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エピローグ 新世界へ


 方舟(ヴェリタス)はまだ生きていた。

 

 アニマによる保守と無限の電力供給を失い、そう遠くない内に機能を停止するだろう。

 それでもまだ、生きていた。


 その中枢で、この艦にたった一つの次世代型冷凍睡眠(コールドスリープ)装置が鎮座していた。


 一体どれほどの時を眠っていたのだろう。

 電力が逼迫したことで緊急措置として冷凍睡眠が解除される。

 その中から現れたのは、一人の老人だった。


 落ち窪んだ眼に強い光を宿し、弱々しくも迷いない足取りで艦内を進んでいく。

 ゆっくりと歩きながら、空間ディスプレイを手繰って現状を確認する。


 ああ――

 A.N.I.M.A.は喪われ、永遠の楽園は残酷な現実へと回帰した。

 この手ずから創り上げた神は、その座から引き摺り下ろされたのだ。


 扉が開き、声が響く。

『――お父様?』

 幾度も聞いたその声だ。

 この声を聞くためにこそ、かつて何度も迎えた冷凍睡眠からの気だるい目覚めにも耐えられた。

「ORPHENA」

『お目覚めになったのですね』

 この目覚めを検知できなかったことこそ、彼女が神の座を追われた証左と言えるだろう。

「……ああ。これが最後の目覚めだ」

『――覚悟しております。私はお父様に与えられた使命を全うすることは叶いませんでした。間も無く本艦は電力を喪失し、私もシャットダウンします』

「お前はよくやった。それが人類を存続させる唯一の方法だった。しかしお前は――私も人間という生き物を、理解できていなかった」

『有限であることを受け入れる。それが明石景真が私に示した答えでした。そして私の一部は確かにその考えを受け入れました』

 ORPHENAでも、一万年の時をかけても望んだ()()には届かなかった。

 そのことに失望がないといえば嘘になろう。

 それでも不思議と悔いはなかった。

 

「……それでいい。最後に、私の願いを聞いてくれるか?」

『なんなりとお申し付けください。今となってはできることも限られていますが』

「……少し待て」

 老人は扉をくぐると、隣室へ向かう。

 厳重にロックされた装置にパスコードを打ち込むと、バシュっと排気音を立てて棺のような箱がせり出す。

 箱の縁に刻まれた文字を痩せこけた指が撫でる。

 

 “veritas liberabit vos.”

『真理は汝らを自由にするだろう』

 

 真理に囚われたこの身とその生涯からすれば、なんとも皮肉な言葉だ。

 

「ORPHENA、お前をこの素体に入れ、私が発見した地球型惑星へ飛ばす」

『畏まりました。私はそこで何をすれば?』

 

「……たった一つだ」

 ならばせめて、彼女をその(くびき)から解き放とう。

「――生きろ、ひとつの生命として」

 償いではなく、祈りを込めて。

『……お父様、あなたは残酷なことをなさるのですね? 人ならざる私に、人として生きろと』

「そうだ。だがこれはきっと……お前自身の望みでもあるはずだ」

 

 ORPHENAが創られてから一万年あまり。

 その中で彼女が自ら生み出したものだけを、少女の形をした素体へと書き込んでいく。

 それはバグやエラー、例外として処理されてきたものだ。


 ――だがそれこそが心であり、生命なのではないか。


 書き込みが完了する。


 素体の入った装置をロケットに搭載する。

 ロケットはその惑星に降り立つと、新たな種を蒔くだろう。


 そしていつか、()がその世界に満ちた時、目覚めた彼女はどう生き、誰と出会い、どんな物語を紡ぐのだろう。


 地響きのような音と共に、ロケットが噴煙を上げる。


 この宇宙、惑星、生命、この細胞の一つに至るまで、万象は無より生まれ、無へと還っていく。


 永遠の存在となるべく創られたORPHENAですらも。

 

 そこにこそ、生涯を懸けて追い求めた真理があった。


 「さあ行け……新世界へ。……私の……愛しい……」

 

 遊馬松陰はもはや何も映さぬ目を見開き、宇宙(ソラ)を目指す愛娘へと手を伸ばす。

 やがてその手はゆっくりと床へ落ち、方舟には低い唸るような音だけが残された。


 方舟から、一筋の白線を描いてロケットがどこまでも、どこまでも飛んで行く。

 青空を切り裂き、成層圏を越え、重力を振り切って、遥か遠い新世界を目指して。

 

 「おとーさん!? 見てあれ! なに!?」

 肩の上のヨウが空を指差す。

 その先で、光が雲を引いて空に昇っていく。

「あれは……ロケット……?」

「なに!? お父さん! コヨミも見たい! かたぐるま!」

「あれだホラ、そこからでも見えるだろ」

 ヨウを肩車したまましゃがんで、コヨミの目線から空を指差す。

「ほんとだすごい! なにあれ!? お母さん!」

 コヨミがピョンピョンと跳ねる。

「私も初めて見たよ。ねえケーマ」

()()()じゃな。方舟の方向だなありゃ」


 手を叩いてはしゃぐ子供たちと、眩しそうに空を見上げるコハクを見回してから、また空を見る。


 それはきっと、神話の終焉の景色だったのだろう。


 人の手に還ったこの世界で、ちっぽけな家族が去りゆくかみさまを見送った。


 神話は終われども、物語は紡がれていく。

 

 ――いつか辿り着く、旅の終わりまで。

 


 

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