幕間 崩壊の交響曲
重苦しい静寂が、沈黙の帳のように部屋を包んでいた。
壁は漆黒の大理石で覆われ、天井は高く、光源は天頂に吊るされた古びたシャンデリア一つ。鈍く金属のように冷たい光が、部屋の隅々にまで静かに落ちている。
深紅の絨毯は足音すら吸い込み、床に刻まれた円形の紋章だけが、主の思想を物語っていた。
その中心に据えられた黒漆の円卓を囲むように、六脚の椅子が置かれていた。
五人の男女が、すでにその椅子に座していた。片倉麗一――組織の頂点に立つ男を除いて。
その中のひとり、場違いにも見える若い少女がテーブルの脚を爪先でつついていた。
黒いドレスに透けるような白い肌、どこか古びた人形のような外見の少女――月嶺霞は、小さくため息をついた。
「……ねぇ、まだ? これ、いつ始まるの?」
誰が応じるより先に、扉が静かに開いた。
白手袋をつけた長身の男――片倉麗一が、無音の歩みと共に入室し、会議卓の先端に腰を下ろす。
すべてが、整えられた儀式のように無駄がなかった。
「各員、よく集まってくれた。……時間を取らせたな」
落ち着いた声が空気を切り裂く。
そしてすぐに、形式的な前置きもなく本題が始まった。
「“次元移動”の能力を持つ少年――件の対象は、先ほど無事に確保された」
空気が微かに凍る。
「能力の解析は継続中だが、判明した特性からしても、我々が待ち望んだ存在であるのは間違いない。……もっとも、現時点ではこちらの理念に同意を得られていない。説得を進めているところだ」
その言葉が終わるより先に、月嶺がくつくつと笑い出す。
「ふーん? 説得ねぇ……そんな簡単に話が通じる子なの?」
片倉は一瞥をくれたが、感情の起伏は見えなかった。
「問題はない。相手は子供だ。どのような手段を用いても、最終的には我々に従わせる」
その言葉に、月嶺の眉がわずかに動いた。
「……子供、ね」
皮肉を含んだような笑みが、月嶺の口元をゆがめる。
彼女もまた高校生ほどの年齢。その言葉に自分も含まれているのは明白だった。
「せっかく“会議”なんでしょ? 他のみなさんはどう思ってるの? 説得されるまで、お行儀よく待ってるわけ?」
奔放な言葉に、黒田が苦笑まじりに肩をすくめる。
「お嬢さん、大人にとって会議ってのはな、上司の言葉にうんうん頷くためのもんなんだよ」
「はっ、くだらない。……腐った大人の思想を押し付けないで」
片倉は応じず、視線を滑らせた。
「――西蓮。この娘はなぜ会議に参加している? 辺境で保護した“迷子の子供”だと聞いているが」
応じたのは、対面に座る女性――西蓮だった。
白衣をまとい、円熟した色香を漂わせる容貌と落ち着き。だが、声には一片の温度もない。
「なぜって? 彼女は、“我々の意志”に心から賛同した数少ない存在よ。潜在能力も高い。……手駒に留めておくには惜しいと思わない? 会議に加えるのは妥当な判断よ」
片倉はしばし黙し、わずかに目を細める。
「君がそう考えるのなら構わない。ただし、責任は持ってもらう。場を乱す者は、この机に相応しくない」
「……ふふ」
月嶺が笑った。叱られることすら、遊戯の一部のように。
「私に任せてみなさいよ。次元がどうとかって子供でしょ? 私が“説得”してあげる。すぐに、こちら側に引き込んでみせる」
片倉の瞳が一瞬だけ冷える。
「許可できない。素性の知れぬ者に任せる任務ではない。これは最重要案件だ」
「なら、私も同行するわ。それでいいでしょう?」
静かに西蓮が口を挟んだ。
片倉はわずかに沈黙し、頷いた。
「君が責任を持ち、制御できるというのなら、任せよう」
「やれやれ……ずいぶんと元気な子が来たもんだねぇ」
黒田が椅子の背に体を預け、唇の端を吊り上げる。
「ふふっ、国を変えるんでしょ? だったら、“まともな感性”を持ってる若者が加わるのは当然じゃない?」
月嶺が得意げに言い放った。片倉は、その言葉にほんの僅か、口元を動かした。
「……その覚悟があるなら問題はない。我々はこの国を作り変えるのだからな」
そして、次の瞬間――全員が、ほぼ同時に、しかしまったく異なる言葉を口にした。
