コハクもそれに倣って両手を合わせる。

「あれ? お祈りはいいのか?」

 コハクは二度、こくこくと頷いてから唱和する。

「いただきます」

 

 早速肉にフォークを突き立てて口へ運ぶ。

 肉はジューシーでありながら歯応えもあり、若干野生味が強いがその風味はやはり慣れ親しんだ鶏のそれに酷似していた。

 その少し独特な野生味も、香草の香りと混ざり合うことで複雑な味わいを生んでいる。

 続いて腹の中に詰められていた具材を口にすると、肉から染み込んだ旨みが弾ける。


 歩き疲れて腹ペコだった二人は夢中でホルホ鳥を堪能し、ものの半刻ほどで丸々と太った鳥は骨だけの姿になった。


「……アンタたち、マジであれ二人で食べたの」

 アリサが腰に手を当てて、骨だけが残る大皿を呆れ顔で見下ろす。

「その体のどこに入ってくのよ」

「う……ちょっと食べすぎた」

 腹をつつかれたコハクが苦しそうに唸る。

 気づけば店内にあれだけいた農夫たちの姿は霧のように消えていた。どこの世界でも農家の朝は早いらしい。

「だからいつものモモ肉にしとけって言ったのに」

「ケーマと一緒ならいけるかなと思って……」

 いつもよりも小さな声量に、若干の反省の色が滲む。

「まったく……まあもうお店も空いてるから落ち着くまで休んでていいわよ」

 アリサはそう言い残して厨房へと引っ込んで行った。

「でも……ずっと食べてみたかったけど、一人じゃ無理だったから。満足」

 コハクはほっと息を()くと、心底満足そうに天井を仰いで目を閉じた。尻尾も脱力して椅子の端から垂れ下がっている。

 

 きっと彼女には四百年生きてもまだやってみたい事、できてない事が山ほどあるのだろう。

 いつまで一緒にいられるかは分からないが、その限られた時間で一つでも叶えられたらなどと、同じように天井を仰いで考えていた。


 結局二人は閉店時間まで立ち上がることができず、アリサに追い出されるようにして店を出た。

 辺りはすっかり静まり返っており、明かりが灯っている家もずいぶん少なくなっている。

 冷たい夜風が酒と食事で(ほて)った頬を心地よく冷ましていく。


 宿のある裏通りに入りしばらく進んだところで不意に、コハクの耳がピクンと動く。

 その顔は何かを聞き取ろうと集中しているように見えた。

 コハクはそのまま歩調を速めるでも緩めるでもなく歩きながら囁く。

「……()けられてる。多分、二人」

 背筋に冷たいものが走るが、その動揺を抑え込んで平静を装う。

 宿まではまだ五分ほどの道のりがある。

 そもそも、このまま宿に逃げ込んでしまうと身重のナーシャを危険に晒すかもしれない。

「……走るか?」

 コハクが目でそれを制する。

 

