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ヘスペリデスの黄金の林檎  作者: ful-fil


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29/30

オリンポスの女王ヘラ

 ここはオリンポス。

 ギリシア神話の神々が集う異界である。

 壮麗な神殿、咲き乱れる花、蝶が舞い、小鳥が歌い、清らかな泉の水が小川となって流れている永遠の楽園である。

 そんな楽園の一角にあるパティオで、女神が配下から報告を受けていた。





 白いテーブルの上にはフルーツの盛り合わせ、スイーツ色々、小さなサンドイッチ、ティーカップ。

 午後のティータイムといった風情だが、ティーカップの中身は紅茶ではなく神酒ネクタル、スイーツの主役は不老不死の妙薬アムブロシアだ。

 女神ヘラは白い指先でアムブロシアをつまんで口に入れた。

 味わいながら配下の報告に耳を傾けている。

 地面に片膝をついて報告しているのはヘスペリデス姉妹の長女アイグレーだ。

 その横にはヘルメスが、こちらは膝はつかず普通に立っている。

 


「……というわけで、証人の一人には逃げられてしまいました。息子の方が残っているので大丈夫だとは思いますけど」

「ふうん、宇宙基地をねえ。ところで私、思い出せそうで思い出せないのだけど、ミノタウロスってどこかで聞いた気がするのよねえ。どこでだったかしら」


 ヘラは二つ目のアムブロシアをつまみ、口に入れずに眺めている。


「ミノタウロス、ミノアの雄牛、ミノア。そうそう、思い出したわ、ミノアよ」


 ヘラの口元に笑みが浮かんだ。


「夫の浮気相手がいた所よ。名前はエウロペだったかしら。泥棒猫が子を産んでね、王になったのよ。その王の子じゃなかったかしら、ミノタウロスって」

「そうだと思います」

「そのミノタウロスがオリンポスを狙ってるのね。泥棒猫の孫が現代に生まれ変わって」

「そういうことになりますね」

「そう、すっかり忘れてたわ。あの人の浮気相手って数えきれないほどいるから」


 嘘つけ、とヘルメスは思った。

 ヘラが忘れているはずがない。

 彼女の嫉妬深さは伝説級。

 夫の浮気相手とその子孫については完璧に頭に入っているに違いない。


「ねえアイグレー、こういう報告は後回しにしちゃダメよ。今回は大目に見るけどね。次からは寄り道しないで、最優先で報告に来るのよ。わかった?」

「はい、申し訳ありません」

「まあね、気持ちはわからなくもないわ。アトラスのこと心配だったのよね」

「はい、その通りです」

「それにしても気になるわね。アキレウス、テセウス、ケイローン、それにこのミノタウロス。特定の場所、特定の時代の記憶を持って転生した者が多すぎるわ。どうしてそんなにたくさん転生してるのかしら」

「さあ、私にはわかりません」

「何かひっかかるのよねえ」


 ヘラはアムブロシアをぱくりと口に入れた。

 赤い唇が艶めかしく動く。

 しばし甘味を堪能し、思いを巡らせてから、ヘラはニヤリと笑った。

 すっと立ちあがり、アイグレーに目をやる。


「決めたわ。アイグレー、そなたに命じます。姉妹を率いて調査に当たりなさい」

「はい!」

「ミノタウロスを名乗る者が何を企んでいるのか、その企みがオリンポスに有害であると認められた場合はあらゆる手段を用いて阻止しなさい。この件に関しては私が責任を負います。プロメテウスにも協力を要請しましょう。宇宙基地には極秘に警告を発しなさい。ネズミが入り込んでいる可能性があるわ。アトラスにはネズミ退治をしてもらいましょう」

「はい!」


 アイグレーは素早く立ち上がり、敬礼をした。


「ああ、夫にはまだ知らせなくていいわ。浮気相手を思い出して判断を間違えると困るから。私が必要だと思った時に知らせます。わかったわね、ヘルメス」

「あ、えーと……」

「わかったわね?」

「う。わかりました。言いません」

「ふふ、いい子ね」


 ヘラは優雅な手つきで一輪の花を摘んだ。

 可憐な花をもてあそび、


「泥棒猫の血を引く憐れな怪物。前世など思い出さなければよかったのに。背後で糸を引くのが誰であれ、オリンポスに弓引くというのなら……」


 ヘラは花をぐしゃりと握りつぶした。


『怖っ!』


 花よりも麗しい女神の立ち姿。

 その優美な肢体の後ろに、ティターン神族の天を衝くような巨体が一瞬だけ重なって見えたような気がして、ヘルメスはゾッとした。

 人間サイズで過ごしていても、ヘラの本性はティターンだ。

 生粋のティターンの前ではニンフにすぎないアイグレーはもちろん、神であるヘルメスさえも吹けば飛ぶような小物でしかない。

 怒らせたくない、怖すぎる。


「かっけー……」


 握りつぶした花を地面に投げつけ、更に踏みつけて、夫の浮気への『思い出し怒り』を発散している般若のごとき形相のヘラをアイグレーはキラキラとした尊敬のまなざしで見つめていた。

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