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《GIFT》―異能力、それは呪いか祝福か―  作者: 甲斐田 笑美
第6章 虚飾の少女、霞む世界
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6-12 それは、“手段”にすぎない

 予告は現実となった。

 無人の廃倉庫は、時間通りに爆音とともに崩れ落ちた。


 “ファントムウィスプ”――断罪を掲げるその存在の名は、瞬く間にネットを駆け巡った。

 SNSのトレンドを独占し、ニュース番組が取り上げ、コメンテーターがその言葉に首をひねる。その正体を巡って、陰謀論、正義の告発、国家による隠蔽工作といった様々な憶測が飛び交った。


 だが、誰もが口を揃えて語るのは一つ――

 「あれは、ただのいたずらじゃない」

 「あの予告は、本当に実行された」


 社会がざわめいていた。秩序の裏で燻っていた火種が、ついに誰の目にも見える炎となった。


* * *


 重厚な扉が低く軋む音を残して閉まった瞬間、外界の空気は密封された。

 総統室と呼ばれるその空間には、黒曜石の床が鈍く光を反射し、鋼鉄の梁が天井を縦横に貫いていた。装飾は削ぎ落とされ、無機質な沈黙が支配している。壁際に整然と並ぶ書架と、室内中央に構えられたイタリア製の重厚な机――その背後に座す一人の男の存在が、空気を振動させていた。


 片倉麗一。

 軍服に酷似した黒衣に身を包み、白手袋をつけたその姿は、まるで秩序そのものを体現した彫像のようだった。中性的な容貌は静謐を纏いながらも、その瞳の奥には刃のような冷徹さが潜んでいる。


 そこに、音もなく白衣の女が現れた。


 西蓮――GIFTの製造と管理を担う、この組織の中枢に座する者。感情の表出を抑えたその顔には、どこか母性的な優しさすら漂っている。だが、その本質は読み取れない。彼女の足取りには、一分の迷いもなかった。


「お呼びとのことで」


 静かに口を開いた西蓮は、机の正面、片倉と真正面に立った。

 敬意も敵意も示さないその態度に、片倉の眉がわずかに動く。


 秒針の音すら存在しない静寂が、ふたりのあいだに広がった。

 やがて、片倉が低い声でその沈黙を破る。


「――最近、月嶺霞を見ていないが。どこにいるか、君は把握しているか?」


 抑制された語調の中に、鋭く研がれた刃が潜んでいた。


「私も、見ていないわ」


 西蓮は一切目を逸らさず、無感動に応じた。

 嘘かどうかを探るように片倉が視線を強めるも、その瞳は曇り一つなく、鏡のように無機質だった。


「では、話を変えよう」


 椅子に浅く腰を掛け直し、片倉は指を組む。姿勢はあくまで冷静。だが、言葉の先には鋭い探針がある。


「ファントムウィスプ――あの者について、何か知っているか?」


 その名を告げた瞬間、空気の密度がわずかに変わった。

 西蓮の目が、ほんの一瞬だけ沈んだ光を帯びた。


「今どき誰でも知っているわ。ネットで騒がれている。予告通りに爆破が起きて、あの奇妙な映像が拡散された。『呪い』だの『謝罪』だの……解釈合戦に皆、躍起ね」


「世間は浮ついている。だが――」

 片倉は声を一段低く落とした。


「まさか月嶺霞が、あの騒動に関わっているとは言わないだろうな」


 その名が再び口にされた瞬間、西蓮の瞳がわずかに揺れた。

 風が止まったような一瞬。だが口調に乱れはなかった。


「どうかしら。少なくとも、私は知らない」


 片倉の指が机の表面を軽く叩いた。

 冷静という仮面の内側に、わずかな苛立ちがにじみ始めていた。


「霞が事件を起こしているなら、それは君の責任になる。あの娘を拾い上げ、幹部にまで押し上げたのは君だ。我々が有事のために蓄えてきたGIFTの存在――それが世に漏れたら、まだ効果的に使う前に、計画そのものが瓦解しかねん」


