表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
《GIFT》―異能力、それは呪いか祝福か―  作者: 甲斐田 笑美
第5章 触れる掌、揺れる未来
53/69

5-9 正義の味方、なんだよね?

 ――ここには、どこにも“平面”がない。


 それが、まず拓夢を震えさせた。

 囲まれた檻は、四方を金属製の網で編まれていた。

 床も壁も天井も、すべてが“格子状”。

 つまり、どこにも「次元の扉」は開けない。


 彼にとっては、それは単なる檻ではない。

 絶対に、逃げられないという意味だった。


 彼の能力――“二次元と三次元を繋ぐ扉”は、必ず平らな壁面にしか作れない。

 この構造は、その能力を知り尽くした者の設計だ。

 完璧な、拘束だった。


「拓夢くん、ねえ……ちょっとは喋ってくれない?」


 月嶺霞の声が、檻の外から響いた。

 甘い声音だった。だが、その裏にあるものは、子供にも伝わる。


 拓夢は黙ったまま、足を抱えてうずくまっていた。


 霞はその姿を見下ろしながら、芝居がかった仕草でスカートの裾を揺らした。

 黒のドレスは場違いなくらいに華美で、彼女自身の存在を目立たせていた。


「名前、ちゃんと知ってるよ。絵垣拓夢くん。十歳。お母さんとふたり暮らし」


 返事はない。拓夢は目を伏せたまま、指先だけを微かに動かしている。

 その小さな仕草が、震えなのか、考え事なのか――霞には読めなかった。


「ねえ。怖がらなくていいのに」


 霞は笑った。だが、その笑みには、空っぽの音が混じっていた。

 芝居がかった声色と、歪んだ優しさ。その両方を同時に使いながら、霞は檻の前でしゃがみ込んだ。


「私ね、あなたの力がうらやましいの。ほんとに、心から」


 拓夢は少しだけ顔を上げた。目の奥にあるのは、怯え――だけではない。

 怒りか、疑念か。霞には判別できなかったが、彼の幼い瞳は静かに彼女を見ていた。


「壁を“くるり”と回して、世界を超えていくんでしょう? 違う場所に、違う景色に、ひとっ飛び。まるで魔法みたいよね」


 霞の声音が一瞬だけ、羨望に染まった。


「私には、そういうの……ないから」


 拓夢のまつ毛がぴくりと動く。


「私の能力は、“見えなくなる”だけ。誰にも気づかれないで生きるなんて、最悪よ。ねえ、どう? そんなの、楽しいと思う?」


「……」


「なのに、あなたは……」


 霞の手が、檻の金網に触れた。金属がこすれる音が微かに鳴る。


「それだけすごい力を持ってるのに、どうして黙ってるの?」


「使わないよ」


 それは、蚊の鳴くような声だった。

 でも、まっすぐに刺さるような言葉だった。


 霞の笑みが消えた。


「どうして?」


「玲次おにいちゃんが言ってた。……力は、人を助けるために使うもので、傷つけるために使うもんじゃないって」


「ああ、そっか。そっちの人間なんだ」


 霞は立ち上がった。足音をわざと響かせながら、檻から離れる。


「正義の味方。……いいね。理想的だわ。ほんとに」


 その声には、もう笑みはなかった。

 代わりに、鋭い乾いたものが混じっていた。


「でも、じゃあ――こういうときは、どうするの?」


 霞が指を鳴らすと、まるで合図のように――横の壁がスライドした。

 現れた檻の中に、拓夢と同年代の子供たちが押し込められていた。

 手足を縛られ、恐怖に歪んだ目が、揃って拓夢に向く。


 霞が檻の間を歩き、彼らの悲鳴を無視するように、ひとりの子の前で立ち止まった。


「あなたが拒むなら、ひとりずつ、この子たちを壊していく。ね、選んでよ。彼らか、あなたの意地か」


「や、やめて……!」


 拓夢の声が、初めて大きく響いた。


 霞の顔がわずかに崩れた。


(そう。ようやく声が出たね)


 それは、ほっとするような、許されるような感覚だった。

 でも同時に、苛立ちも押し寄せた。


(この子は、選ばれてる。必要とされてる。……なのに、何が不満なの?)


