走れアキレウス
サブタイトル:「二度づけしとくんだった」
ここはヘスペリデスの園。
黄金の林檎を求めて、今日も訪問者がやってくる。
※
気弱そうな青年が門の前の小道をうろうろしている。
小道には幾つもの立て看板が立っている。
「はあ…(ため息)黄金の林檎を取ってこいなんて無茶ぶりにも程があるよ。だけど逆らったら殺されちゃうし。ダメもとでやってみるしかないよね。ヘスペリデスがうちの暴君上司より優しいといいなあ。…あれ、注意書き?」
青年が小道を塞ぐように立てられた立て看板に書かれた文字を読む。
「『この先に進む者、一切の希望を捨てよ。ただしヘラ様の許可を得たものは除く。訪問者はこの用紙に氏名と用件をご記入ください。許可書をお持ちの方には担当のヘスペリデスが林檎をお渡しします』。はあ…(ため息)そんな許可書とか持ってないよ。やっぱり怒られるのかなあ。うう、怖い。でも行かなきゃ。一応名前は書いておこう。『パトロクロス』っと」
用紙に氏名と用件を記入し終えた青年が数歩進むと、また立て看板が小道を塞いでいる。
「『この先に進む者、一切の刃物を捨てよ』。武器携帯禁止? 元々大した武器は持ってないけど、護身用の短剣と文房具のカッターナイフは持ってる。これを置いておけばいいのかな。あ、ここに籠がある。『お持ちの刃物はこちらへ入れてください』。なるほど」
青年は籠に短剣とカッターナイフを入れ、先へと進む。
するとまたしても立て看板に行く手を阻まれる。
「『この先に進む者、一切の武器を捨てよ』。え、武器はさっき籠に入れといたよ? …あ、そうか。刃物以外の武器も、ってことだね。ここにも籠が置いてあるね。でも僕はハンマーとか棍棒とかの打撃武器は持ってないから…あれ? 説明書きがある。どれどれ? 『紐類、ボールペンなどの筆記具、水筒などもこちらへ入れてください』。ああ、なるほど。紐は首を絞めたりできるから。ペンは先が尖ってて突き刺しに使えるから。水筒は鈍器の代わりになるからってことだね」
青年は籠に紐類、ペン、水筒を入れ、先へと進む。
するとまたまた立て看板に道を塞がれる。
「『この先に進む者、一切の防具を捨てよ』。防具と言われても鎧なんか装備してないんだけど。服と靴だけだよ。さすがに服と靴を脱ぐわけには…あれ? ここにも籠と説明書きがある。『腕時計や眼鏡、コインなどを含む金属製品はこちらへ入れてください』。なんだ、金属製品を外せばいいんだね。X線検査かMRIかな。じゃあ時計と財布と…」
金属製の持ち物を籠に入れて、青年は更に先へと進む。
立て看板の指示に逆らうことなしに…。
※
「パトロクロス、早まるなー!」
二人目の青年が巨大な槍を持って門へ続く小道を猛ダッシュしている。
「あーもう、前世も俺がへそ曲げたせいでお前が死んだのに、今世でも同じ繰り返しになるのか? 『黄金の林檎を取ってこい』なんて無茶ぶり、俺が蹴ったからってお前を行かせるなんて、アガメムノンの野郎、帰ったら殴る!」
青年の行く手を塞ぐ立て看板。
「『この先に進む者、一切の希望を捨てよ』だあ? 知ったことか!」
青年は立て看板を蹴り倒し、先へと進む。
その行く手を阻む次なる立て看板。
「『この先に進む者、一切の刃物を捨てよ』だと? 敵陣に乗り込むのに刃物を手放す馬鹿がいるか! パトロクロスは手放したかもだけど! あいつ素直すぎるから!」
青年は立て看板をげしっと蹴り倒し、先へと進む。
その先にまた立て看板。
「『この先に進む者、一切の武器を捨てよ』。だから捨てねえっての! 親父から譲られて以来、この大槍は俺様のお気に入りなんだよ!」
青年は立て看板を蹴飛ばし、先へと進む。
その行く手にまたまた立て看板。
「『この先に進む者、一切の防具を捨てよ』。ふざけんなっつーの! 追剥か! 追剥なんだな、ヘスペリデス! パトロクロスからみぐるみ剥いだんなら容赦はしねえ! 元々容赦する気はゼロだけど!」