 その声音には、感情の波が明確に乗っていた。

 だが、西蓮の反応はそれを空気の振動の一つとして処理するように、静かで淡々としていた。


「……それは違うわね」


「何だと?」


 片倉の瞳が鋭く細まる。


「私たちは感情を排し、理性によって動く集団。――だけどね、そんな私たちだからこそ、感情に突き動かされる存在が必要なの。霞のような、ね」


 その言葉に、片倉は額に皺を寄せた。


「……つまり何が言いたい?」


 問いを投げると、西蓮は数歩、静かに前へ出た。

 白衣が音もなく揺れ、黒に染まった室内にあってその色だけが異質な光を放った。


「仮に彼女がファントムウィスプだったとしても――その行動が混沌を生もうとも――それが最終的に、私たちの“目的”に資するのであれば、意味がある」


「暴走が“目的”に資するとでも言うのか。君は、正気か」


「あなたの目的は何?」


 今度は西蓮が問うた。声に嘲りはない。ただ、感情のない静かな問いがそこにあった。


 その言葉に対し、片倉は静かに立ち上がった。

 黒い軍服の裾がわずかに揺れ、白手袋をはめた手が机の縁を押さえる。

 室内の空気が、瞬時に張り詰めた。


「我々の目的は明確だ」


 声は低く、しかし一点の濁りもなく放たれた。

 まるで宣告のように、空間を貫く。


「GIFTによって能力者を増やし、他国を制圧し、領土を広げ、資源を確保する。国を存続させるための現実的最適解だ」


 言い終えたその瞬間、室内の空気が一段と冷たくなったかのように思えた。

 理路整然とした言葉の奥に潜むのは、決して揺るがぬ覚悟――世界を支配する側に立とうとする者の意志だった。

 片倉の瞳には、わずかな狂気と使命感が滲んでいた。


 だが、正面に立つ西蓮の表情は、微塵も揺れなかった。


「それは、“手段”にすぎない」


 空気が一瞬で凍りついた。

 西蓮の瞳が、氷のように澄み切っていた。


「目的は“世界を変えよりよく生きること”でしょう。霞が暴れ、社会が彼女の存在に怯え、人々が既存の秩序に疑問を抱く。そうして、次の段階に進むための裂け目が生まれる。なら、それも一つの『推進』よ」


「……君は……!」


 片倉は椅子を蹴って立ち上がった。机の向こう、白手袋の拳が小刻みに震える。


「私を、軍を、この国を、なんだと思っている?」


「“秩序”を絶対視する者たち。でもね、秩序は時として腐る。感情がそれを切り裂くのよ。……ときには、必要な刃として」


 片倉は喉を震わせた。怒りだけではない。

 これは“異質”だ。共に在ると思っていた存在が、まるで別の原理で動いている。

 拒絶反応のような冷汗が背筋を伝った。


「君は……本気で言っているのか?」


「本気でなければ、彼女を連れてこないわ」


 その言葉を最後に、西蓮は踵を返した。

 退室の許可も求めず、静かに扉へ向かう。


 その背を、片倉は睨みつけていた。

 同じ志のもとにあると思っていた。だからこそGIFTを託した。


 だが今、その女は“理念”という名の異端であり、もはや制御の外にいる。


「……西蓮」


 低く名を呼ぶ。だがその背は振り返らない。


「君が、私の“敵”にならないことを祈る」


 白衣が、ひるがえり、扉の向こうに消えた。

 残された室内には、重くなった空気と、片倉の浅い呼吸だけが漂っていた。


 心拍が加速している。

 “感情”という名の火種が、組織の中でどれほどの炎を生むか――それを思うだけで、戦慄が肌を走った。


 西蓮。

 その名が、初めて“脅威”として、片倉の胸に刻みつけられた瞬間だった。

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過去編はこちらから読めます

氷川たちの出会いと「第八班」創設の物語――
『GIFT・はじまりの物語』をぜひお読みください。

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