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《GIFT》―異能力、それは呪いか祝福か―  作者: 甲斐田 笑美
第5章 触れる掌、揺れる未来
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5-3 曇りガラスの向こうに

 白に染まった静寂の病室に、控えめなノック音が響いた。


 アリスが振り返る。開いた扉の向こうに立っていたのは、室内の気配とは明らかに異なる人物だった。まるでその空間に漂う温度や密度を、目に見えぬ糸で整えているような、静謐な存在感。


 男は背筋を伸ばし、白シャツに濃紺のベストをきちんと着こなしていた。ネクタイの結び目は一分の狂いもなく、スラックスには皺ひとつない。黒縁のスクエア眼鏡の奥、深い藍の瞳が、まるで空気の粒子をも見逃さぬ測定器のように光っていた。


「情報班、谷澤です。初めまして。氷川班の皆さんですね」


 低く落ち着いた声だった。けれど、その響きには体温がなかった。冷たいのではない。感情が完全に削ぎ落とされた、無機質な言葉の温度。


「あなた方の件は、すでに制圧班の空西さんと救護班の灯野さんから報告を受けています。現時点では経過観察が必要とされており、引き続き救護班での治療と休養を継続してください」


 語り口は事務的だった。一語一句が整然としており、そこに私情はない。だが、次の言葉に移る前、谷澤は視線をほんのわずかに傾けた。それだけの動きに、アリスの肩が静かに緊張する。


「もっとも、体調はすでに安定しており、軽度の活動なら支障はないとのことです。本部施設の使用許可が正式に下りました。──その報告です」


 言葉には波風がない。だが、その均された響きに、アリスは逆に圧力のようなものを感じた。まるで見透かされているような──いや、観察されているのだ。秤にかけられるような視線。


 沈黙を破ったのは、玲次だった。


「こちらからも、伝えておきたいことがある」


 その一言に、谷澤の眼鏡の奥の瞳がわずかに細まる。黒曜石を思わせるその眼差しに見据えられながら、玲次は静かに続けた。


「当班において、未来に起こる“災厄”の兆候が確認された。情報源は──彼女、有栖祐希の能力による“未来視”だ」


 アリスは小さく息を呑む。玲次の言葉は静かだったが、その奥には揺るがぬ覚悟があった。


「これまで彼女が見てきたビジョンは、すべて現実のものとなっている。そして今度は、多数の能力者が巻き込まれる大規模な災厄が、半年以内に起きるらしい」


 谷澤は無言だった。瞬きすらせず、その事実をただ受け止める。まるで、想定内であるかのような沈黙。否定も動揺もない。


「……了解しました。つまりその未来を未然に防ぐため、本部との連携と情報提供を希望する──そういう解釈でよろしいですね」


「その通りだ」


 玲次の応答に、谷澤は静かに頷いた。それは肯定というより、整合性の確認のような仕草だった。


「ちょうど良い機会です。先ほども申し上げましたが、当施設の設備は自由に使用可能です。本部の各班とも適宜交流を。彼らにとっても良い刺激となるでしょうし、我々としても、氷川班が外部でどのような成長を遂げてきたか興味があります」


 その言葉に感情の起伏はなかった。敵意もなければ、期待もない。ただ、純粋な観察者としての興味が透けていた。


「情報班としても、“未来視”の能力と実績を正確に把握する必要があります。有栖さん、後ほど本棟の情報班ラボへいらしてください。これまでの夢の内容とその履歴について、可能な限り詳細な聞き取りを行います」


