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第六話 表 異界からの通信


 静かな車内の空気を着信音がけたたましく振動させる。

 スマートフォンの画面に映し出されているのは、三日前富士山麓の教団施設に向かったきり、音信不通となっていた明石景真の名だった。


 遼はルームミラーに視線を走らせ後方を確認する。

 今のところ御堂コトネやその部下がこちらを追ってきている気配はないが、確証はない。逃げることを優先し後から折り返すという事も考えたが、直感に従い僅かな逡巡の後すぐに電話を取った。

「もしもし。明石さん、ご無事でしたか?」

 ルームミラーを睨みつつ早口で問いかけると、返ってきたのは辛うじて聞き取れるノイズ混じりの声だった。

「本当に繋がっ……のか! 一ノ瀬遼、多分あ……り時間がない。信じ……らえない……うが俺は今、おそ……”異世界”にいる」

 

 遼の心臓が跳ねる。

 途切れ途切れの言葉の中で、確かに聞こえた”異世界”という単語が脳内で多数のピースを一つに繋ぎ合わせていく。

 それは、助手席でこちらを不安そうに見つめるヒスイの存在がなければ到底理解できない言葉だっただろう。

 そしてこの瞬間、遼は未だ半信半疑だった異世界の存在を確信したのだった。

「――その異世界というのは”ネビュラ”、ですか?」

 電話の向こう側で息を呑む気配がする。

「!!……な……その名前を?」

「あの後向かった苔守村で、ネビュラから来たという方と合流しました」

 眼鏡を押さえてから続けて言う。

「……姉も、そちらにいるのですか?」

 これだけは確認しておく必要があった。

 もし、姉もネビュラにいるとなればその身柄の確保は一旦景真に任せる他ない。その上で二人をこちらに連れ戻す手段を探さねばならない。

 姉の顔が脳裏をよぎり、スマートフォンを握る手に力が入る。

「それはまだわ……ない。可能性はあると思う」

 まだ直接的な証拠は掴めてないようだが、景真同様ネビュラに転移している可能性はあるだろう。

 希望的観測かもしれないが、春華の生存を前提に動くのは絶対だ。

「どうやってこちらに連絡を?」

 その方法が分かれば今後も連絡を取り合うことができるかもしれない。その上で再現性のある手段であればなお良いが。

「よく……らないが、空穴(くうけつ)という空間の歪みの近く……繋がるみた……。くそッ、空穴が塞がり……て――」

 ブツッと音がして通話が切れた。

 遼は耳にスマートフォンを当てたまま、しばし熟考する。

 かつてヒスイが飲まれ、この世界へやって来る原因となったという空穴。それがネビュラとこの世界の通信を可能とするならば、やはりこちらから連絡を取るという事は不可能だろう。

 ならば次の機会があるかどうかはネビュラ側にいる景真次第という事になる。

 

「遼、今の電話は……?」

 じっとやり取りを見守っていたヒスイが恐る恐る尋ねてくる。

 スマートフォンを握る手を下ろし、端的に答える。

「協力者が今、ネビュラにいる、と」

 ヒスイが目を見開いた。

 驚きと困惑の中に、微かに希望の灯が揺れる。

 

 ――当然だ。

 それはつまり、ネビュラに帰る手段の存在の証明でもあるのだから。


 念のため大きく回り道をしてマンションに帰り着いた時には、すっかり日が沈んでいた。

 車を降りると、夜を迎えてもなおコンクリートの森に閉じ込められた熱気が体にまとわりつく。

 遼は周囲を警戒しつつ自室を目指すが、やはり尾行されている様子はない。しかし、エレベーター内の監視カメラすらこちらを見つめている気がして落ち着かない。

 何事もなく部屋に入って鍵をかけると、どっと疲れが押し寄せた。その場に座り込みそうになるのをなんとか堪え、買って来た寝具をリビングへと運ぶ。

 今すぐにでも横になりたかったが、強い空腹を覚える。思えば遼は朝食以降何も食べていない。

「ヒスイさん、お腹空いてますか?」

 ソファーに腰掛け天井を見上げて呆けているヒスイに聞くと、お腹に手を当ててから不思議そうに答える。

「……それほどでもないみたいです。不思議ですね、お菓子しか食べてないのに」

 あれだけカロリーを摂取すれば当然だろうと思ったが、食べきれないほどの甘いものを一気に食べるようなことは今までなかったのだろう。

 その辺りは(あかり)がきっちり管理していたのかもしれない。

「まあ、軽く食べておきましょう」

 さすがに料理する気になれず、パントリーからカップ麺を二つ取り出しテーブルに並べてから電気ポットで湯を沸かす。

 

「どちらにしますか?」

 それぞれに湯を注いでからヒスイを呼ぶと、出汁の匂いに誘われたようにふらふらとテーブルに寄って来た。

 二つとも同じ種類のカップうどんで、一つはかき揚げ、もう一つはお揚げが乗っている。

 純粋に、狐が本当にお揚げが好きなのかという興味があった遼は敢えて二つを並べ、その選択を見守る。

「……こっちで」

 ヒスイが指差したのはかき揚げの方だった。

 

「――えっ?」

 思わず声が出てしまった。

 考えてみれば、稲荷神の使いである狐への供え物がその好物として定着したというだけで、異世界から来たヒスイがそれを好む理由は無い。

 ……無いのだが、なぜかガッカリしている自分に気づく。

「……あっ、違うんです。お揚げは好きなんです」

 肩を落とす遼にそれを察したのか、ヒスイが弁明を始める。

「でも前に燈がこっそり買って来てくれたおうどんを食べた時に、お揚げからお出汁がじゅわっと……それでやけどしてしまって……」

 申し訳なさそうに言うヒスイに、人々の期待に応えんとする神様の悲哀を感じ悪いことをした気になってくる。

「すみません、無神経でした。何事も決めつけは良くないですね……刑事失格です」

 遼が頭を下げるとヒスイは両手を振ってそれを止める。

「わ……頭を上げて下さい! ほんと言うと、皆さんがお揚げをお供えしてくれるので少し飽きちゃってて……」

 声ら徐々に小さくなっていき最後に、

「でも、好物なのは本当です……」

 そう呟くように言って俯いてしまった。

 村でもこんな調子でちゃんと神様をやれてたのだろうかと心配になる。これでは威厳も何もあったものではない。

「どうぞ、もう食べごろです」

 そう言ってかき揚げの方をヒスイの前に差し出すと、しょんぼりと垂れていた耳を立たせてそれを受け取った。

「いただきます」

 揃って顔の前で手を合わせ蓋を取ると、ふわりと湯気が立ち昇りだしの柔らかい香りが部屋を満たす。

 美味そうにうどんをすするヒスイを横目に、お揚げに齧り付く。

「あつッ!」

 お揚げから染み出した熱々のだし汁が舌を灼き、思わず声が出た。ヒスイが遼の聞き慣れない声に驚き尻尾の毛を逆立てている。

 思わず合った目を逸らし、湯気で曇った眼鏡を拭ってから無言のままうどんをすするとヒスイがくすくすと笑う。


 ヒスイの笑顔と、だし汁の温かさが張っていた気をゆるゆるとほぐしていく。


 異世界の影が、じわじわと日常を侵蝕しつつある。

 このひと時の平穏がそう永くは続かないと、遼は心のどこかで気づいていた。

 

 


 

 

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