「この国の繁栄のために」――片倉は静かに。
「片倉様の望みのままに」――橘はうやうやしく。
「俺が長生きするために」――黒田は吐き捨てるように。
「この我が真なる王として君臨するために」――白坂は誇らしげに。
「この国が正しくあるために」――西蓮は囁くように。
「まずは腐ったこの国をぶっ壊す」――月嶺は愉しげに。
それは――
調和という仮面をかぶった、異端たちの合唱だった。
誰一人として、同じ未来を望んではいない。
だが不思議なことに、彼らの声は確かに“同じ方向”を指していた。
崩壊と再生。その境界線へと向かって――
* * *
荘厳な扉が静かに閉じる。
石造りの廊下に響くのは、彼女のヒールの音と、白衣の裾が擦れるささやかな布の音だけ。
部屋の外も、静謐にして重厚。窓はなく、密室のような設計。
空調は完璧で、空気は清潔だが、どこかで“外”を拒絶している。
まるでこの空間全体が、一つの密やかな棺のようだった。
月嶺は無言のまま歩き続ける。その横を、白に包まれた女が静かに並ぶ。
表情は変えるが、声はいつも無機質。感情という熱を持たない人形めいた人。
それでも、彼女の隣は落ち着く。なぜか。
答えは簡単。西蓮は、月嶺を“必要としている”から。
自分という存在を、ここに繋ぎ止めてくれるから。
「……さっきの会議、まあまあだったわ」
月嶺が言うと、西蓮は歩を止めず、顔だけを傾ける。
「意見をぶつけられたことが、嬉しいの?」
「ぶつけたんじゃない。叩き込んだのよ、歪んだ空気に一発。
あの場にいるヤツら、“子供”ってだけでわたしを舐めてる。ムカつくでしょ?」
彼女の声は柔らかさを装っている。けれどその内側には、尖った衝動があった。
どす黒い怒りが、芯のように身体を貫いている。
見下され、捨てられてきた過去が、彼女の言葉を硬くする。
「拓夢って子、説得するって話だけど――まあ、わたしなりにやるわ。
話してわかんないなら、“力”で教える。今の世の中って、そういうもんでしょ?」
「つまり、暴力的に、ということ?」
「“暴力”って言い方は好きじゃないわね」
月嶺は口角を上げる。
「ちょっと“可愛がる”だけよ」
西蓮は何も言わない。けれど彼女の歩みは止まらず、否定もしない。
「必要とされてるのに拒むなんて、贅沢じゃない?
言葉が響かないなら――まあ、響くまでやるわ。
そうして、わたしは“意味のある存在”になるのよ」
意味。
それは月嶺がずっと求めていたものだ。
ゴミ捨て場のような街で、誰からも顧みられず、何者でもなく生きてきた。
ただそこにいるだけで価値があるなんて、信じたことがなかった。
「……霞、あなたは今、自分を試しているのね」
「当然。こんな場所に足を踏み入れたからには、わたしはただの子供じゃいられない。
あんたたちが国を変えようってんなら、わたしはその尖兵になるわよ。喜んで」
その声には、虚勢と自虐と、ほんのひとかけらの希望が混ざっていた。
西蓮はそれを、ただ黙って聞いていた。
「……もし、わたしが使えなかったらどうする?」
「そのときは、私が責任を持って処理するわ」
「冷たいのね」
月嶺は笑った。けれど、それでいいとも思った。
自分を利用する者なら、自分を切り捨てる冷酷さも持っていてほしい。
だからこそ、信じられる――そんな歪んだ安心が、彼女の奥底にはあった。
「まあでも、大丈夫よ。説得、きっとうまくいく。
この手で、“わからせる”つもりだから」
静かな空間に、彼女の声だけが響く。
壁に囲まれた世界。逃げ道のない閉鎖空間。
だが、ここは彼女にとって、生まれて初めて、自分の声が届く場所だった。
白と黒――無表情な大人と、虚飾に彩られた少女が、静かに並んで歩いていく。
その背に、確かな影が伸びていた。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
幕間を描いている時が一番活き活きとしています。描きたい事を詰め込んでますからね。
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