4-9 人類最強の宣告
夕陽が傾きかけた空を赤く染めていた。焼け焦げた鉄骨の街に、斜光が長い影を落とす。風は静かに吹き抜け、そこかしこに残る瓦礫の間を撫で、埃と鉄錆のにおいを運んでいく。
「次元移動の能力者よ——お前に問う」
その声が発された瞬間、場の空気が一変した。熱でもなく、冷気でもない。言葉だけで、空間そのものが引き絞られたような緊張が張り詰めた。
圧倒的な“存在感”だった。
光はその男の全身から溢れていた。輪郭を滲ませるほどの強い輝き。それは神々しさというよりも、むしろ現実離れした恐怖を与える異形のもの。名を、白坂光輝という。
その名が、空気中に“格”として染み渡るように感じられた。
「我と共に来るか……あるいは、ここで雑魚どもと共に滅ぶか。選べ」
その口調は命令ではなかった。明確な“選択”だった。拒絶すれば、何が起きるのか。誰もが理解できる言葉の重みだった。
その言葉の重みを、誰よりも敏感に受け止めたのは——拓夢だった。
彼は一歩、無意識に後ずさった。心臓が跳ねる。反射的に喉の奥に小さな息を詰まらせる。それほどまでに、この男——白坂の“何か”が、根源的な恐怖を呼び起こした。
だが、白坂は彼の動揺など歯牙にもかけない。
「我と来れば……お前は新たな世界の創造を、その目で見届けられよう」
その目は、ただ拓夢一人に向けられていた。他の誰にも、視線すら与えていない。人ではなく物を見るように。他の者たちは、最初から“舞台装置”にすぎないという態度だった。
拓夢は唇を噛みしめ、小さく息を吐く。そして——真正面から、その光の男を見返した。
「……行かない。お前となんか、絶対に」
静かだが、はっきりとした拒絶だった。震えていた膝を、強引に押し止めるように声を出した。だが、その瞬間——白坂の口元がわずかに動いた。
笑った。
それは冷笑でも、侮蔑でもない。まぎれもない、戦意。血の一滴も通わぬ戦慄の光をたたえた表情。
「ならば、無理矢理にでも来てもらおう」
白坂の周囲に、再び光が集まり始めた。その輝きは波紋のように空気を揺らし、風向きをねじ曲げる。
「拓夢を頼む!」
玲次の声に応え、空西は一直線に拓夢のもとへ滑空する。以前の戦いで負った傷はまだ完全ではないが、動きに支障はなさそうだ。残骸のトラックをかすめ、加速していく。
「白坂の飛行速度からは逃げ切れない。……拓夢に閉じ込めさせる」
玲次が低く言い、前方を睨んだ。
「時間を稼ぐぞ」
五人が横一列に並ぶ。風間圭介、音無恭子、氷川玲次、栗原春香、有栖祐希。背後には拓夢と空西。陣形はすでに整っていた。
白坂がゆっくりと歩を進める。足音はしない。それが余計に不気味だった。
「まとめてかかってこい。人類最強を前にして、滅びを震えて待つが良い」
両腕を広げる仕草。白く発光するその身体が、まるで夜を拒む灯台のように輝く。だがその光に、救いの温度はなかった。あるのはただ、圧殺する力の象徴。
(……演出だ)
圭介は即座にそう確信した。
その態度はあまりに堂々としている。自信ではない。“確信”だ。敵を敵と思っていない眼差し。まるで……虫を見下ろすような目。
「数はこちらが多い。勝機を捉えるまで持久戦だ」
玲次が静かに言った。その計算には、すでに拓夢と空西の動きも組み込まれている。
「……くだらん。虫けらども」
白坂が一同を一瞥した。その目には、終始一貫して“価値のなさ”しか映っていない。
玲次のこめかみに汗が浮いた。その焦りが、逆に圭介の中で静かな怒りへと変わる。
「戯れは終わりだ。闘う気がないなら……ここで、終われ」
白坂が一歩を踏み込んだ瞬間、全身が閃光に包まれる。反射的に腕で目元を覆った。
そして。
空気が急激に冷えた。
バチン——と、空気が弾けるような音が響く。玲次が足元に掌を叩きつけた瞬間、彼の体から冷気が奔った。白い霧のようなそれは地を這い、ひび割れたアスファルトの隙間や瓦礫の影に入り込み、凍結を始める。
音が変わった。
不気味な音とともに、氷が爆発的に成長していく。まるで地面が息を吹き返したかのように、氷柱が隆起し始めた。
目の前の地面が、壁のように盛り上がる。コンクリートに染み込んだ水分すら凍らせながら、氷はビルの三階に届かんとする高さまで一気に伸び上がった。
「っ……でかっ」
圭介が息を呑む。
玲次の冷気は、空気中の湿気をも凝縮し、密度と厚みを持つ“防壁”へと姿を変えていた。凶暴なまでの速度で育ち、視界を、空気を、すべてを遮断する。
陽を遮ったそれは、背後に長い影を落とす。地面はわずかに震え、足元からも“質量”が伝わってくる。
それはもはや壁ではなかった。断絶そのものだった。
その裏側に——白坂がいる。
氷の壁は、確かにその一瞬を防いだ。
けれど。
(……なんで、飛ばない?)
圭介の視線が自然と壁の上空へと滑った。白坂は飛べる。玲次もそう言っていた。逃げ切れないほどの速度で飛べるのに。
——だというのに。
白坂は、飛ばない。
氷壁の向こうからは何の気配もない。無音。まるでこの世から消えたかのような沈黙。
それが逆に、圭介の神経を研ぎ澄ませた。
(違う……飛ばないんじゃない。飛べるのに、飛び越えてこない)
ぞわり、と背筋に異質な冷気が走る。氷の寒さではない。もっと根本的な、“悪意”そのもののような感触。
警戒が、確信に変わる。
白坂は飛ばない。手間だからでも、警戒しているからでもない。
——ただ、遊んでいるのだ。
戦力差を誇示するために。
圭介は拳を握りしめた。目の前の氷壁は、確かに巨大だ。けれど、それは「時間を稼ぐため」の壁だった。
白坂は、その“時間”すら奪おうとしていない。
——奪う価値もない、と。
「……なめられてるな、完全に」
そう口に出した瞬間、自分の中の火が一層燃え上がった気がした。
玲次も、おそらく気づいている。春香も、恭子も。誰もが黙して、氷壁の“その時”に備えていた。
氷の向こう側。
見えない圧力が、着実に満ちていく。




