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断章 9 雨夜を裂く


 「次、ルカス! 45号!」

「はい!」

 返事をし、木剣を構える。

 教えられた型に忠実に、45号の木剣を弾き、叩き落とし、脇腹に一撃を打ち込む。

 枝を叩き折るような嫌な感触がし、45号は唸り声を上げてその場にうずくまった。

 こいつは俺より前からここにいて、身体もデカいのにてんで弱っちい。

 素振りや木剣に向けて打ち込む時は威勢がいいのに、いざ相手の体に打ち込むとなると、まるで撫でるように剣が鈍るのだ。

 それはきっと、覚悟がないからだ。

 

 俺にはある。

 仲間だろうが必要ならばこうして打ちのめし、女神様とアリエス様のためなら誰だって殺す。そんな覚悟が。

 

 ()()()()()()俺が、アリエス様に拾っていただいてから二年。

 毎日木剣を握り続けた手のひらは朝夕配られるパンより硬くなっていた。

 

 「よし次、78号! 93号! おい45号! 何してる、すぐ下がれ!」

「はい!」

「は……はい……」

 45号は脇腹を押さえ、這いつくばるようにして端へ下がる。


 「相変わらず容赦ねぇなルカスは。もうここじゃ、お前に敵うやつなんかいねーだろうに」

 意気揚々と引き返してきたルカスに56号が声をかける。

「教官が言ってただろ。敵に情けをかけるなって」

「敵っつったって仲間だろ?」

「……訓練でできない奴は本番でもできないよ」

「はいはい、それも教官の受け売りな。やっぱ名前もらえてる奴は違うなー」

「おいそこ! 静かにしろ!」

「は……はいっ!」

 教官の怒号で56号も慌てて黙り込んだ。


 こいつも、何もわかっちゃいない。

 俺たちは女神様のために生かされ、女神様のために殺し、女神様のために死ぬ。

 その覚悟がないなら、さっさと死んだ方が幾分かマシだ。

 そうすればアリエス様に迷惑をかけることもない。


 あと二年。

 十五になれば、実戦部隊に入れてもらえる。

 日の光をキラキラと反射する、巨大な”方舟”を見上げる。

 その時に()()を満たせなかった連中はあの”方舟”の下で虫ケラみたいに寄り添って生きていくしかない。

 

 俺は奴らとは違う。

 誰よりも役に立ち、誰よりも戦い、誰よりも殺す。

 そうして認められて、いずれは使徒になる。

 今は見上げるだけのあのきれいな”方舟”の中に住んで、アリエス様(母さん)の横に立ち、支え続けるんだ。



 雨音で、何も聞こえない。

 いや、時折り響く雷鳴だけが雨音を乗り越えて鼓膜を揺らしている。

 顔を伝う雨が呼吸をするたびに口の中へと流れ込んでくる。


 初めての実戦。

 ターゲットはレギン商会の幹部ヤーリュと、その家族。

 ヤーリュは商売敵であるフォボス商会を異端審問にかけるため、救世教との繋がりを教皇庁にリークしようとした。そこで粛清が決まったのだ。

 これは試験だ。俺が実用に足るかどうかの。

 だから他の隊員は屋敷の周囲を固め、実行部隊は俺一人。

 けど十分だ。

 俺は同期の誰よりも強い。上の奴らにだって、負ける気はしない。

 

 明かりの漏れる窓を覗く。

 書斎ではキザな口髭を生やした男が一人、書面に向き合っていた。

 人相書き通りの顔。あいつがヤーリュだ。


 三歩後ろに下がり、助走するとそのまま窓に飛び込んだ。

 ガラスの割れる音は、雷鳴にかき消された。

 何が起きたのか理解できず固まるヤーリュが驚く暇すら与えない。

 喉を一突きし、捻る。

 声も上げられず、大量の血を流してその中で溺れるようにもがくヤーリュを冷たく見下ろす。

 

 初めての実戦。

 初めての殺し。

 やっぱり――何も感じない。

 

 こいつは女神の敵だ。

 死んで当然の人間なのだ。

 この世界を創り、育み、その慈愛で包み込む女神様の、その意思を解さぬ畜生にも劣る存在だ。

 それを誅するのに躊躇などあるはずがない。

 

 だからこの手の震えは、武者震いだ。


 コンコンコン。

 ノックの音が風雨吹き込む書斎に響く。

「あなた? 何か派手な音がしたけれど、大丈夫?」

 ヤーリュの妻か?

