5-4 雷鳴、そして目覚め
──空気が焼け焦げていた。
風間圭介は訓練場に足を踏み入れた瞬間、胸の奥がきつく締めつけられるような感覚に襲われた。鉄と焦げた臭いが混じり合う異様な空気。それはただの温度や臭いではない。目に見えぬ残滓──怒号、火花、焦燥、叫び──それらが空間に刻み込まれていた。
天井を仰げば、むき出しの鉄梁に黒くこびりついた煤。焼き尽くされた証だ。コンクリートの床には蜘蛛の巣のように放射状の焦げ跡が広がっている。どれもがまだ“新しい”。つい数時間前に爆ぜたかのような、生々しい傷。
ここが──突撃班の訓練場。
その一言を脳裏で繰り返すだけで、圭介の背筋には冷たい汗が伝った。
「……ようこそ、火薬庫へ」
気の抜けたような声が背後から降ってきた。振り向けば、ラフに髪を束ねた男が、汗を拭うタオルを肩にかけて立っていた。黒髪の束の間からのぞく瞳には、陽気な笑顔とは裏腹の、切っ先のような鋭さが宿っていた。
「俺は副班長、沼波渋淇。まあ、気楽に見ていってくれよ」
そう言いながら、沼波はくいと顎をしゃくる。
「ちょうどいいタイミングだ。今からいいもん見せてやる。少し下がってろ」
圭介が思わず数歩後退した直後、空気がバチッと弾けた。
「──いっちょ派手に、爆ぜやがれェ!」
雷鳴のような叫びと共に、爆風の中心から踏み込んだのは──金髪のショートヘアに、オレンジのメッシュを差し込んだ女。
その姿はまるで、炸裂する閃光の化身。瞳は燃えるように鋭く、立っているだけで皮膚がぴりぴりと痺れる異質な気配を放っている。髪が、電気を帯びて立ち上がるように逆巻いていた。
彼女は、鋭利な刃物のように腕を振りかぶった。
──瞬間。
世界が光に染まった。
白雷が空間を引き裂き、鋼鉄の訓練装置が音を立てて爆ぜる。轟音とともに立ちのぼる黒煙。壁面には閃光が鋭い傷痕を刻み、空気そのものが灼熱の塊に変わっていく。
「ビビるなよ、少年。これが“軽め”の挨拶ってやつだ」
雷の残光を背に、女は堂々と歩み寄ってきた。その一歩一歩に、床が軋むほどの圧を感じる。
視線が交錯する。挑発的で、そして確信に満ちた眼差し。
「お前が──風間圭介か」
圭介は、僅かに喉を鳴らして答えた。
「……はい。あなたが嵐原班長ですね?」
「ん。名前、刻んどけ。嵐原轟姫──世界一痺れる女だ」
──その言葉通り、彼女の体からは微かに電気が漏れ出している。嵐原は笑いながら、右手を差し出した。
「能力が不明ってのは難儀だが……ま、仲良くやろうぜ」
差し出された手に、圭介は戸惑いながらも応じる──が、
バチッ──!
「──っ!?」
瞬間、 雷が走った。皮膚を裂くような衝撃が右肩を貫き、思わず足が浮いた。
驚いたように嵐原が一歩、二歩と飛び退いた。
しかし、放電は止まらなかった。
むしろ、それは──圭介の中から、あふれ出していた。
「おい、嵐原!やりすぎだ!」
「……違う!あたしじゃねぇ!」
雷が天井を裂いた。蛍光灯が破裂し、鋭い破片が火花とともに舞い落ちる。
空気そのものが灼熱と電流の奔流に巻き込まれ、訓練場全体が揺らいで見えた。
「……これは、こいつの中から出てる!」
嵐原の声が、稲妻に掻き消されそうになる。
「ッ、抑えきれない……!」
圭介が呻いた。脳内で何かが弾け飛び、思考が焼き切れる。熱い。熱すぎる。骨の奥が軋み、肉体が自我の制御を拒んでいく。
──暴走だ。
「沼波、止めろ!あいつ持たねぇぞ!」
「──了解ッ!」
沼波が瞬時に床へと手を突いた。力強く、地を叩く。
「……沈めてやるよッ!」
床から水柱が噴き上がる。しなやかな刃のように、雷の軌道をなぞっていく。
だが──
ジュッ、と乾いた音。
圭介の雷が、水を焼き切った。
「……チッ、追いつかねぇ……!」
沼波が歯噛みする。
「俺一人じゃ抑えきれねぇ、誰か応援──!」
──その声に、応じるように。
「──どうしたの!?」
廊下の奥から、明るい少女の声が響いた。
駆け込んできたのは、白のブラウスに淡い紫のスカートをなびかせる少女──救護班の灯野蛍。
「え、圭介さん!? なに……このエネルギーの流出量……!」
灯野蛍は、一瞬だけ瞳を見開いたが──すぐに両手を広げた。
「光、集まって──静かに、穏やかに──」
彼女の身体から、ふわりと無数の光球が生まれた。まるで蛍の群れ。儚く、優しく、空間を漂うそれらは圭介の体を優しく取り囲み、荒れ狂う雷に静かに触れていった。
圭介の身体からはなおも雷が溢れ続けていた。
それを、灯野の光が一つ一つ、代わりに背負うように受け止めていく──。
「この光はね、あなたの“出しすぎた力”をやわらかく引き受けてくれるの。焦らなくて大丈夫、ね?」
優しい声が、雷の轟音のなか、微かに響いた。
圭介は──ただ呆然と、それを見つめていた。
これが、自分の中にあった“力”だというのか。
制御できない力。けれど、確かに自分の中に“ある”という証。
──こんなにも、熱くて、怖くて、それでいて確かに……。
ふ、と思考が浮かび、そして──遠のいた。
身体が重力に負けるように傾き、圭介は、崩れるようにその場に倒れ込んだ。
視界が暗転する、その直前──
彼の目に映ったのは、自分の掌の上で、かすかに揺らめく──雷の残光だった。




