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エピローグ 神なき世界 表 前


「――ってわけで、私はほとんど囚われの身だったからあんまり向こうの世界を見られてはないんだよ。もっと、土産話でもあれば良かったんだがね」


 騒々しい居酒屋の個室。

 ビールの大ジョッキを片手に、春華がそのよく通る声を張る。

「――っくぅー! やはり夏はビールだね。もう一生飲めないかと思っていたよ」

 喉を鳴らして豪快にジョッキをあおり、おっさんくさく嘆息する。

 

「でもホント、春華さんが無事で安心しました! まあ、春華さんなら大丈夫だって思ってましたけど。あ、お姉さん! 大ジョッキおかわり!」

 その右隣に陣取る茉由が春華のビールを追加注文する。

「芹澤さん、あまり飲ませないでください。その人、酔うと結構タチ悪いので」

「そういう遼はなに烏龍茶なんか飲んでるんだ。私の酒が飲めないのかい?」

 遼に咎められた春華がめんどくさく絡んでくる。

「私が飲んだらここにいる全員、どうやって帰るんです」

「……君は烏龍茶でも飲んでいたまえ」

 姉の勝手気ままな振る舞いにやれやれと首を振る。


 無事に帰ってきてくれたのだから、多少の横暴は大目に見よう。そんな心づもりだったが、すでに揺らぎつつある。


 「でもマジ、異世界ってロマンありますねー。いや、異世界じゃなかったのか。別惑星? 未来? もうわけわからん」

 それに関しては遼も決定的な答えを持ち合わせていない。

 「異世界でいいんじゃないのか? 恐らく、ネビュラがあったのはこことは別の並行世界だろう」

 一人で混乱する高瀬に、映画の解説でもする調子で乾が言う。

「ぁあ? なんだよ訳知り顔でよ。異世界ってのはそういうことじゃねーんだよ。わかってねーなー()()は!」

「やめろこぼれる。おい一ノ瀬、笑ってないでこのアホを止めろ!」

 高瀬に背中をバンバン叩かれながら乾は遼に助けを求める。

 この上高瀬の世話など見きれないので、こちらはいつの間にか仲良くなった様子の乾に一任することにした。

「高瀬さんは酒が弱いのに、なかなか潰れてくれないから厄介ですよ」

「そういうアドバイスを求めてるんじゃねぇよ……」

 

 諦めた顔でちびちびと酒を飲む乾をよそに、春華が左隣に座ってストローを咥える燈を向く。

「燈ちゃんは都内の高校を受けないのかい? うちから通ってもいいんだよ。君ならどの学校でも受かるだろう」

 苔守村も一応都内だが、というツッコミを遼が飲み込む。

 ヒスイが去った今、元通り独り身になった遼の元に置くのは流石にまずかろう――ということで燈は今、春華のマンションに居候している。

 夏休みが明けたら苔守村の隣町に用意された仮設住宅に移る予定にはなっているが、燈が春華に懐いたのと同様に春華もまた燈と離れ難い様子だった。

「春華さんと離れるのは寂しいし、都会の高校に憧れもあります……けど……」

 燈は取り皿の上の唐揚げを箸でつつきながら言い淀む。

 

「――けどやっぱりおじいちゃんを一人にできないので。村の復興も手伝わなきゃだし」

 そう力強く宣言して、春華に笑って見せる。

「……ん〜!! 健気だな君は! おねーさんはそんな君を全力で応援しよう! とっても、寂しくなるけどね!」

 春華が抱き寄せた燈の頭をくしゃくしゃと撫で回す。


 仲の良い姉妹のような二人を見て遼は微笑ましく思いつつも、その目にはどこか――失ったものを互いに埋め合わせようとしているように映っていた。


 「春華さ〜ん! 寂しかったら俺に埋め合わせさせてくださぁい」

 すでに出来上がりつつある高瀬がピンと挙手する。

 これはいよいよ本格的に止めねばならないかと立ちあがろうとすると、春華が高瀬を真っ直ぐに見て言った。

 

 「すまないね。私は今、ある人に想いを伝えて返事を待っている身だ。だから――彼以外の男性と個人的に(プライベートで)関わるつもりはないんだ」

 貸切の個室がしんと静まり返る。

 さっきまでの賑やかな空気と打って変わり、その声がとても真摯で――寂しげだったからだ。


 「……う。振られたぁ! ヒデ、慰めてくれぇ!」

「アホ。空気読め」

「春華さんがそんなに惚れるなんてどんなイケメン!? しかも保留!?」

「馴れ初め聞きたいです!」

 縋り付いて泣き始める高瀬を押し返しながら、乾は茉由と燈に恋バナをせがまれて笑う春華を観察する。

 

 「おい、一ノ瀬」

 乾は遼に耳打ちする。

「お前、春華さんをよく見てろよ。今のあの人、なんかやらかしそうで怖い」

 遼は顎に手を当てて思案する。

「……そうですね。でも多分、私じゃあダメなんですよ」

「じゃあ放っとくのか?」

「ええ。あとは時間と――乾さんにお任せしますよ」

「……アホぬかせ。――っておい高瀬! 人の膝で寝るな気色悪い! よだれ!」

 遼は喉を鳴らして笑った。

 こんなに素直に笑えたのはいつ以来だろう。

 ――初めてかもしれない。


 それでも一つ、胸の奥につかえているものがある。

 明石景真。

 あれから一週間が経つが、彼は帰ってこなかった。

 彼に”鍵”を託し、その後ネビュラで何が起きたのかを遼は知る由もない。

『全てを片付けてから帰る』

 彼はそう言ったと、春華は言っていた。

 けれど、姉の口ぶりにはどこか強い諦観が滲んでいて、遼もまた景真は戻ってこないつもりなのだと感じ取っていた。


 明石景真はその身すら顧みることなく、異世界までも春華を救いに向かい、見事に成し遂げた。

 その彼が、春華と生きる未来を諦めざるを得ない何か――その理由がネビュラにあったというのだろうか。


 「飲みに行こうと、約束したんですがね」

 独りごちた言葉は、居酒屋の喧騒に飲まれていく。


 誰にともなく烏龍茶のグラスを掲げると、溶けた氷がカランと硬い音を鳴らした。

 

 

 

 

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