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《GIFT》―異能力、それは呪いか祝福か―  作者: 甲斐田 笑美
第5章 触れる掌、揺れる未来
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5-12 結露の記憶

 週末の商店街には、カラフルな看板と人いきれが溶け合い、どこか焦げた陽射しの匂いが立ちこめていた。蝉の声も遠くでくすぶるように鳴き、夏の終わりを惜しむ空気が、街を薄く包んでいた。

 そんな中、圭介はふと立ち寄った本屋で、見覚えのあるタイトルに目を留めた。


 《劇場版“夏空の旅人”シナリオブック・限定特装版》


「お、残ってた……」


 最後の一冊。指を伸ばそうとしたその瞬間、目の前にすっと手が伸びてきた。

 長い指先がそれを先に摘み上げる。黒い袖、すらりとした指、そして何も言わず踵を返すその後ろ姿。


(あれ……?)


 圭介は、一瞬ためらいながらも後を追った。無言で去ろうとする背中に声をかける。


「あの、ちょっと!」


 女の子は立ち止まる。その背中がわずかに強張ったように見えた。


「……いま、私に?」


 振り返った少女は、思いのほか驚いた顔をしていた。漆黒のドレスに身を包み、整った顔立ちの奥に、どこか現実から乖離したような影が宿っていた。


「見えてるの? 私のこと」


「え? ……普通に見えるけど」


 その言葉に、彼女の瞳が一瞬、大きく見開かれた。


「……変な人」


 言いながらも、彼女は興味深げに圭介をじっと見つめてきた。その視線が痛いほどに真っ直ぐで、圭介は思わず目を逸らした。


「ごめん、別に本が惜しくてってわけじゃないんだけど……なんか、気になって」


「そう……そんな風に話しかけてくる人、あなたで二人目よ」


「二人目?」


 彼女は言葉を濁した。けれどその横顔に浮かんだ表情には、どこか寂しげな色が滲んでいた。


「……ねえ、せっかくだし、これの話、しない?」


 彼女は本の表紙を見せる。


「このまま帰るには勿体無いでしょ。近くでお茶でもしながら話さない? あなた、悪い人じゃなさそうだし」


 圭介は目を瞬かせた。


 * * *


 二人が腰を下ろしたのは、商店街の奥にある静かなカフェだった。木のテーブル、小ぶりなグラスに注がれたアイスティー、低く流れるジャズ。周囲の喧騒が嘘のような空間だった。

 何の損得もないたわいない話をしているうちに、いつのまにか陽が傾いてきていた。


「こういうの初めてだけど、ちょっと楽しいわ」


 彼女はアイスティーのグラスをストローでくるりと回しながら言った。


「俺だって、会ったばかりの女の子と2人きりなんて初めてだよ」


 圭介が目を逸らすと。ふっと彼女が微笑む。その表情には皮肉も憐れみもない、ただ静かな感情の揺らぎだけがあった。


「“気づかれない”ってことに、慣れちゃってたみたい。誰かの視線の中に入らないって、ある意味楽だった。でも──」


 言いかけて、彼女は目を伏せる。


「……まあいいわ。こんな話をしても楽しくないし、名前も、まだ教えてないしね」


「俺、風間圭介。名前くらい教えてくれよ」


「……ふふ、真面目なのね。じゃあ、私は“霞”でいいわ。月嶺霞、ね」


「いい名前だね。柔らかくて、どこか遠い」


「言葉選びが優しいのね。……どうせなら、もっと軽くてカジュアルな会話をしましょ。“好きな映画の話”とか?」


「いいね。さっきの“夏空の旅人”、観た?」


「ええ、三回も劇場に足を運んだわ。ラストシーン、泣きっぱなしだった」


「やっぱりあそこ泣くよな……。あの主人公がさ、全部失って、それでも最後に――」


「“何も手にしてないのに、一番大事なものだけは心の中に残った”ってモノローグ、でしょ? ……分かるわ。何も持ってないのに、どうしてこんなに満たされるのって……不思議だった」


「霞さんって、繊細なんだね」


「そうね。……いつも見栄を張ってるから」


 カップを置いた手がわずかに震えていた。彼女の声は少し遠くを見ているようだった。


「私ね、いつも誰かに“こう思われたい”ってばかり考えてる。強く見られたい。認められたい。……だけど本当は、自分のことすら好きじゃないの」


「……それでも、見栄を張るのは、悪いことじゃないと思う」


 圭介の声が落ち着いていた。まっすぐで、温かくて、否定も憐れみもなかった。


「俺も似たようなもんだよ。期待されるのが怖くて、それでも笑って頷いちゃう。誰かの役に立てるならって無理するけど、気づいたら、自分のことなんて後回しで。……それでも、不思議と、立ち止まれないんだ」


「……変なの。なんでそんなこと、私に話してくれるの?」


「なんでだろうな。……なんか、初めて会った気がしなかったから、かな」


 彼女の目が、一瞬揺れた。驚き、戸惑い、そしてほんのわずかに、何かが解けるような光。


「……もし、あなたが──一人目だったら、私、もう少しマシな人生だったのかな」


 そう言った霞の唇に、ほんの微笑が浮かんでいた。

 それは笑顔だった。けれど、何かを隠すような笑みだった。強がりと、本音のあいだに揺れる、一瞬の表情。


「え……?」


 圭介が問い返す前に、霞はすっと立ち上がる。椅子の軋む音が、静かな店内に小さく響いた。

 そして、ドアへ向かって歩き出すその背に、圭介は思わず声をかけた。


「ちょっと待って。どういう意味だよ、それ……」


 霞は立ち止まりはしなかった。けれど、ドアに手をかけたその瞬間、わずかに振り返る。


「さあね。深い意味なんて、ないかも」


 それでも彼女は、もう一度だけ振り返り、肩越しにふと、やわらかく笑った。


「……じゃあ、またどこかで会うかもね。私、気まぐれだから」


 圭介は言葉を失い、ただその背中を見送った。

 扉のベルが鳴り、霞の姿が街の喧騒の中に溶けていく。


「……なんだよ、それ……」


 思わず漏れた言葉も、風に流されていった。

 彼女が振り返ることはなかった。でも、確かに残っていた。

 目に焼き付いたあの背中と、どこか遠くを見ていた瞳の奥に。


 テーブルには、まだ氷が溶けかけたグラスが二つ。ガラスの表面に滲んだ結露が、まるでふたりの時間がすれ違いながらも一瞬だけ交わった痕のように、重なって残っていた。


 そしてその輪郭は、確かにどこかで重なり合った──それだけは、たしかだった。

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氷川たちの出会いと「第八班」創設の物語――
『GIFT・はじまりの物語』をぜひお読みください。

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