すべての立て看板を破壊して、青年はヘスペリデスの園の門前へと至った。
「俺の親友はどこだ!」
「無礼者め、名を名乗れ」
門を守るヘスペリデスが槍を構える。
「ペーレウスの息子、アイアコスの孫、俊足のアキレウスとは俺のことだ!」
「女神テティスの息子か。おまえトロイア戦争で死んだんじゃなかったか?」
「転生したんだよ!」
「転生したのに前世の名前を名乗っているのか?」
「悪いかよ! なんか知らんけどレテ川の水が効かなかったんだよ。記憶残ってるし、前世の知り合いがそこらへんにいるし、そうなると名乗るだろ、前世の名前」
「そうか。神々が絡むと色々あるのだろうな。では私も名乗ってやろう。ヘスペリデス姉妹のクリューソテミスだ。親しい者はテミちゃんと呼ぶ」
「呼ばねえからな! 親しくないから」
「それでいい。さて、先ほどの質問の答えをやろう。おまえの親友とはパトロクロスと名乗る男のことか?」
「そうだよ!」
「その者なら、それ、そこにいるぞ」
クリューソテミスの示す先には眠るように安らかな表情の亡骸が…。
「…パトロクロス、そんな、嘘だ、なんで」
「なかなか律儀な男だったな。素直に掟に従い、破ることをしなかった。褒美に苦しませずに逝かせたぞ。こいつはラードーンの餌にせず丁重に弔ってやろう。冥府の川の渡船料金も持たせてやるから安心しろ」
「安心できるかーっ!!」
咆哮を上げてアキレウスは突撃した。
体重の乗った大槍の突進をクリューソテミスは最小限の動きで受け流す。
「なかなか良い武器だな」
「親父から譲り受けた名槍『ペーレウスの槍』だ。ペリオン山のトネリコで作られ、賢者ケイロンによって鍛えられた業物だぜ。あまりにも重たいんで俺以外には使えるやつがいないけどな」
「その槍、捨てるには惜しい。おまえが死んだら次の使い手を探してやろう。おまえ自身はラードーンの餌になれ」
「ほざけ。死ぬのは貴様の方だ。パトロクロスの仇だ。この槍で串刺しにして死体は車で引きずり回してやる」
頭に血が上っているアキレウスは気づかない。
斜め後方からもう一人別のヘスペリデスがのんびりと歩いて接近中なのを。
そのヘスペリデスがぼけーっとした顔つきで弓を軽く引いたのも。
「死体が地面との摩擦でぼろぼろのミンチになるまで引きずり回してやる! それくらいやらなきゃ気が済まねえ! よくも俺の親友を」
びよん、とコミカルな音を立てて矢が発射されるのも。
何も気づかなかったのだ。
致命的な部位に矢が突き刺さるその瞬間まで。
「あ」
足首に軽い衝撃を受けて、アキレウスの膝がカクンと曲がった。
そのまま全身から力が抜けていく。
「テティスは生まれた我が子を不死身にするため、冥府を流れるステュクス川の水に赤子を浸けたのであったな、ロペりん」
「そうだね~。赤ちゃんの足首を手で持って、ちゃぷんと浸けたんだよね~。手で持ってた所だけ水に浸からなかったから、そこだけ武器無効にならずに残ったんだよね~、テミちゃん」
「有名な話だ。転生しても弱点はそのままだったのだな」
「対策しとかないのがバカなんだよね~」
言いたい放題言われながら、アキレウスの体がゆっくりと斜めに倒れていく。
宙を見つめる虚ろな眼差し。
唇から言葉がこぼれる。
「水、二度づけしとくんだった……」
※
「ステュクス川の水は二度づけ禁止なんだよね~」
ソースは二度づけ禁止なんだよね~。というノリで最後のセリフを言わせたいがためにこのエピソードを書いたようなものです。ステュクス川の水はべつに二度づけ禁止というルールはありません。でも体に悪そうなので浸からない方がいいのではないでしょうか。一度浸けただけで皮膚が異常に強化されるわけですから、二度も浸かったらどんな異変が生じるやら。ちなみに作中で言及されているレテ川も冥府の川で、こちらは飲むと生前の記憶を忘れると言われています。転生する人はきちんと飲んでおくべき水ですね。用法容量を間違えずに。




