4-7 すれ違いの果て
崩れ落ちた鉄骨が無数に散らばる瓦礫の中、襲撃者はうつ伏せのまま地面に身を預けていた。肩で荒く息をつき、痙攣するように指先を震わせている。
その背中に、夕日が差し込んでいた。沈みかけた陽が、瓦礫の影を長く引き伸ばし、敗者の輪郭をゆっくりと浮かび上がらせる。
彼の表情には、怒りも憎しみもなかった。あるのは、ただ――敗北感。
「……俺が……GH第二班、制圧部隊の俺が、こんな場所で敗れるとはな……」
かすれた呟きが、乾いた風にさらわれる。
その一語が、氷川玲次の内側を静かに切り裂いた。
明確な名称だった。それも、外部の人間がそう簡単に知り得るはずのない、GH本部の内部所属名。聞き間違いでなければ――いや、そんな偶然があるはずがない。
思考が刃のように研ぎ澄まされる。
(……まさか。いや、そんな馬鹿な話が……)
脳裏に走る一通の通知。いつの事だったか、第二班の班長が交代したとの情報が、第八班にも共有されたことを思い出す。名までは記されていなかったが、それでも――
「念のため、意識を奪って拘束しておくべきじゃない?」
栗原春香が一歩踏み出しかけたその瞬間、玲次は無言で腕を伸ばし、彼女の前に立った。
「……待て、春香」
低く、だが決して逆らえない声だった。
春香は一瞬、戸惑いを浮かべたが、玲次の目を見てすぐに立ち止まる。その瞳には、確信があった。戦闘の終わった今でも、研ぎ澄まされた直感が、敵意の消失を察知していたのだ。
玲次は倒れた男に視線を戻し、静かに言った。
「……彼は、敵じゃない」
口にして、確信が落ちてくる。重く、静かに。
その言葉は、自らにも向けた確信だった。口にした途端、得体の知れない靄が一気に晴れていく。理解が、重く、冷たい氷塊のように胸へ落ちてきた。
味方だった。最初から。
ただ情報が錯綜し、接触経路を誤った。それだけのことだった。
相手――男も、それに気づいたように、ゆっくりと顔を上げた。切れ長の目が、苦しげに細められ、それでもこちらをまっすぐに捉える。
「……まさか……お前らも……GHの……?」
玲次はひとつ、肩を回し、呼吸を整えてから短く名乗った。
「氷川玲次。GH第八班、遊撃部隊所属」
男の瞳がわずかに見開かれ、そのまま眉が上がる。
「第八班……? どおりで見かけないわけだ……」
「独立部隊だからな。必要がない限り、顔を合わせることもない」
玲次の口調はあくまで平静だったが、その内側では全身の神経が、まだ戦闘の余熱に焼かれていた。血の鼓動が強く、喉奥に残る鉄の味すら消えない。
「……そうか。……こっちも、能力者の子供を襲ってるように見えて……」
男は仰向けになり、重くなった呼吸をひとつ吐き出す。皮肉のような、乾いた息が夕空に消えていく。
「……空西カケル。GH本部、第二班の班長だ。……まさか、仲間同士で命の取り合いとはな」
その言葉に、玲次の口元にも苦い笑みが浮かんだ。軽く頭をかいたあと、小さくつぶやく。
「皮肉だな。俺は“仲間を守るための戦い”だと、信じていたのに」
「ほんとにな……」
その瞬間、ふたりの間に沈黙が落ちた。だがそれは、緊張ではなかった。安堵と、ほんの少しの後悔とがないまぜになった、静かな空白だった。
過ちを悔いている暇はない。だが、それを噛みしめる時間は必要だった。
そのときだった。
「……ねえ、あれ……なに?」
恭子の声が、静かに空気を切り裂く。
玲次たちが一斉に顔を上げると、恭子は朽ちかけた天井の隙間を見つめ、指を差していた。
空。
高く、広がる空の奥――。
そこに、尾を引く白い光があった。まるで、空を裂く彗星のように。
いや、違う。彗星ではない。あれは、一直線にこの地上を目指して――
「流れ星……じゃ、ないな」
思わず口をつく。
それは希望の象徴でも、ただの自然現象でもない。
確かに――こちらを、狙っている。
「アリス、“未来視”で何か見えねえか?」
玲次は背後の少女に振り返る。
アリスは目をきつく閉じて、両手を頭でぐりぐり抑えながら唸っていた。だが、やがて申し訳なさそうに首を振った。
「……ごめん、玲次さん。ちょうど切れてるの。……今は、何も見えない」
その一言で、場の空気が一変した。
誰もが見上げていた。
地平線の彼方から、確実に、加速度を増しながら迫ってくる――あの光。
風が吹いた。
重たい空気を震わせるように。
次に何が起こるかは、誰にもわからない。だが、確実に“何か”が起ころうとしている。
――静寂。
その中心に、光の塊が真っ直ぐに突き進んでいた。




