第三十話 表 遼か遠き星、遥かなる未来へ
「ルカス。何も持たぬお前を拾い、育んだわたくしを、女神を裏切るのですか?」
「何も持たぬ、だと? よくもぬけぬけと。故郷を、家族を、人生を奪ったあんたが!」
御堂コトネ――アリエスの眼が驚きに見開かれる。
「……! 記憶を取り戻していたのですか」
「36年間、この日を待ち侘びた!!」
ルカスはキャットウォークの手すりに跳び乗ると、それを蹴った。
放たれたロケットのように突っ込み、乱暴に叩きつけた剣をアリエスは杖で受け止めた。
杖のベルが鳴り、火花が散る。
「身の程を弁えなさいルカス。人間如きが女神の神子たるわたくしに勝てるはずがないでしょう……!」
「あっちの世界じゃあ逆立ちしてもあんたには勝てん。だが――こっちでならどうだ!!」
鍔迫り合いをしながらルカスが繰り出した蹴りがアリエスの鳩尾を捉え、その華奢な体が吹き飛び、床を滑る。
「が……はっ……」
「――無様だな。立て。その程度でくたばるようなタマじゃないだろう」
アリエスは杖を頼りにゆっくりと立ち上がり、肩で息をしながらルカスを睨みつける。
その視線を意にも介さず、ルカスは一瞬で距離を詰めると斬撃を叩き込んだ。
アリエスはその一撃も杖で受け止めるが、強引に振り抜かれた剣に押されよろめくように後退する。
「……ルカス。このわたくしを欺き続けてきたその傲慢。精神力。賞賛いたしましょう。ですが――」
コンコン、チリチリン。
二度、杖の先が床を叩く。
ゴォーと空調がフル稼働しているような音が響き、地下の空間に風が巻き起こる。
その風と共に、この世界にあってはならない何かが着実に広間を満たしていく。
「――アニマだと!? くそッ!!」
ルカスは床を強く蹴り、アリエスに迫る。
コツン、チリン。
杖の先が床を叩くと足を踏み出したルカスの左右の床が隆起し、鋭い槍と化す。
床から突き出た二本の槍がその体を貫き、その場に縫い留めた。
「が……っは……」
ルカスは口から血を吐きながら前へ進もうとするが、足掻けば足掻くほど棘は深くその身により深く食い込んでいく。
「哀れですね、ルカス。わたくしに従っていればお母様の創る新世界で、支配する者として生きられたのに」
その言葉には憐憫の色が滲む。
「ほざけ……。そんなもの……願い下げだ……」
「――いいでしょう。望み通り死を賜りなさい」
ルカスの目が強い光を宿して遼を見る。
「一ノ瀬遼!! “鍵”を使え!!」
「――!! まさか、使えるはずがない!! この世界の人間に!!」
ルカスが叫び、アリエスが狼狽する。
背中に温かなものが伝わり、感覚が拡張されていく。
ヒスイが遼の背に手を当てて囁く。
「遼、目を閉じてください。視えるはずです。アニマの声が」
その言葉の通り、遼は目を閉じた。
広間に満ちるアニマ、その一つ一つに神経が通うように空間そのものが自身の体と、意識と一体化していく。
――その中に在る、アリエスの存在そのものすらも。
「止まりなさい!!」
アリエスが悲鳴のように叫び杖を突き出す。
遼の周囲に無数の光球が生まれ、その輝きが増し、
――遼の手の一振りで霧散した。
「な……」
必殺の攻撃をいとも簡単に無力化されたアリエスが後退りするが、その足が止まる。
いや、アリエスの足は遼の意思で止められていた。
今やこの空間は遼の意のままだ。
あらゆる攻撃は遼に届かず、何人たりとも遼の意思に反することはできない。
やはりこの力は危険だ。
人間の精神ではこの全能感に抗い、自我を保つことは叶わないだろう。
ならば一刻も早く終わらせなければ。
「御堂コトネ。いや、アリエス。あなたに奪われたものは全て返してもらう。そしてあなたにもオルフェナにもこれ以上、何も渡さない」
「このまま進めばこの惑星は……人類は滅ぶのですよ!? あなたの子孫はおろか草一本すら残らない!! 人類を導き、滅びの未来を変えられる存在はお母様を置いて他にない!!」
「――それでもです。人はその未来に抗い、あるいは敗れるかもしれない。それでも、それを決めるのはあなた方じゃない」
アリエスの足元から、少しずつ白い石が広がっていく。
足、手、脚、腕と順に、身につけているものもろとも石と化していく。
「……きっと、後悔しますよ。女神の……救いの手を払ったことを」
その言葉を最後に、アリエスは永遠に声を失った。
そこに残されたのは白く美しき、聖女の石像だった。
遼の一瞥でルカスの体を貫いていた槍が消える。
穿たれた傷口から血が溢れかけるが、それは即座に修復された。
「……なぜ、俺を救う」
「あなたは私たち家族をずっと守ってきた。見殺しにできるはずもないでしょう」
「俺はアリエスの駒だった。それだけが……揺るぎない事実だ」
「ルカス……」
視界の端で白い影が揺れる。
そこに立っていたのは一ノ瀬かなた――リベルテだった。
「……記憶が戻ったのか」
「……うん。ネビュラのことも、村が襲われたことも、その後のことも、全部。――遼、大きくなったね。そばにいてあげられなくて、ごめんね」
「……父さんと姉さんがいたから、寂しくはなかったよ」
「そっか。早く会いたいな、あの人と、春華にも」
「きっと、すぐ会えるよ」
遼の言葉に、かなたは静かに頷いた。
「ルカス、あなたのお陰でこうしてまた遼に、家族に会えたよ。ありがとう。こんな言葉じゃ足りないね」
「……俺は、あいつらに奪われたものをせめて一つでも取り返してやろうと足掻いた。それだけだ」
顔を背けるように言うルカスに、かなたは柔らかく微笑んだ。
足元の紋様が黒い光を放つ。
遼の意思の下、完全に制御された空穴が発生する。
ポケットからスマートフォンを取り出し、圏外であることを確認する。
でももう、こんなものは必要ない。
アニマを接続し、門を開き、距離も時間も飛び越えて、その先にある明石景真のスマートフォンを探知する。
それは門の出口の、すぐそこにあった。
これが最後の異世界通信だ。
全てが終わったら、彼を飲みにでも誘おう。
姉も、乾や茉由、高瀬も呼んで、異世界の冒険譚を聞かせてもらう。
――それに、彼になら姉を取られても納得できるだろう。
呼び出し音が二度、三度鳴り、
二人の最後の通話が――繋がった。