「私だってね、こんなことしたくないの」


 霞は、檻の脇に立てかけてあった警棒を手に取った。

 軽い。けれど、手に馴染まない。


 だが今、それを手放す理由も、彼女にはなかった。


「でも、やらなきゃいけないのよ。……あなたのせいで」


 霞の言葉は、自分自身に向けた呪詛のようだった。


 拓夢が何かを言おうと、震える唇を開きかけた。


 その隙を、霞は自分の中の衝動で埋めた。

 一撃――金属と肉体の音。鈍く、重たい音が室内に響く。


 小さな悲鳴。倒れ込む身体。別の子が叫びをあげる。


 霞はもう一度、振り下ろした。

 そして、また――三度。

 回数を重ねるごとに、腕に染みつくのは、確かな“手応え”。


(やってる……本当に、やってる)


 拓夢の目が、震えていた。

 だがまだ、何かを――信じている目だった。


 霞はその視線に、何よりも追い詰められた。


「見てよ。痛いんだよ? 苦しいんだよ? 血、出てるんだよ!」


 もう一度叩いた。うめき声。血が床に滲む。

 霞の胸が上下する。酸素が、肺に届かない。手が震えているのは、怒りか、恐怖か、自責か。


 拓夢が叫んだ。


「やめてっ!!」


 霞の手が止まる。


 だが、その声は――もう遅かった。


「正義の味方、なんだよね? だったら……守れよ。何か、ひとつでも!!」


 その叫びは、悲鳴に近かった。

 自分に向けた懇願。あるいは、呪い。


 霞の顔が歪んだ。


(恵まれてる癖に、わがまま言わないでよ)


 だが、その言葉はもう言えなかった。


 彼女の背後から、さらに冷たい声が割って入る。


「それでも……拒否するのね?」


 部屋の空気が凍りつくような錯覚。

 白いコート。西蓮が、無音のまま傍らに立っていた。


 その瞬間、西蓮は懐から何かを取り出した。

 小さな拳銃――無駄な装飾もない、冷たく機能的な凶器。


 霞の目が見開かれる。


「ちょ――」


 西蓮は拓夢から視線を逸らさず、銃をゆっくりと脇に構える。


 そして、何も言わず――子供たちの檻に向けて銃口を向けた。


「待っ――!」


 霞の制止は、空気に溶けた。


 パン。


 乾いた銃声が、鉄の部屋を裂いた。

 一人の子供が、胸を押さえて倒れ込む。

 血が咳きこむように口から溢れた。その瞳は、拓夢の方を向いたまま――二度と瞬きをしなかった。


 数秒の静寂。


 次に起きたのは、地鳴りのような泣き声だった。

 残された子供たちの悲鳴が、空気を裂く。 


 拓夢はその場に崩れ落ち、手を伸ばそうとして、檻にぶつかる。


「使えない道具はいらないわ。

 あなたはどう? 拒否を続けるならあなたも必要ない」


 それは命令でも、脅しでもなかった。

 ただの事務的な確認。拓夢を「人間」として見ていない目だった。


 拓夢は口を開いた。声は震えて、音にならなかった。

 だが、やがてわずかに唇が動き、喉から押し出される。


「……やる……やります……」


 西蓮は何も言わず、銃を下ろすと、ただ静かに背を向けた。

 まるで、今の一発に何の意味もなかったかのように。


 その場に倒れ伏した拓夢を見もしない。死体のように扱われた子供の隣を、音もなく通り過ぎていく。


 霞は、その背中を無言で見送っていた。


 声を出すことも、歩み寄ることもできなかった。


 ――怖い。


 はっきりと、そう思った。

 冷たさとか、残酷さとか、そういう言葉では足りない。

 目の前の女が持つのは、倫理や情の外にある力。

 霞のしてきたことなど、まるで子供の悪戯のように思えるほど、無慈悲で、確実な“線引き”。


 けれど、それでも。


 月嶺霞は、視線を上げた。


 拓夢がこちらを見る。怯えと混乱に塗れた、幼い瞳が。

 その視線の前で、霞はふと――口元に笑みを浮かべた。


 勝気な笑顔。


 まるで自分が全てを仕切ったかのように。

 まるで、恐れてなんかいないとでも言いたげに。


 喉は乾いていた。指先は震えていた。

 けれど彼女は、それを悟られたくなかった。


 誰にも。

 西蓮にも――自分自身にすら。


「ほらね、言った通りでしょ。……拓夢、いい子じゃない」


 乾いた声でそう言いながら、霞は背筋を伸ばした。


 その笑みの裏で、心臓の音が――自分の意思とは関係なく、喧しく鳴っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

過去編はこちらから読めます

氷川たちの出会いと「第八班」創設の物語――
『GIFT・はじまりの物語』をぜひお読みください。

▶ 過去編を読む
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