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第二十七話 裏 火蓋 前


 リサリア大陸中央に位置する巨大な盆地。

 険しい山々に囲まれたそれを、人々は”女神の足跡”と呼んだ。


 「あれが”真理の方舟”、か……」

「あの中に女神様が……?」

 北の山から盆地を見下ろす景真は思わず息を呑み、コハクもまた初めて見る景色に圧倒されている。

 

 その中央に座すのは、恐ろしく巨大な人工物だった。

 明らかな、世界の異物。

 ネビュラはおろか、景真のいた21世紀の地球でも到底造ることなどできないだろうテクノロジーの結晶。

 

 船体は鏡のように青空と大地を映し出している。

 その様ははるばる宇宙を旅し、そこからさらに一万年以上の時を経たとは到底思えなかった。


 その方舟を取り囲むように集落が形成されている。

 土壁の家々は遠目にも質素な作りであることがわかるものだった。

「あれらは異端者どもの寝ぐらだ。ケーマ殿」

 ギルノールが景真の横に立ち、家々を指差す。

「人が住んでるのか……」

「そうだ。あれらを焼き払い、この地から取り除く。一人残らずだ」

 その声は研ぎ澄まされた刃のように鋭く冷たかったが、芯に熱を燻らせていた。

「……住んでるだけの人も?」

 コハクの声が微かに震える。

「女子供、老人に至るまでだ。さもなくば、この地に安寧は訪れない」

 ギルノールの言葉に迷いはない。

 

 景真はごくりと唾を飲む。

 異端者どもの危険性、異常性は重々承知している。

 だからと言って戦う力を持たない者まで殺す必要があるのだろうか。

 

 しかし、それを言葉にはしなかった。

 景真は戦争というものを知らない。

 それも、これから始まるのはスイッチ一つで何百、何千という人間が死ぬ戦争ではなく、すぐ目の前にいる人間を自らの手で殺す、さもなくば殺されるという戦争だ。


 その世界の論理に生きるギルノールに景真がかけられる言葉など、一つも浮かばなかった。


「止まれ! 何者だ!」

 制止する声が上がる。

 声の方を見ると、十騎ほどの騎兵が公国騎士団本陣へ向かっていた。

「我が名は聖堂騎士バルドール! 至急、ギルノール将軍にお目通り願いたい!」

 馬上の男が陣の手前で馬を止め、堂々と声を上げる。

「私がギルノールだ。バルドール殿、用件を伺おう」

 ギルノールが進み出ると、バルドールは馬を降り兜を脱いだ。

「我ら聖堂騎士団はこの後、水瓶の刻より西方から敵を攻撃する。貴軍も我らと機を合わせ、この北方より侵攻されたし!」

 それは援軍を請うというよりは、命令に近い物言いだった。

 ギルノールはそれを受け、顎に手を当てて思案する素振りを見せる。

「我が公国軍はたった今、こちらに到着したところだ。見ての通り、陣の設営すら住んでいない。僅か一刻後に出陣とは酷な話だ」

 ギルノールの返答にバルドールは、難色を示されたことが意外だったのだろう、憮然とした表情を見せた。

「これは大司教ケリサル様が立てられた大戦略に基づいておる。異論あらば、中央教会へ申し立てられよ」

 それは権力を笠に着た人間特有の勝利宣言だった。

「……用件は確かに承った。公国軍も水瓶の刻より攻撃を開始する」

 淡々としたギルノールの声から、その胸の内は読み取れなかった。

「感謝する!」

 バルドールは再び馬に跨ると、あっという間に土煙を残して陣を去って行った。


 「どうされるおつもりだ?」

 立ったまま考え込むギルノールに声をかけたのはウェスペルだった。

「……ウェスペル殿か。今はまだその機ではない。が、無視するわけにもいかぬ。下手をすれば私のみならず公国が異端審問にかけられかねん」

「ならば俺が出よう」

「貴殿が?」

「ああ。もう少し馬を休ませたかったが問題ない。アゲントの精鋭二百騎、必ずや戦果を上げて参ろう」

 ウェスペルはそう言うと拳でドンと自らの胸を叩く。

「……すまない。いや、感謝する。アゲントの銀狼よ」

「その名はよしてくれ。照れくさい」

 そう言いながらも、尻尾はわさわさと揺れている。

「ウェスペル殿、くれぐれも深入りはするな。いつでも後退できる地点までだ。戦ったというアリバイだけ作ればいい」

「了解した」

 ウェスペルはそう言うと、堂々とした足取りでアゲントの部隊の元へ向かった。


 「ケーマ殿」

 ギルノールたちのやり取りを見守っていた景真は、突然背後からかけられた声に飛び上がった。

 隣にいたコハクも、尻尾を面白いほど膨らませて驚いている。

「……メノウか。勘弁してくれよ」

「心臓、止まった」

「驚かせてすまない。(あるじ)が呼んでいる」

 恐る恐る振り返ると、初めて会った時と同じ黒装束に身を包んだメノウが藪の中に潜んでいた。

「……ギルノールに一言伝えておいた方がいいな。構わないか?」

 景真たちは公国軍に組み込まれたわけではない。

 立場としてはただの同行者ということになるが、公国にとって重要人物であることは変わらない。

 それが突然姿をくらましたりすれば、少なからず軍を混乱させてしまうだろう。

「構わない」

 メノウもあっさりと了承する。

 先の会談で、公国において”第三の翼”は公然の存在となった。

 だから、今更隠し立てする必要もないということだろう。


 「ギルノール、ちょっといいか?」

 陣の設営を指揮するギルノールに声をかける。

「ケーマ殿。なんだ?」

「俺たちは”第三の翼”に合流するよ」

「そうか。貴殿の無事と、探し人が無事見つかることを祈る」

「ありがとう。そっちも、死ぬなよ」

「それは――約束しかねる」


 異端者を滅ぼす。

 そのためならギルノールはその身を槍にして投げ打つだろう。

 それこそが己が一族に課せられた宿命であると信じているのだから。


 そしてそのための場――死に場所を設ける一端を、間違いなく景真は担った。


 ギルノールだけではない。

 この場にいる誰もが、景真の行動によって死地に駆り出されたのだ。


 「……それでもだ。勝って、生き延びよう」

 地面に向けて絞り出した自らの言葉に吐き気を催す。

 どの口がこんなことを言えるというのか。

「ケーマ殿」

 ギルノールの声に顔をあげる。

「勘違い召されるな。我らは我らの意志でここに立っている。この意志を貫けず、自ら折ることこそ私にとり死よりも遥かに恐ろしい」

 “炎星”ギルノール。

 その二つ名に負けぬ蒼い炎が、静かに燃えている。

「貴殿は貴殿の意志を貫け。そして、そのために生き延びよ」


 己の傲慢を恥じる。

 人の意志は、景真一人に曲げられたりはしない。


 この戦争も、無数の意志の積み重ねで起こったものだ。

 景真が動かずとも、いずれ戦火はこの地を焼いただろう。


 ギルノールはその意志を果たすためなら、死すら厭わない。

 景真はその意志を果たすために、死ぬわけにはいかない。


 そこに正誤も善悪も存在しない。


 問われているのは、その覚悟だけだ。

 

 

 

 

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