第二十八話 裏 使徒 後
戦いが終わり宵闇が辺りを包んでもなお、全登は変わらず盆地を睨み続けていた。
時折り黒装束がどこからともなく現れては全登に何やら耳打ちをして去って行くが、それを聞いては地図に何かを書き込むばかりでこれと言って動く様子はなかった。
景真とコハクはかれこれ数時間、息を殺すようにして全登と方舟の様子を交互に眺めていた。
「主」
コハクと残っていた最後の羊羹を分け合って食べていると、しばらく姿を見せなかったメノウが全登の元に現れた。
これまで報告に来た黒装束たちと比べると、その顔には明らかな焦りの色か見える。
「皆に聞こえるよう報告しろ」
メノウがその耳元に顔を寄せると、それを遮るように全登が言った。
何時間も黙ったまま報告を聞くのみだった全登の声に、メノウは一瞬たじろいだが、深く呼吸をしてから声を上げた。
「……聖堂騎士団本陣に使徒が出現。聖堂騎士団は壊滅しました」
空気が張り詰めて行くのが肌でわかる。
日中の戦いでは異端者を圧倒していたあの聖堂騎士団が壊滅?
使徒というのは、それほどまでに強いと言うのだろうか。
景真には受け入れがたい話だったが、全登は眉ひとつ動かさない。
「現れた使徒は何人だ?」
全登はメノウを見ることなく問う。
「確認できたのは一人。天秤だけです」
それを聞き、また黙考する。
続いて現れた黒装束が言う。顔は見えないが、こちらは若い男の声だ。
「間もなく公国軍が動く。本隊は西へ、アゲントの騎馬隊は中央へ」
全登は何も返さず、腰に差した刀の柄を人差し指でトントンと叩いている。
その視線は、ひたすらに眼下へと注がれていた。
柄を叩く音が時を刻むように響く。
その様子は盤面を睨む棋士のように、景真の目に映った。
人差し指の動きが止まる。
「全軍を集めろ」
そう告げてから全登が立ち上がった。
「これより方舟へ向かう」
その言葉に周囲にいた者たちがざわめく。
「使徒は一人しか確認できてないのだろう? 天秤がまだ西に留まっていたとしても……」
「無謀なんじゃないか……」
「まだその機ではないのでは……」
「すでに賽は振られた。その目が定まらぬこの一時こそが唯一の勝機だ」
厳然と、全登が告げる。
決して大声ではない。しかし、その言葉で辺りはしんと静まり返った。
「景真、コハク。覚悟はできているな」
握った手のひらにじわりと汗が滲む。
「……ああ、できてる」
そう答えたが、本当のところは自分でもわからなかった。
間違いなく言えるのは、覚悟できていなかったとしてこの戦争は待ってなどくれないだろうということだ。
もはや是非もない。
この点より後には引けず、留まることもできない。
前にしか道は無いのに、その道は深い霧に覆われている。
言いようのない不安に駆られて横に立つコハクを見ると、彼女もまた顔を強張らせていた。
やはり未来は視えないままなのだろう。
この先に待つのは世界の分岐点だ。
その岐路にあって、答えなど視えるはずもない。
「行こう、コハク。……君を守るなんてカッコいいことは俺には言えないけど、最後まで隣にいるから」
「……うん。私も、ケーマの隣にいる。最後まで」
未来は視えずとも、その言葉だけは信じられた。
“第三の翼”は景真たちを中心に菱形の陣形を組んで斜面を駆け降りる。
その菱形の四つの頂点にはそれぞれ術師が配され、敵の眼と攻撃を阻害する力場のようなものを展開しているようだ。
斜面を降り平地に入るが、敵陣に動きは見られない。
方舟の周囲に広がる家々からは小さな灯りが漏れるばかりで、不気味なほどに静まり返っている。
しかし、集落まであと半分、という距離まで進んだ所で陣形前方の黒マントが声を上げた。
「攻撃が来る!! 盾の出力を最大にしろ!!」
その声で一斉に前進を止め、周囲のアニマがその密度を増す。
隊の前方に張られた青白い壁が、景真でも目視できるほど厚く、濃くなっていく。
閃光。