 ――次の瞬間、景真の右側を歩くコハクのその向こう、暗闇の路地から真っ黒な手が伸び、その華奢な体を捕らえた。そして、その白い首にナイフの切先が突きつけられる。

 景真は反応すらできない、あっという間の事だった。

「……ワタリビトだな、大人しくついてきてもらおう」

 低い声が響き、暗闇から人影が現れる。

 全身を黒装束に包んだ男はフードを目深に被り、顔は見えないがかなりの大男だ。

「ぅ……ぐ」

 コハクが太い腕に首を押さえられて苦しそうに呻き、宙に浮いた足がもがくように揺れる。

「おかしな動きをしたらその娘を殺す」

 とっさにコハクの元に駆け出そうとした景真の背後からも声がし、その手首を掴まれ後ろ手に捻り上げられる。

「……お前たちは何者だ」

 精一杯の虚勢で恐怖を噛み潰して声を振り絞るが、その語尾が僅かに上擦る。

「お前の質問に答えるつもりはないし、お前がそれを知る必要もない」

 コハクを羽交締めにしている大男が景真を睨みつけて言う。

 フードの影から()め付けるその眼光は蛇を思わせ、景真の背に冷や汗が伝う。

 膝の震えを押さえ付け、大男を睨み返す。

「……知ってるぞ、お前ら”異端者”だろ?」

「黙らせろ」

 大男が短く命じると、背後に立つ男は景真を強引に振り向かせ右手に握ったナイフの柄をその鳩尾(みぞおち)に叩き込んだ。

「ガ……はッ」

 臓腑に響く衝撃で息が詰まる。

 次の瞬間胃の中の物が込み上げ路地に撒き散らされたが、男たちは足元の汚物を気にする素振りも見せない。

「我らは敬虔なる”女神の代行者”だ。少しでも長生きしたければ口に気をつけろ」

 大男が、地面に跪き肩で息をする景真を見下ろして傲岸に吐き捨てる。その言葉には確かな怒気が含まれていた。


 ――意識が朦朧とする。

 平和な日本で暴力とは無縁に生きてきた景真は今、生まれて初めて理不尽な暴力に晒されている。

 暴力と戦う術を景真は知らない。

 刑事である一ノ瀬遼なら、こんな状況でも切り抜けられるのだろうか。

 ただ己の無力さが憎かった。

 たったの一撃でこのザマだ。

 コハクがあんな目に遭ってるのに、自分は吐瀉物を撒き散らして地べたに這いつくばることしかできやしない。


 爪が食い込むほど握りしめた左手で、何かが蠢く。

 その不快な感触に手を開き霞んだ視線を向けると、そこにはあの黒い紋様がくっきりと浮き出ていた。

 皮膚の中を、血管を何かが這いずるような感覚はじわじわと神経を侵食していく。

 そしてそれが左肩まで達した時、手のひらの紋様から”黒い光”が放たれた。

 黒い光は無数の触手のように蠢動(しゅんどう)しながら路地裏を埋め尽くす。

「!? なんだそれは! おかしな事をすればこの娘諸共ころ――」

 大男が声を荒げたその時、黒い光の中心である景真の手のひらから白い光球が現れ――光球が(いかづち)の如き速度で大男のこめかみを撃ち抜く。

 大男は言葉を言い切る前に白目を剥いて膝から崩れ落ち、弛んだ腕から解放されたコハクが地面に倒れ込む。

「お前、何をしやがった!」

 見上げたフードの隙間から覗く男の目が恐怖に歪んでいる。そしてその恐怖を振り払うように景真に向けてナイフを振り翳した。

 ――が、すかさず光球が一閃し、男は声も発さずその場に倒れる。


 景真とコハクは何が起きたのか飲み込めないまま、その場で固まっていた。その視線は二人の間に浮かぶ光球に注がれている。

 風が止まり無音が空間を満たす。その中で自分の心音だけが異常なほど大きく聞こえている。

 光球は今度はゆっくりと景真の方へ重力を感じさせない動きで飛び、左手の上で止まった。

 まばゆい光は徐々に落ち着き、その中からヒトの形をした”何か”が姿を現した。

 手のひらに乗る大きさのそれは、童話に描かれる妖精のような姿をしている。

 そしてその超常たる”何か”は二人へと語りかけてくる。

 その声は軽快で透明で神秘的で、どこか機械的だった。

「やぁお二人さん、危ないところだったね! 間に合って良かったよ。……なんだい狐に摘まれたような顔をして。狐は君の方だろう。あ、自己紹介がまだだったね。ボクの名前はミラ。親しみを込めてミリーって呼んでくれてもいいよ」

 

 景真とコハクは、未だ何も理解できないままミラと名乗るそれを凝視して動けずにいる。

 場違いなほどに明るい声で話しかけてくるそれは、恐らく敵ではない。敵ではないはずだが、その可憐と形容できる姿を見ていると名状し難い畏れが湧いてくるのを感じる。

「”奴ら”に見つかるリスクを負ってでも君たちを助けたのには訳がある。そう、頼みたいことがあるんだ」

 ミラは音もなく浮上し、景真の眼前に躍り出る。

 白銀の光芒を放つ二つの瞳が景真を捉え、そこから目を離すことができない。

 冷たいものが背筋を這い上がる。


「――君たちに女神を……ORPHENA(オルフェナ)」を殺して欲しいんだ」


 星明かりが照らす静かな夜に、世界の歯車が確かに一つ、軋むように回り出した気配がした。

 

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