第二十六話 裏 出陣前夜 前
公爵との謁見から二日。
公都の門を騎馬の一団がくぐる。
その先頭で巨大な黒い馬を駆る屈強な狼族の男。
それは見知った顔だった。
「ケーマ殿! コハク殿! 出迎え痛み入る。アゲントのウェスペル。義勇兵を連れ、公都へ馳せ参じた!」
地鳴りの如き声が広場に響く。
強面に無邪気な笑顔を浮かべ、流れるような動きで馬を降りると景真の手を握りぶんぶんと振る。
その勢いに肩が外れそうになり、慌てて声を上げた。
「は……早かったな。報せがあったのは昨日だろ?」
「昼夜を問わず馬を走らせたからな。大事な客人もお連れした」
「客人?」
隊列中央の馬車の扉が開くと小さな人影が元気よく飛び出し、ひょろりとした人影が死霊のような動きでフラフラとそれに続く。
「コハク!」
小さな方の人影がコハクの名を呼びながら駆け寄る。
「ニャーラ?」
そのままコハクの胸に飛び込むと、その体を強く抱きしめた。
「……無事でよかった」
涙声で言うニャーラの頭をコハクが優しく撫でる。
「どうしたの? こんなところまで」
その後ろからもう一つの人影が頼りない足取りで近づく。
「エクトル! ……大丈夫か? 顔が真っ青だぞ」
「……少し、馬車に酔いまして……。うっ……ぷ」
「少し飛ばし過ぎたか。エクトル殿には悪いことをしたな」
木陰に駆け込み、しゃがみ込んだまま動かなくなったエクトルを見てウェスペルが豪快に笑う。
「どうしてニャーラたちが一緒に?」
「あなた方に会いに行くと言うから、ついでにお連れしたのだ。姉者の提案でな」
ニャーラがコハクを解放して言う。
「ゴンドで幻想薬騒ぎがあったでしょ? それを事前に知らせて防いだのがあんたたちだってナンタラ商会の人に聞いたのよ。で、その騒ぎもあって観光客が減っちゃってね。占いの客もパッタリ。出稼ぎついでに会いに行こうって話になったワケ」
腰に手を当て、胸を逸らして言うがその目尻は赤くなっている。
軽口のように言っているが、コハクが危険に首を突っ込んでいると知り、居ても立っても居られなかったのだろう。
「――んで、アゲントに着いてみたら町が大変なことになってて……。あんたたちが英雄だのって言われててホントたまげたわよ」
「うん、色々あったから」
「その色々はそこのデカいのに聞いたけどね。……やっぱ、すごいよ、コハクは」
コハクは小首を傾げる。
「あれだけたくさんの人を救って、英雄なんて呼ばれちゃってさ。……それでも全然変わんないんだもの」
ニャーラの言葉をゆっくりと咀嚼するように考えてから、コハクはごく短く答えた。
「――私は私だから」
その答えに、思い出し笑いのようにニャーラは笑う。
「そうね。あんたはそういうヤツだもの」
コハクはなぜ笑われたのかわからないという風にキョトンとしている。
「貴公がウェスペル殿か」
長身のエルフがウェスペルに近づく。
美女と見紛うよつな端正な顔だが、衣服から覗く腕はウェスペルのそれと遜色ないほどに鍛え上げられている。
それは公爵との謁見の際に見た顔だった。
「申し遅れた。私はギルノール。エルフィリア森林公国騎士団長の役を拝命している」
「おお、貴殿が名高き”炎星”ギルノール侯か! その勇名を知らぬものはこの大陸にはおらんだろう」
ウェスペルが大袈裟に腕を広げて言う。
「”アゲントの銀狼”と称される貴公にそのように持ち上げられるとこそばゆいな。この度はアゲントも苦難に見舞われた中、援軍感謝する。我らの手で異端者どもをこの国から一掃するとしよう」
ギルノールがそう言ってから手を差し出すとウェスペルがそれを力強く握った。
「おー、なんか武人っぽい会話してる」
「……ケーマさん……」
ウェスペルとギルノールの会話を映画でも見ているような気持ちで眺めていた景真の背後で幽鬼のような声がし、慌てて振り返る。
「なんだエクトルか……顔が死体みたいだぞ」
「吐いたら少し、楽になりました……」
もともと痩せ気味なその顔が、一層げっそりとこけている。
「……いよいよ、始まるのですね。創世教と救世教の全面戦争が」
「ウェスペルから聞いたのか」
「ええ。この戦い、どちらが勝っても歴史の転換点となるでしょう」
始まれば敵にも味方にも多数の犠牲者が出るだろう。
それだけではない。
結果によってはこの世界は創世の神を失い、あるいは地球はその神によって支配される。
エクトルの言葉通り二つの世界の未来が、この戦いと――景真の選択によって全く違うものに分かたれるのだ。
景真は身震いする。
つくづく、自分などが背負うにはあまりにも荷が勝ちすぎる。
何もかも捨てて逃げ出したい衝動に駆られる。
「そうだ。歴史を換えるために、俺たちはここにいるんだ」
たがらあえて、自分に言い聞かせるように言う。
自分は何者でもない。
何者かになりたかったわけでもない。
それでも成さなければならないことがある。
そして、そのためには英雄の仮面を被らなければならない。
たとえそれが血塗られた道だったとしても。
これは俺たちが選び、俺たちが始めてしまった戦いなのだから。




