4-12 残光
白坂は、あくまで悠然と、何かを見下ろすように言った。
「我に物理的拘束など、端から意味を成さぬ」
その言葉に、圭介の眉がわずかにひくつく。
「……どういうことだよ」
問いというより、ただの呟き。だが白坂は、王のような余裕を以て語り始めた。
「普段、我は力の半分しか出しておらぬ。さもなければ、この身を留めておくことすら困難だからな」
その声音は、まるで絶対の法則を語るかのようのようだった。
「出力を全開にすれば、我は肉体を構成する必要がなくなる。つまり——光そのものとなるのだ」
空気が凍りつく。
「光の粒子となった我に、どんな檻が通じる? 氷も、鉄も、炎でさえも、すり抜ける。ただそれだけだ。もちろん、その間は物に触れることもできぬ。不便だが——逃げるには、十分だ」
玲次が、奥歯を噛み締めた。圭介もまた、無意識に拳を握りしめる。
「……じゃあ、どうすりゃいいんだ……」
物理攻撃が通じない。触れることすらできない。どんな連携も、策も、力も——無意味だというのか。
白坂は、つまらなそうにため息を吐いた。
「そろそろ——終わりにしよう」
次の瞬間。
——視界が白く塗り潰された。
激しい閃光。目が焼かれるような感覚。
だがその直後、衝撃が全身を襲った。
「——ぐッ!」
声にならない悲鳴が、次々に巻き起こる。
白坂の姿は一閃ごとに“消え”、そのたびに誰かが吹き飛ばされていった。
玲次が、春香が、恭子が、アリスが、空西が、圭介が——次々に。
一撃。たった一撃ずつ。にもかかわらず、全員が地に伏せられた。
ただ一人、攻撃を受けなかった者がいた。
——拓夢。
白坂は、驚くほど柔らかく、少年の体を抱き上げていた。
「離せッ! 離さないと、お前をこのスケッチブックに閉じ込めるぞ!」
拓夢が、必死にスケッチブックを突き出す。
その表情に怯えはない。覚悟があった。——たとえ、それが叶わぬ行動であっても。
玲次は、冷静に見て取った。
(無理だ……あのサイズじゃ、白坂は収まらない……)
拓夢の能力には条件がある。対象と同等か、それ以上の面積が必要だ。小さなスケッチブックなど、白坂を閉じ込めるには到底足りない。
だが白坂は、それを知らない——あるいは、知らないふりをした。
「ほう……それは怖いな」
と口では言いながら、白坂の体はふわりと宙に浮いた。
「ならば、貴様の反撃が叶わぬところまで行こう」
そう言った次の瞬間——白坂の足元に光が集い、閃いた。
風すら巻き込まず、音すら置き去りにして。
白坂の身体が、爆発的な加速で跳躍する。拓夢を抱えたまま、まるで光の矢のように——天へ。
「あっ……!」
誰かの呻きが、追いつく暇もない。
一閃。
それだけで、白坂の姿は、もはや空のどこにもなかった。
残されたのは、瓦礫と、倒れ伏した仲間たちだけ。
春香が、かすかに呻いた。玲次は意識を保ってはいたが、体がまるで言うことを聞かない。恭子とアリスも倒れ伏し、呻くことすらできずにいた。圭介もまた、地面に這いつくばったまま、ただ空を見つめていた
そして——
微かな呼吸音が、崩れた瓦礫の間から漏れた。
仰向けに倒れた空西が、震える指で通信機のスイッチを押しながら、かすれた声を絞り出す。
「……こちら空西……救護要請……対象六名……、場所は、セクション・セブン……」
そこで通信が途切れる。
空西の意識が、深く沈んでいった。
* * *
風が、耳元で悲鳴を上げていた。
目の前に広がるのは空。
下を見ると、もうどこが地面かも分からない。世界は豆粒みたいに遠ざかって、景色のすべてが霞んでいた。
拓夢は、白坂に抱えられたまま、はるか上空へと運ばれているのを理解していた。身体が宙にあることも、もう地面には戻れないことも、肌で感じている。
「離せ……離せよっ……!」
叫びながら、拓夢はスケッチブックを胸の前で構えた。震える手で、それでも必死に。
「閉じ込めてやるからなっ……! この中に、ぶちこんでやるからなっ!」
強がりだった。けれど、それが彼にできる、唯一の反撃だった。
白坂は、楽しげに笑った。
「ほう、それは怖いな。だが——」
その目が、氷のように冷たくなる。
「我がここで消えたら、貴様はどうなる? 地上へ、まっ逆さまだぞ?」
拓夢の喉が詰まる。
けれど、負けるわけにはいかなかった。
「へ、へーきだし……! オレ、自分をスケッチブックに閉じ込めて……着地したら、また出るから!」
自分でも何を言ってるか、少しだけ分からなかった。
それでも白坂に対抗するには、それしかなかった。虚勢を張るしかなかった。
「ならば——やってみろ」
その声と同時に、白坂の腕が離された。
「えっ」
一瞬、世界が止まった気がした。
次の瞬間、拓夢の身体は空へ放たれた。
落ちる。落ちる。風が叫び、景色が反転し、空と地面の境が狂っていく。
「う、うわああああああああああッ!!」
叫ぶしかなかった。
何もできない。能力も、勇気も、何の役にも立たない。
ただ、落ちていく。吸い込まれるように。
——死ぬ。
初めて、本気でそう思った。
だが。
「……っ!?」
急に、落下が止まる。
体が、空中でふわりと受け止められた。
驚いて顔を上げると、そこにはまた白坂の顔があった。
「やはり、できぬな」
白坂は薄く笑った。
その笑みは優しさではなく、支配する者の冷ややかな慈悲だった。
「貴様を生かしているのは、その方が我らにとって都合がいいからというだけだ。次は……受け止めぬぞ」
その言葉は、鋭い刃のように拓夢の心を貫いた。
拓夢は、震えながら顔を横に振った。
何度も、何度も。
もう逆らわないと、自分でも分かるくらいはっきりと、首を振った。
——負けた。
でも。
(……こ、こわかった……おしっこ漏れちゃったし……)
それでも拓夢は、目を閉じて、心の中で小さく呟いた。
(でも……逃げなかったもん……ちょっとだけは……勇気あったよね……玲次兄ちゃん……)
風の音がまた、静かに耳に戻ってきた。
拓夢は、白坂の腕の中で小さく丸くなりながら、どこへ運ばれていくのかも分からないまま、ただ——空を漂っていた。
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