4-3 特訓・拓夢×玲次編②
ガラスの割れた天井から差し込む午後の光が、無人の配送倉庫の床に斜めの影を落としていた。
そこに、ふたりの姿がある。
ひとりは氷川玲次。冷静沈着な青年。
もうひとりは、スケッチブックを小脇に抱えた少年、絵垣拓夢だ。
ここ一週間で、拓夢の技術は飛躍的に向上していた。
もはや物体に触れずとも、数メートル離れた瓦礫や鉄骨を、ひらりと“どんでん返し”の向こうに送り込めるようになっている。
壁に描かれた落書きのような四角い軌跡が、くるりと一回転すると、目の前の鉄骨が消える。
いや――正確には、消えてなどいない。
回転した平面の表面に、鉄骨は“絵”のように貼り付けられ、そこに存在している。
陰影のついた二次元の姿が、今にも動き出しそうな静止画として留まり、
次の瞬間、それがもう一度回転すれば――
ごとん、と音を立てて現実に戻る。
その一連の流れは、まさに魔法めいて見えた。
「上出来だな、拓夢。……そろそろ、次のステップに行くぞ」
そう言って、玲次は鞄からソフトボールの球を取り出した。
手に取ると、その手触りを一度確認し、拓夢の前に転がす。
「今度は、これを使って“キャッチボール”だ」
「え? キャッチボールって……投げて取るやつ?」
拓夢が、見上げるように尋ねる。
「ああ。ただし、投げ方は少し違う。
お前はそのスケッチブックを使え。ページの表面を“扉”にして、ボールを送り込むんだ」
拓夢は目を丸くしてスケッチブックを見つめた。
玲次は続ける。
「飛んできた球を、手で触れることなく吸収。
それを、くるりと回転させて戻し、こっちに“投げ返す”。
理屈は分かるな?」
拓夢は、きらきらと目を輝かせて頷いた。
「うん、めっちゃカッコいい! やってみる!」
その無邪気な声に、玲次は少しだけ口元を緩める。
(……子供の扱いは苦手だが、まあ、こいつは分かりやすい)
「じゃあ、いくぞ」
そう言って、玲次は柔らかく球を投げた。
白い球が軽快に宙を滑る。
拓夢はタイミングを見計らい、スケッチブックを構える。
次の瞬間。
――パタン。
ページの一部が、まるで絵本の“仕掛け”のように回転する。
飛んできたボールは、くるりと回ったページの裏側に吸い込まれるようにして姿を消した。
そして。
ページの表面には、まるで漫画の一コマのように、球の姿が描かれている。
陰影までしっかり再現された、リアルな二次元。
拓夢が意識を込めてスケッチブックをくるりともう一度回すと――
ぽん、と軽い音と共に、球が現実の三次元空間へと戻され、玲次の元へと転がっていった。
「……成功、した?」
拓夢が不安そうに尋ねる。
玲次は球を拾い上げ、無言で再び投げる。
――そして、同じ手順。
スケッチブックの中に、球は吸い込まれ、ページの上に“貼り付く”。
くるりと回して、再び現実へ。
――ぽん。
玲次の手元に、球が戻る。
「……上出来だ。応用が効くようになれば、実戦で“遠距離攻撃”を受け流す盾にも、反撃の手段にもなる」
「やったぁ! 超強くなってる気がする!」
拓夢が歓声を上げてスキップするように跳ねた。
スケッチブックを胸に抱きながら、得意げな笑顔を浮かべる。
その姿を見つめながら、玲次は一度だけ深く息を吐いた。
(……あとは、いかに実戦に落とし込むか、か)
能力の完成度は高い。だが、実戦では迷いが命取りになる。
その冷静な分析の一方で、彼の胸の内には、ほんの少しの安堵があった。
――拓夢は、伸びている。
その事実が、何よりの収穫だった。




