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第二十九話 裏 未来の遺構 後


 娯楽室に響く戦闘の音が遠のき、少女の鼻にかかった甘い声だけが脳を痺れさせる。


 目の前に小さな手が差し出される。

 

 この存在は危険だ。


 頭では分かっているのに、そのあどけない笑顔、幼気(いたいけ)な瞳から目を離すことができない。

  景色も後ろで戦っているメノウたちの姿も遠のき、視界が狭まっていく。

 糸で操られるかのようにその手を取ろうとした次の瞬間――刀が閃き、目の前に差し出された紅葉(もみじ)のような手はその首とともに斬り落とされた。

 刺し貫くような喪失感が胸を襲う。

 何も喪ってなどないはずなのに。

 手と首は床に落ちると煌めく砂となって宙へ消え、残された身体も幻のように消え去った。

 

 「行け!!」

 呆然と目の前の少女が消え去る様を見ていた景真は全登(てるずみ)の声で我に帰った。

 すぐ目の前に立っていたはずの少女は視線の向こうで大男と戦っている。

 コハクに手を引かれるまま扉をくぐる。


 全登が扉を閉じるその直前、隙間から娯楽室の最奥で舞うように戦斧をかわす少女と目が合う。

 その口が動き、届くはずのない声が確かに聴こえた。


 『――待ってるよ、ハルカお姉ちゃんが』


 扉が閉じると、娯楽室の音は完全に遮断された。


 「……ケーマ?」

 隣を走るコハクがどこか心配そうに声をかける。

「……? どうかしたか?」

 心配される心当たりがない景真はそう問い返す。

「なんだか……笑ってるように見えたから」

 そう言われてキョトンとコハクを見返してから、初めて自覚した。

「……そっか。確信できたからだな、きっと。先輩が、ここにいるって」

 コハクの瞳が七色に揺れた。

 何色とも言い表せず、混ざり合うこともない。そんな色に。


 この先何が起ころうと、この旅は終わるのだ。

 ここはその終着点。

 決着がどうあろうと、この先二人の道が交わることはない。

 元より文字通り、生きる世界が違うのだから。


 胸の奥に大きな空白が生まれる。

 全てが上手くいき、地球(オービス)へ帰り、春華との日常に戻れたとしても、この空白はきっと埋まることはないだろう。


 それでも、

「行こう、コハク」

 その手を取る。

 約束を果たすために。

 それぞれの願いを叶えるために。

「……うん」

 コハクは頷き、景真の手を握り返した。


 有重力区域は続く。

 だが先ほどまでの()()()は失せ、研究室や工廠(こうしょう)といった、より実務に直結した区画が並んでいた。


 「電力区……この先が管制区。そして、オルフェナが座す中枢区だ」

 景真が端末に触れ、扉を開く。


 いくつものコンソールやモニターが並び、前面には窓がある。

 その向こうに見えるのは、巨大なタービンだった。

 名の通り、ここでこの巨大な艦の電力を一手に賄っていたのだろう。

 いや、方舟に入ってからずっと感じていた唸りのような振動。ここはその発生源だ。

 つまりまだ、この艦は()()()()()


 奥から足音と、コツコツと木で床を叩くような音が響く。

 小さな影がこちらへと近づいている。

 「良くぞおいでなすった。やはり()()には荷が勝ち過ぎたようだ」

 暗闇から現れたのは、山羊の角を持ち杖をついた老人だった。

()()()か。不死の化け物がそのような老いた姿とは面妖だな」

 全登が刀を突きつけて言う。

「ホッホッホ。我ら使徒は存在そのものがすなわち女神の意思。外見もまた、女神がそう望まれただけのこと」

 杖をつき三歩、こちらへ歩く。

「申し遅れた。わしはカプリコーン。ご推察の通り、山羊座の使徒だ。して――」

 カプリコーンはそう言って小さなモノクルを押さえる。

「日本の戦国時代を生きた大名、明石全登。この世界の歴史では、天寿を全うしたとなっていましたが。いやはや、そのご本人とこのような場所、このような時に出会おうとは、なんと数奇な巡り合わせか。これも女神のご采配ですな」

「戯言を。こちらは大迷惑だ」

「おっと失礼。わしの趣味は、オービスの歴史(アーカイブ)の閲覧でしてな。そこに名を連ねるお方との邂逅に、いささか興奮してしまったようだ」

 手を広げて弁明するカプリコーンに全登が二歩詰め寄る。

「ここはお前一人か? まだ使徒は四人……いや、四組しか確認していない。残りはどこにいる?」

「ふむ。それにはお答えしかねるが、十二使徒全てがこの艦にいる、ということはありませんな。それぞれに任務がありますゆえ」

「それは朗報だな。――ここを通せと言ったら?」

「力づくで押し通りくだされ」

 言い終わるのとほぼ同時に、二人の黒マントがカプリコーンに斬りかかった。


 曲剣と短剣、二振りの刃を杖と素手でそれぞれ受け止める。

 空間が軋む。

 アニマがカプリコーンの体に吸い寄せられているようだ。

 その体が膨張し、纏っていた質素な服はそれに耐えきれず千切れ落ちた。

 見上げるような筋骨隆々の肉体に、老人の顔。

 そのアンバランスさは言いようのない不気味さだった。あるいは、見方によってはコミカルとも言えたかもしれない。


 「さぁ、かかっておいでなさい。こうして戦うのは久方ぶりゆえ、手加減はできませんぞ」

 そう言ってカプリコーンが腕を広げて構えを取ると、室内の重力が増したように感じた。

 否、実際に重力が強まっていた。


 ドッ!!

 その巨大からは想像できない速さで踏み込むと、曲剣の男が吹き飛び一瞬で窓に叩きつけられた。

 分厚い強化ガラスにヒビが入り、男は血を吐き端末の上にへたり込む。


 「やむを得んか……四人だ」

 全登の言葉でさらに二人が弓と槌を手にカプリコーンを取り囲む。

 二人では止められないと踏んだのだろうか。

「進むぞ!」

 すぐさま部屋の奥へ走る全登を景真たちも追う。

「待たれよ!」

 それを見て振り返ったカプリコーンの足首から鮮血が迸る。

「ぐっ……ぬ」

 ガクッと膝をつき振り返ると、低く構えた曲剣の男が血の垂れた口を歪めて不敵に笑う。

「よそ見してんなよ。あんたの相手は俺たちだ」

「――いいでしょう。あなた方を始末してから、後を追うとしましょう」

 

 巨大な拳が振り上げられ、重力がその圧を増す。



 

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