6-5 暗闇を抱えて
季節は、音もなく色を変えていた。
蝉の声が遠ざかり、夜風が肌に冷たさを含みはじめる頃。
空は高く、夕暮れの朱がどこか脆く滲むようになっていた。
アリスが未来に見た“災厄”――
能力者たちが、何の前触れもなく爆発的な力に呑み込まれ、誰一人として助からなかったという、理不尽きわまりない夢。
第八班は、その未来を変えるために動いていた。
とはいえ、足場は脆い。
予知されたのは“半年以内”という曖昧な期限だけ。
どこで、誰が、どんな原因で起こすのかすら不明。
信じるしかない予兆に、ただ静かに抗うようにして、玲次の指示のもと、彼らは本部の任務にあたりながら、その合間に情報をかき集め続けていた。
諜報班の浮島。制圧班の空西と舞谷。突撃班の嵐原と沼波。
彼らは「夢の話」と切って捨てるどころか、第八班の警戒に共鳴し、できる限りの協力を申し出てくれていた。
組織の中に少しでも耳を傾けてくれる人がいるという事実が、彼らにはささやかな救いに思えた。
第八班は日常に溶け込む“違和感”を見逃すまいと、微細な兆しに神経を尖らせていた。
しかし、災厄の芽が、いつ、どこに現れるのかもわからないまま。
そうして季節が巡り、夏の熱がやや遠ざかる頃だった。
それは、唐突に始まった。
「……爆発?」
恭子の口から、思わず言葉が漏れた。
場所は本部の食堂。
夕刻の静かな空間に、カレーとスープの香りがわずかに残っている。
窓の外は、群青と茜が混じり合う空。照明が灯り始めるには、まだ早い。
テーブルの真ん中には、湯気の立つ皿とカップ。
笑い声も、冗談もあったはずのひとときが、たった一つの報道で凍りつく。
テレビに映るのは、破裂したような街灯、骨組みだけを残したベンチ、曲がりくねったガードレール。
それらは日常の中に突如現れた異物として、ただそこに存在していた。
ニュースキャスターの声は、焦りを隠しきれていない。
『――本日、都内を中心に確認された不可解な爆発。現時点で人的被害は報告されていないものの、既に三件目。現場付近の市民からは、「突然、何もない場所が弾け飛んだ」との証言も……』
「これ、アリスが見たやつ……じゃないよね?」
春香がスプーンを止めたまま、眉をひそめる。
隣でアリスが俯いたまま、スカートの生地をぎゅっと握りしめた。
「……わからない。でも、わたしの夢の中では、もっと……大きな爆発だったから、これは……ほんの始まりかも」
掠れるような声だった。記憶を辿るように、慎重に言葉を選んでいた。
その横顔に、恭子は一瞬だけ目を留めた。
“未来を見た”という重みに、彼女はずっとひとりで耐えていたのだと思う。
そのとき、椅子が静かに引かれる音がした。
「……もしかしたら、これがその前兆かもしれない」
立ち上がった圭介が、窓の外を見つめながら言った。
朱に染まる空に、その眼差しは遠く、深く吸い込まれていた。
「何かが動き出してるなら、止めないと。手遅れになる前に」
玲次が腕を組んで頷く。
「諜報班が何か掴んでるかもしれん。明日、すぐに動こう」
「じゃあアタシは現場に出る。周辺の監視カメラも回収してくるよ」
春香が笑いながら立ち上がった。長いポニーテールがその背で揺れている。
自然に、話は任務へと移行していく。
この切り替えの速さこそが第八班だった。誰かが動けば、他の誰かが補う。それが日常だった。
けれど――
その輪の中にいて、恭子だけが、ほんの少しだけ取り残されているような気がした。
圭介は、真剣な眼差しで何かを見ている。
未来か。救いか。正義か。あるいは、そのすべてか。
かつて守られるだけだった少年は、確かに変わった。
人を助けたい。誰かの痛みを、見過ごしたくない。
その思いは変わらないはずなのに……。
どこか、遠い。
まるで、手の届かない場所へ行ってしまいそうな気がする。
――ねえ、圭介。
あなたのまっすぐさを、誰よりも知ってる。
でも今、あなたはどこを見ているの?
私は、まだ“ここ”にいるのに。
災厄を防ぐことは、大切。
誰かを守ることも、大事。
だけど、これは本当に、日常を取り戻すための道なんだろうか。
任務に、訓練に、戦いに。
いつの間にか、“普通”というものが、どんどん遠くなっていく。
圭介は、それでもいいと思ってるんだろうか。
私には、わからない。
ただ――
圭介が無事でいてくれさえすれば、それでいいのに。
それ以上、私は何も望まないつもりだったのに。
「……恭子?」
声に気づき、顔を上げた。
圭介がこちらを見ている。ごく自然に、ごく当然のように、言った。
「恭子もやるだろ?」
その言葉に、恭子は微笑んだ。
ふわりと、何もなかったように。
心の奥の暗闇を、そっと胸に隠したまま。