 どうやら窓を割った時の音に気づかれたようだ。

 問題はない。妻子もろとも消す。それが任務だ。

 

 返事がないことを不審に思ったのか、ヤーリュの妻がゆっくりとドアを開く。

 そこで見たものは、血の泡を吹いて絶命した夫と、血に濡れた剣を持つ黒衣の少年。


 「きゃぁぁぁぁああああ!!!!」

 絶叫が夜を切り裂く。

 しかしそれも、激しい雨音が消し去っていく。

 

 驚愕、恐怖、狼狽――絶望。

 女はそれらの入り混じった顔をし、二歩後退する。

 ついでに腰でも抜かしてくれれば簡単だな、などと考えながら剣を握り直す。

 が――すぐに女の目に強い意志が宿った。

 女は踵を返すとすぐに長いスカートを振り乱して駆け出した。

 予想外の動きにすぐそのあとを追おうと床を強くて蹴る。

 しかしその足は十分な摩擦を得ることなく空転した。

 

 しまっ――

 

 血糊と雨が混ざったそれに足を滑らせた俺は、前のめりに転倒した。

 今日支給されたばかりの黒衣が、生温かい血に染まる。

 とんだ失態だ。減点も免れないだろう。

 ぬるぬると身を包むそれに舌打ちし立ち上がると、女の後を追った。


 玄関のドアが開いている。

 外に逃げられたが、当然見張っていた連中は手伝ってなどくれない。

 それどころか、俺のこの様を見て笑っていやがった。


 街の中を駆け回る。

 暗さに加えてこの雨だ。視界は最悪だった。

 幸い、人通りは皆無だ。

 だから人目も気にせず、ただ女を探す。

 恐らく、子供を連れて逃げたはずだ。そう遠くへは行けないだろう。


 雨が黒衣に染みた鮮血を洗い流し、地面に薄く赤い跡を残す。

 構うものか。

 この雨だ。朝までには全て洗い流されるだろう。


 稲光が走り、裏路地の奥で震える人影を照らし出す。

 そこにいたか。

 女子供とて容赦するつもりはないが、なるべく苦しまないよう始末をつけよう。

 

 水溜まりの中を一歩ずつ近づく。

 ここは袋小路だ。もう逃げ場はない。

 

 「……私はどうなっても構いません!! どうか、この子だけは……!!」

 必死の懇願だった。

 夫を惨殺した相手に頭を下げ、自らの命すら差し出すつもりか。

 再び稲妻が裏路地を照らす。

 母の腕に庇われて、こちらを見上げていたのは小さな少女だった。

 母親と同じ銀色の髪を雨に濡らし、その頬を伝うのは雨か、涙か。


 「ぐ……が……ぁ!」

 頭が痛い。

 脳の中心を裂いて、何かが生まれようとしているかのような激しい痛みに、頭を抱えてうずくまる。

 

 蓋が開く。

 

 閉ざされていた記憶の蓋が。

 

 燃える村、囚われた家族、揺れる白銀の髪。

 掴めなかった小さな手。

 

 四年前の、あの日から。

 記憶を、故郷を、両親を、弟を――友達を。

 その全てを失った、あの日までの記憶が深い井戸から溢れ出す。


 続いて井戸の底から噴き出したのは、真っ黒な憎悪だった。

 

 全てを奪い、全てを与えたあの女への。


 「……行け」

「え……?」

「早く行け!! 逃げろ!!」

 ヤーリュの妻は困惑した様子だったが、娘を抱いて立ち上がるとその場を走り去った。


 その背を呆然と見送ると、自分が笑んでいることに気づく。

 頬を伝う雨に、温かいものが混ざるのを感じる。

 あの日以来、初めて流す涙だ。


 ふらりと立ち上がる。

 あの凄まじい頭痛は消え失せ、頭の中が澄み渡るようだった。


 「……リベルテ」

 

 大切なものを愛おしむように呟き、ルカスは夜の闇へ歩き出した。

 

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