5-1 残された者たち
静寂に包まれた病室で、風間圭介はまどろみの底からゆっくりと浮かび上がってきた。
まぶたを持ち上げると、天井が白く、やけに明るく見えた。光の加減か、それとも――死んだのか?
一瞬そんな錯覚に囚われたが、鼓動が確かに胸を打ち続けていることに気づき、現実の手触りがじわじわと戻ってくる。
体を起こそうとした圭介は、自分の体にある異変に気づいた。
あれだけの爆発に巻き込まれたというのに、傷は癒え、痛みもない。代わりに、皮膚の奥でかすかに燐光のような淡い光が揺れていた。
「……あれ……」
言葉が漏れた刹那、
「――うわ、目ぇ覚ましたんだ! よかった~!」
ぱっと弾けるような声が室内に響いた。
声の主は、部屋の隅に座っていた少女だった。年の頃は十四、五歳。
明るい栗色のセミロングヘアを揺らしながら駆け寄ってきた彼女のまわりには、無数の小さな光の粒が浮かんでいた。
それは蛍の群れのようにふわりと空中に舞い、やわらかな光で病室を包んでいた。
「……君は……?」
圭介が戸惑いを隠しきれずに問うと、少女は胸を張ってにこりと笑った。
「灯野蛍! GHの救護班で、班長やってるんだ〜。みんなのこと、私が治したんだよ」
どこまでも無邪気で、それでいて真っ直ぐな目だった。
その言葉に嘘はない――彼女の放つ光そのものが、癒しと生命の象徴であるかのようだった。
「圭介くんね? すっごく重症だったよ、ほんと。でも、もう心配いらないよ。光がちゃんと体に残ってる。あと2日もすれば完全に抜けるから、無理しなければ大丈夫!」
軽やかに言いながら、彼女はベッドの足元に光を一つぽんと浮かべた。
それは羽根のように舞いながらゆっくりと消えていく。まるで夢の名残のように。
そのとき、カーテンの向こうから低く落ち着いた声がした。
「ようやく起きたか、圭介。寝すぎだ」
カーテンが静かに開かれ、氷川玲次が現れた。
ベッドのそばに座っていたのか、白いシャツの袖をまくりながら、じっと圭介を見つめている。
「玲次さん……」
「身体は大丈夫だ。この子のおかげでな」
そう答えた彼の顔色も良く、特に外傷は見当たらない。だが、彼の眼差しには普段よりもわずかに影が差していた。
さらにもう一つのカーテンが音を立てて開き、赤いスニーカーが床を蹴った。
「おーっす、圭介! 無事でなによりだよ、ほんっとーに……!」
それは栗原春香の声だった。
ベッドに身を乗り出すようにして圭介の姿を確認し、安堵と笑顔が同時に浮かんだ。
その隣のベッドでは、アリスが小さくあくびをして、頭を布団からもぞもぞと出してきた。
「ん……おはよ……けーすけ……あ、起きたんだ……うん……良かった……」
眠そうな声でぼそぼそと呟きながら、まだ夢の中と現実を行き来しているようだった。
髪飾りの黄色い花が、淡い光に照らされてわずかに揺れている。
「……圭介」
最後に、柔らかな声が呼びかけた。
振り返ると、ベッドの上に座っていた恭子が、穏やかな微笑みを浮かべていた。
彼女の身体にも、まだ灯野の光が薄く残っていて、それが彼女のふんわりしたウェーブヘアに透けて、どこか神秘的に見えた。
「みんな……生きてるんだな……」
圭介は心の底から、その言葉を吐き出すように呟いた。
激闘の末、命の灯は絶えなかった。それを、目の前の景色が証明していた。
けれど――
一つだけ、揃っていない。
胸の奥に引っかかっていた疑問が、自然と口をついて出た。
「……拓夢は?」
その声が落ちた瞬間、空気が止まった。
音が消える。
呼吸の音さえ、遠くなる。
春香が、ゆっくりと俯いた。長い髪がその表情を隠している。
「……助けられなかった」
かすかな声。だが、その響きは耳の奥に残ったまま、消えなかった。
アリスが唇を噛む。膝の上で、指がぎゅっと拳を握りしめる。細い肩が震えるのを、誰も見ていないふりをした。
恭子は圭介を見た。揺れる瞳に宿るのは、後悔と安堵と、それでも言葉にならない痛み。
彼女は、ただ言った。
「でも……みんな、生きてた」
言葉が、途中で途切れる。
誰も、続けられなかった。
玲次は窓の外を睨むように見つめたまま、無言だった。拳だけが、白くなるほど握られていた。
「……次は、絶対に逃がさない」
その声が低く落ちたとき、圭介の胸が、ふっと軋むように揺れた。
沈黙が、降りる。
重く、深く。
圭介はゆっくりと、両の掌を見下ろした。
空っぽの手。
拓夢と出会ったのは、まだ遠い過去じゃない。肩を並べて、笑って、戦って。いつの間にか、隣にいることが自然になっていた。
でも、今そこにいない。
「……なんで」
声にならない声。
喉が焼けるように痛いのに、言葉が止まらない。
「なんで……あのとき、俺……!」
息が詰まる。言葉が喉に刺さるように突き立つ。
拳が震える。
ただ、ただ、自分が情けなかった。
無力だった。
それが、すべてだった。
「俺に……力さえあれば……!」
叫ぶように、絞るように、声が爆ぜた。
誰も、それを止めなかった。
灯野の癒しの光が残した痕が、まだ身体に残っている。生き延びた証であり、そして——守りきれなかった証でもある。
静けさが、また落ちる。
泣く者はいなかった。
けれど、誰もが胸の奥で、何かが軋む音を聞いていた。
その痛みは、深く、熱い。
——この悔しさを、力に変える。
誰も口にはしない。
だがその場にいた全員が、確かに、心に誓っていた。