 アリスは息を呑んだが、まっすぐ谷澤を見返し、短く頷いた。


「……はい」


「では、また後ほど。……くれぐれも、気を抜かないように。本部内であっても、あなた方が“観察対象”であることに変わりはありませんので」


 谷澤は見定めるようにアリスを一瞥して、音もなく病室を後にした。


 扉が閉まったとき、張り詰めていた空気がゆっくりと緩んだ。


 アリスは深く息を吐く。胸の奥に蓄積していた緊張が、静かにほどけていく。


「……なんか……すごい人だったね」


 春香の呟きに、玲次が小さく笑った。


「俺達の実力を推し量ってるんだろう。……あいつとは昔ちょっと縁があってな。俺が外に拠点を作ったのも関係してる」


 だが、アリスは不思議と嫌悪感を覚えなかった。


 冷たいのに、拒絶されている気はしない。むしろ──あの男は問いかけていた。言葉でなく、視線で。確かめるように。静けさの奥にある誠実さを、彼女は感じていた。


* * *


 高い天井と、四方を囲むガラス張りの通路。


 その一角で、風間圭介は立ち止まった。手すりに肘をかけ、眼下の訓練場を見下ろす。


 GIFT HOLDERS本部の中央訓練場。広々とした空間にいくつものエリアが設けられ、今まさに所属する能力者たちが実戦さながらの訓練を行っていた。


 雷鳴のような轟音が天井を揺らし、閃光が地を裂く。別のセクションでは水柱が噴き上がり、その中を影が刃となって駆け抜けた。音速の残響が壁を反響し、身体が宙を舞い、力と技のぶつかり合いが視界を奪う。


 圭介は、その光景を黙って見つめた。まるで異能の祭典だ。人間の域を超えた者たちが、当然のように力を振るっている。


 ──俺には、あんなことはできない。


 そう、痛感していた。


 白坂に手も足も出なかった。仲間は傷つき、拓夢は──いまだに、戻らない。


 何もできなかった自分。ただ立ち尽くし、叫び、後悔することしかできなかったあの日。


 あれ以来、何度も思った。あの瞬間に戻れたらと。時間を巻き戻して、たったひとつの選択でも変えられたらと。だがそんな願いが叶うわけもなく、現実は、残酷なまでに冷たい。


 自分には力がない。この訓練場にいる誰よりも──“無能力者”であることを、突きつけられる。


「……俺は、まだ、何もできてない」


 静かな声だった。けれど、胸の内は嵐のように荒れていた。


 悔しかった。情けなかった。だけど──その下に、熱がある。


 逃げるのは簡単だ。誰かのせいにすることも、できた。けれど、それを選ばなかったのは、自分の中に、どうしようもなく、諦めきれない想いがあるからだ。


 あの日、玲次さんが言ってくれた言葉。アリスが、春香が、恭子が、黙って自分を信じてくれた姿。それが、ずっと心の中で燃えていた。


 力がないなら、身体を張ってでも前に出る。何もできないと笑われたっていい。無謀だと罵られたっていい。


 ──“この命を賭ける価値がある”と、自分は信じてる。


 だからこそ、選ぶべき道は、ひとつしかなかった。


「……できることをやるだけだ」


 そっと肩に置かれる手の重み。


 玲次だ。ただ、それだけで十分だった。彼はその一言だけいうと、黙って圭介の隣に立っていた。


 ふと、視界の端で何かが動いた気がして、圭介は横目で壁際のガラスに視線をやった。


 一瞬、ほんの一瞬だけ──そのガラスの一部が、淡く曇っていた気がした。


 温度差による自然な現象かもしれない。あるいは、ただの光の加減か。それ以上気にする理由もなく、圭介はすぐに視線を戻した。


 雷が閃き、影が走り、水が弾け、音が響く。それらはどれも、自分にはない力だ。けれど、ただ見上げているだけでは終わらない。終わらせない。


 心の奥に、確かな灯がともった。


 ──やれることは、きっとある。


 それは、誰にも見えないかもしれない。派手な力じゃない。けれど、自分にしかできないことが、きっとあるはずだ。


 風が通り抜け、空気が澄んだ気がした。胸の奥の淀みが、少しだけ晴れていく。


 何も終わってなんかいない。むしろ、これからが始まりだ。

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過去編はこちらから読めます

氷川たちの出会いと「第八班」創設の物語――
『GIFT・はじまりの物語』をぜひお読みください。

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