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第八話 裏 顕現する奇跡 後・Ⅰ



 なんとか日暮れ前に辿り着いた村は正に中世の農村といった風情で、ゴンドと比べると簡素な造りの家がまばらに建っている。

 その中にあって、村の大通りに建つ石造りの建造物はその大きさと存在感でもって完全に風景から浮いていた。

「あれは宿屋。ゴンドに行くお金持ち向けの」

 口を開けてその建物を見上げていた景真にコハクが解説する。

「道理で……まさかここに泊まるのか?」

「私たちはこっち」

 そう言って裏通りに入っていくコハクの後について行く。

「ここ……ガルス村は昔はもっと小さい村だったんだけど、ゴンドが温泉地として有名になるにつれてその中継点として大きくなっていったんだ」

 その言葉は単にこの村の過去の歴史としてではなく、実際にその変遷を目の当たりにしてきたという温度を伴っていた。

 

 裏路地をしばらく歩き、先ほどの宿屋と比べると随分小さな木造の家屋の前に着いた。

 コハクは迷いなく扉を引いて中へと入る。

 オイルランプのゆらめく炎で照らされた屋内はどこか懐かしく、木と染み込んだ油の匂いが田舎の祖父の家を想起させた。

 コハクは正面のカウンターの中で椅子に掛けて編み物をする女性に声をかけた。

 女性は地球(オービス)の人間と変わらない姿で、年は景真と同年代くらいに見える。しかし、ネビュラにおいて外見年齢があてになるのかは分からない。

「ナーシャ、こんばんは」

「あらコハクさん。また公都へ?」

 ナーシャと呼ばれた女性は編み物をしていた手を止めカウンターに置くと、立ち上がってコハクを出迎える。そのお腹は大きく膨らんでいた。

 コハクは頷いてから女性に座るよう促す。

「ナーシャは座ってて。部屋空いてる? 二人部屋」

「ありがとう。部屋は空いてるよ。そちらの方は?」

 目が合った景真が思わず会釈すると、女性もにっこり笑って会釈を返す。その上品な佇まいはどこか長閑な農村には似つかわしくないようにも思えた。

「ワタリビトの、ケーマ」

 コハクがそう返答するとナーシャは口を押さえて驚き、視線を景真とコハクの間で往復させた。

「それは珍しいお連れさんね。直にお目にかかるの何年振りかしら。よろしくね、ケーマさん」

 そう言いつつ部屋の鍵とランプをカウンターに置いた。

「二階の三号室ね。夕食はどうする?」

「うーん……酒場に行こうかな」

 コハクは少し迷ってからそう答える。

「ええ、主人に伝えておくわね」

 鍵を受け取り、カウンター横の階段を昇る。

 木の階段には手すりもなく、一歩踏み締めるごとにギシッ、ギシッと音を立てて軋む。

 コハクが手にした鍵でドアを開き客室に入り、壁に取り付けられたフックにランプを吊り下げる。

 木製のベッドが二つと小さな丸テーブルが置かれただけの質素な部屋だったが、チリ一つ残さず綺麗に整えられていた。

 床に荷物を置きベッドに腰掛けるとこのまま倒れ込みたい衝動に駆られるが、空腹がその上を行った。思えば今日は昼食も食べずに歩き通しだった。

 それはコハクも同じだったようで、すぐに夕食を摂るべく酒場へと向かうことになった。

 

「あ、コハクさん」

 再び階段を降りてカウンターの横を通ると、ナーシャに呼び止められた。

「この間お客さんが”異端者”の連中がワタリビト狩りをしてるって噂してたの……この村で奴らを見たって話は聞かないけれど、ケーマさんがワタリビトだって事は隠しといた方がいいかもね」

 ナーシャは声をひそめる。

 “異端者”に”ワタリビト狩り”。

 穏やかとは言えない単語が唐突に現れ、部屋の温度が下がったように感じる。その噂が事実なら景真は紛れもなく狙われる立場だ。

「分かった。気をつける」

「うん、いってらっしゃい」

 小さく手を振るナーシャに見送られて宿を後にする。


 外に出ると、村は夜の色に染まっていた。標高が高いためか、日が沈むと気温が下がるのが早い。

 草むらから響く、耳馴染みのない虫が奏でる和音を聞きながら表通りへと歩いていく。

「……”異端者”ってどんな奴らなんだ?」

 コハクは言葉を探すように尻尾を左右に揺らしている。

「ネビュラ救世教って言って創世教から大昔に別れてできたらしいけど、同じ女神様を信仰してるってこと以外詳しいことは知らない」

「別宗派みたいな感じなのか。創世教っていうのがネビュラで一番大きい宗教なのか?」

「うん。というより世界中の人が唯一の女神様を信奉してる」

「それは……大きいなんてもんじゃないな」

 エクトルは神もアニマも実在すると言い切った。

 そして、アニマの存在は景真もその身をもって確信している。

 創造神が実在しているのであれば、それを信仰しない理由もないということなのだろうか。


 酒場の活気は店の外にまで溢れていた。

 “金のホルホ亭”。

 入り口の上に架けられた看板にはその文字と、鶏のような鳥の絵があしらわれている。

 入り口の扉を開くとその上部に付けられた鐘が派手な音で鳴り来客を知らせ、「いらっしゃいませぇ!」と景気のいい声が店内からやまびこのように響く。

 店内では浅黒く日焼けした農夫たちが樽ジョッキを片手にやたら大きな声で笑ったり騒いだりしており、その中にはちらほらと旅客らしき姿も混じっている。

 その時ふと店内のどこかから視線を感じた気がしたが、その気配は喧騒の中に溶けていった。

 客に酒を給仕していた少女が、来客がコハクだと気づき近づいて来る。

「あれ? コハクじゃん。ついこないだ来たと思ったら」

 コハクよりも小柄な少女は細長い尻尾をくねらせて、猫を思わせる目を(しばた)たかせている。

「うん、また公都に別の用事ができたから」

 そう言って、チラリと景真を見る。

「へえ〜、アンタも忙しいわね。……ところで」

 そう言って景真の方を見る。その目には抑えきれない笑みが浮かんでいる。

「そちらはカレシさん? コハクも隅におけないわねぇ」

 少女はコハクと景真の顔を交互に覗き込む。

「いや、コハクは恩人で俺たちはそういうんじゃ……」

 景真は明らかに困った様子のコハクに助け舟を出すが、なんだか歯切れの悪い言い方になってしまう。

「……ふ〜ん? ま、いっか。席に案内するね。あたしはアリサ。よろしくね」

「よろしく、アリサ。俺は景真だ」

 そう返すとアリサはいたずらっぽく微笑んで、店の喧騒に負けない大声を張る。

「二名様ごあんな〜い!!」

 よく通る声が店内を駆け抜けると厨房から野太い返事が響き、アリサの案内で二人は席へと通された。


 

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