4-11 その眼差しの先に
空を駆ける影が一陣、氷の壁へと滑空する。宙を裂くように突き進むのは空西カケル。筋肉を引き絞った両脚が、最後の跳躍を残して鋭く空気を蹴る。
その腕に抱かれているのは、少年・絵垣拓夢。
拓夢は確かに微かな意志の火が灯った眼差しで氷壁を見つめ、震える指先で氷面を指す
「……行ける。あそこに、開ける」
声はかすれていた。だが、その小さな声には確かな確信が宿っていた。
空西は僅かに頷き、滑空の速度をさらに増す。彼の狙いは明確だった。白坂光輝の、腰下が封じられた氷壁の“表層”。拓夢の能力が開く次元の扉をそこに開く。
――が、そのとき。
氷に封じられた白坂が、静かに顔を上げた。
「ほう……子供の力を借り、我を封じる算段か」
その声音に、驚きも焦りもなかった。ただ、冷ややかな嘲りが滲む。
「実に滑稽。我の目的はその子供のみ」
腰から下を氷に閉ざされながらも、白坂の右腕がゆるやかに持ち上がった。
まっすぐに伸ばされた指が、空を翔る空西と拓夢を捉える。
「それ以外の者の生死? 知らぬな。ゆえに——」
指先に、光が収束する。
冷たく、鋭く、破壊そのものの輝きが宿った。
「我が裁く。貴様は、我の御前に跪く資格すらない」
その一言とともに、光が放たれようとした――その刹那。
轟。
空気が裂け、何かが降ってきた。
音より速く、視覚より鋭く。
「――春香さん!?」
圭介の叫びが、思わず漏れた。
逆光の空から、舞い降りるように春香の姿が現れる。重力を味方につけたかのような高速落下。その身体はしなやかに、そして鋭く弓のように反り返り、踵が一直線に白坂の頭部を狙っていた。
逃げ場など、あるはずがない。
白坂は氷に封じられている。頭上からの奇襲に、反応など間に合わない。
だが——
白坂の身体から、突如として烈光が噴き上がる。
白く、深く、無慈悲に。
その光は視界すべてを覆い尽くし、距離を取っていた圭介でさえ、思わず腕で顔を庇った。
——だが、見えていた。
春香の踵は、もう白坂の頭部に届く寸前だった。
あの角度、あの速度、あの距離で——外すなどありえない。
圭介は確信していた。
だが。
光が収まり、視界がようやく輪郭を取り戻した時——
そこには、誰もいなかった。
氷の孔の間に、白坂の姿はない。
春香は氷にも触れず、地に着地していた。その表情に、明確な戸惑いが浮かんでいる。
「……どこに?」
その問いに答えたのは、尊大で傲慢な声だった。
「——どこを見ている。我は、ここだが」
ぞくり——。
圭介の背筋を、氷の棘のような戦慄が貫く。
振り返った。
自分たちの背後——全員の死角。
しかも、まるで圭介達が包囲したかのような位置に、白坂は立っていた。
氷の拘束など、まるで最初から存在しなかったかのように。
その立ち姿には、すでに戦場すら支配下に置いた“王”の風格があった。
誰も彼もが彼の掌にある。
そんな“事実”を突きつけるような気配が、戦場の空気を塗り替えていく。
圭介の足が、一歩、自然と後ずさる。
自分の意思ではない。
身体が、白坂の威圧を“危険”と判断したのだ。
白坂の足元には、氷もなければ傷もない。
彼は最初から自由だった。
氷に閉じ込められていたのも、彼の“演出”だったのか?
春香の呟きが、風に乗って圭介の耳に届く。
「私の蹴り、当たってたはず。……でも、当たってなかった。あの一瞬で“消えた”」
それは瞬間移動か?
認識の撹乱か?
あるいは、物理法則そのものをねじ曲げる“光の支配”か?
答えを出せる者はいなかった。
ただ、白坂光輝が“常識の外側”に立つ存在であることだけが、揺るぎない真実として、全員の心に刻み込まれていた。




