第二十八話 表 地の底で待つもの
御堂コトネがその足を前へ進め、礼拝室に侵入する。
その瞬間、この白い空間の位相が変わった。
扉も閉じられていないのに、世界から切り離されたように感じられた。
遼たちは影を縫い付けられたかのように身動きも取れず、ただ御堂コトネの美しい笑みを注視している。
「……御堂コトネ……あなたは何者なんですか?」
やっとの思いで遼が声を振り絞ると、御堂コトネは意外そうな顔をした。
「あら、それは裏切り者から聞いていなかったのですね。わたくしは女神ORPHENAの使徒が一柱、アリエスと申します。お母様からいただいた、こちらの名で呼んでいただけると嬉しいですわ」
そう言ってこの上なく上品で、名状し難いほど悍ましい笑みを浮かべる。
一柱、ということはこんな化け物が複数いるのだろうか。
北畠は教団の幹部ではあったが、間違いなくただの人間だった。あれは遼が刑事として今まで目にしてきた悪党の域を出ない。
だが、今目の前にいるそれはただの人間などではあり得ない。いや、そもそも人間ではないのだろう。
ならば、御堂コトネ以外の使徒とは誰か。
一人だけ、心当たりがあった。
あの赤髪の男だ。
その言葉通りに遼はこの六号施設を訪れ、そこにはこの御堂コトネが待っていた。
やはり罠だった、と考えるべきだろう。
「鈴木……あの赤髪の男も、その使徒なのですか?」
「ルカスのことかしら? あれは使徒ではありません。この世界の人間でもないけれど」
そう言って、御堂コトネは遼たちに背を向ける。
その背中は完全に無防備に見えるのに、近づくことすらできなかった。
「苔守村……私の故郷を……家を……家族を――あんな風にしたのはあなたたちなの?」
燈が拳を握りしめ、声を震わせている。
「ああ、あれは不運な事故。偶然巨大な空穴が生まれ、偶然あの村の上に繋がった――それだけのこと。元を辿ればお母様をこちらへ呼ぶための実験のせいと、そう言えなくもありませんが」
「不運? それだけのこと? ……みんな死んだ! 何もかも無くなった!! それをッ――」
「燈!!」
感情のまま御堂コトネに迫ろうとした燈の体を、ヒスイが後ろから抱いて制止した。
「っ……ヒスイ様」
振り返る燈の顔が歪む。
何も言わず必死で燈の背にしがみつくヒスイの姿に、燈は少しずつ落ち着きを取り戻した。
「今頃、教団本部である第一施設には家宅捜索が入ってるはずですよ。いいんですか? 教祖であるあなたが、こんな所にいて」
遼の言葉に御堂コトネはクスクスと笑う。
「あれはやはり、あなたの差し金でしたか。構いません。星雲救世会はもう、その役目を果たしました。そう――」
カツン、チリン。
御堂コトネの右手に握られた杖が床を軽く叩くと、上部に取り付けられた鐘が鳴る。
「あなたが今日、ここを訪れた時点で」
鈍い音を立てて扉が閉じると、足元が発光し室内が照らし出される。
ガコン、と足元が揺らぎ一瞬だけ身体が上へ引かれた。
白い女神像の後ろに丸い柱のようなものが上へ上がっていくように見える。
部屋がそのままエレベーターのように下降しているようだ。
音もなく下降は止まり、扉が開く。
ほんの数十秒だったはずだが、まるで地獄の底まで降りてきたような心地だった。
「さぁ、こちらへ」
御堂コトネが開かれた扉から部屋を出る。
扉の向こうはすぐ石壁になっていて、御堂コトネはそこを右手に曲がると姿が見えなくなった。
規則的な足音が地下に響き、徐々に遠のいていく。
礼拝室に取り残された遼はヒスイと燈を見る。
三人は目を見合わせると頷き合い、遼を先頭に礼拝室を出た。
石造りの通路に出ると、地下の湿気を含んだ空気がひやりと体を包む。
黴の匂いが鼻をつき、扉と同じ高さの低い天井に酷く圧迫感を覚える。
右手に曲がると、道は長方形の礼拝室に沿うようにまたすぐ右に曲がっていた。
地下道はところどころ壁に取り付けられた明かりでまばらに照らされている。
その先に揺れる御堂コトネの白い影は、幽霊のように虚ろいで見えた。
礼拝室の一番奥に当たる位置まで進むと右手に細い通路があった。
素早くそこに入り込むとまたそのすぐ右手に円柱が見える。礼拝室が下降した際、上っているように見えた柱だろう。
その中はくり抜かれており、内部に梯子が取り付けられているのが見えた。
礼拝室ごと動かすことなく地下へ降りるための通路なのだろうか。
あるいは、あそこから地上に戻れるかもしれない。
そう期待し円柱に入り上を見上げるが、漆黒の闇が広がるばかりだった。
「……何もありません。先へ進みましょう」
ヒスイたちに言い、再び御堂コトネを追う。
進むほどに通路は幅を広げ、天井は高くなっていく。
不意に、床と壁の材質が変わった。
壁に触れると継ぎ目もなく、金属と陶器の中間のような奇妙な滑らかさだった。
目が眩む。
突然白い光に包まれ、思わず目を閉じた。
恐る恐る目を開くと、目の前にあったのは白い壁だった。
その前に立つ御堂コトネが壁の中央に埋め込まれた玉のようなものに触れると、その壁は四つに裂け、奇怪なほど滑らかな動きで音もなく側面に収納された。
御堂コトネは遼に微笑みかけると、その先へと進んでいく。
そこはちょっとした講堂くらいの広間だった。
床には赤黒い線で描かれた、巨大な図形があった。
正円の中に見たことのない文字や図形がびっしりと書き込まれており、それはファンタジーで言うところの魔法陣のように見えた。
そして血の匂い。
それも、長い年月をかけてじっくりと染み付いたような、すえた匂いがこの地下の空間を満たしている。
その向こう、広間の最奥に視線が吸い寄せられた。
壁際に人影があった。
鎖で繋がれ、ぐったりと壁に体を預けている。
どうやら意識を失っているようだ。
遼は縫い付けられたようにそこから目を離せない。
美しい銀色の髪を床まで垂らし、知らないはずなのになぜか懐かしさを覚えるその顔は――
「あれはここまで”鍵”を運んできてくださった、あなたへのご褒美。お気に召したかしら?」
確信はない。
父が見せた写真は27年も前のものだ。
だが、確かに面影がある。
あれは――
「そう、あれはリベルテ。いえ、一ノ瀬かなた。あなたの――母」