前方から放たれた白い光が直線を描き、陣形の右翼に突き刺さった。
アニマで形作られた壁には丸い穴が穿たれている。
矢だ。
放たれたと認識した時には既に、その術師を的確に射抜いていた。
いや、射抜いたなどという生やさしいものではない。
術師は上半身を丸ごと消し飛ばされていたのだから。
――キィン。
耳鳴りのような音が遅れて鼓膜を襲い、景真は思わず両手で耳を抑える。
皆が呆然と右翼を見やる。
が、全登と十二剣はただ前を見ていた。
「止まるな!! 進め!! 右翼の術師を交代!! 前方に盾を集めろ!!」
全登の声が闇夜を切り裂く。
その声で隊は我に帰ったように前進を再開した。
再び閃光が突き刺さる。
今度は先頭に。
術師が交代し、さらに前へ。
次は左翼に。
撃たれては交代し、前へ。
――中央へ。
閃光が目の前で弾け、青白い盾を穿ち火花のように青い光が散る。
景真は恐怖を感じる暇すらなく、すぐ目の前に迫る光の矢を見つめていた。
死――
光に包まれながらそれを認識したその時、矢は最も厚い中央の壁に辛うじて阻まれ、景真を貫くことなく止まった。
中心部は守られ、末端は切り捨てられる。
そして、術師たちはそれを覚悟の上でその身を投げ打っている。
景真たちをあの方舟に辿り着かせる、ただそれだけのために。
ついに集落の入り口まで辿り着いたところで全登が言う。
「シンシャ、ギョクズイ。お前たちであの射手を止めろ」
「はっ!」
二人の黒マントが隊列を離れ、人間離れした速度で家々の間を駆けていく。
その姿はすぐに見えなくなったかと思えば、屋根の上に現れるとその上を飛ぶように駆けていく。
二人は物見櫓から放たれる光の矢をかわしながら距離を詰めていき、やがて視界の端に物見櫓が崩れるのが見えた。
その後光の矢が隊を襲うことはなかった。
集落に入ると隊は陣形を解き散開した。
バラバラに現れる異端者たちを斬り伏せながら中央に鎮座する方舟を目指す。
アゲント騎馬隊の攻撃も受けているからか、この南側は思いの外手薄に感じられた。
嗅ぎ慣れない匂いが鼻をつく。
血の匂い。
それに、肉の焦げたような匂い。
昼間、遠く見た景色を思い出す。
死の匂い。
上から見る景色には伴わなかった実感が、ここには渦巻いていた。
吐き気が込み上げ、それを無理やり抑え込んで足を前へと運ぶ。
「はぁ……はぁ……コハク……大丈夫か?」
呼吸が苦しいのに、深く吸うと不快な匂いを嫌でも体内へ取り込んでしまう。
「私は大丈夫。ケーマは? 顔が真っ青だよ」
「……平気だ」
強がりだったが、そうでなければ話にならない。
まだ方舟に辿り着いてすらいないのだから。
全登と”十二剣”……この場にいるのは十人だが、彼らに護られながら無我夢中で走っていると、徐々にその巨大な船体が近づいてくる。
鏡面のような外壁に大きくその艦の名が刻まれていた。
『VERITAS』
「……本当にこいつは、地球から来たんだな」
見慣れた文字で書かれたそれを見上げ、ぽつりと呟く。
「あれは……オービスの文字?」
コハクは初めて見る文字を不思議そうに見上げている。
「ああ。あれがこいつの名前らしい」
ついに辿り着いた。
この中に、きっと春華がいる。
その外壁のある一点で、全登が足を止めた。
「……ここだ。景真、左手でこの壁に触れてみろ」
膝に手をついて呼吸を整えていると全登にそう促され、前へ出る。
全登が指し示した箇所には目印どころか、継ぎ目すらない。
ただ鏡のように景真の姿を映し出している。
恐る恐る汗ばんだ左手を差し出し、そっと触れた。
冷たく、見た目通りつるりとした感触だった。
壁と手のひらの間で何かが行き交うのを感じる。
『非常用通路のロックを解除。気圧正常。隔壁を解放します』
無機質な声が響く。
すると、音もなく壁が動きその先に白く発光する通路が現れた。
「行くぞ」
全登の声に背を押されるように、景真は息を飲む間もなく真理の中へと足を踏み入れる。




