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《GIFT》―異能力、それは呪いか祝福か―  作者: 甲斐田 笑美
第3章 絵は揺らめき、夢は焦がれり
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幕間 世界が軋む音

 時間の流れは、ここでは意味を持たない。


 総統執務室。完全遮音構造の重厚な扉。外界と隔絶されたその空間には、窓すら存在しない。人工光が天井から静かに降り注ぎ、壁を彩るのは軍規とわずかな数の、抽象画。無機質なはずのそれが、なぜか深く、暗い情念を湛えているように思えた。


 中央の黒曜石のようなデスクに一人、男が座している。


 総統・片倉かたくら麗一れいいち

 冷徹で知られるこの組織の頂点に立つ男は、今日もまたその手に資料を持ち、静かに目を走らせていた。


 順に精査していく。資金の流れ。能力者の発見報告。人材の確保と損耗。

 膨大な情報は、彼にとっては雑音ではなかった。整序すべきパズルであり、世界を正すための設計図である。


 今日もまた、「祈り」は完了している。朝に淹れた一杯のコーヒー──あれは、己を律するための儀式だ。

 すでに飲み干したカップの底に残った熱を感じながら、彼は次のページへと手を伸ばした。


「……失礼しますよ」


 その声は、室内に染み込むように現れた。まるで湿気が忍び寄るように。


 見なくてもわかる。黒田だ。

 いつもノックを省略するその癖を、総統は既に数度にわたって注意していた。

 そのたび、彼はこうしてぬるりと現れる。


「……ノックくらいしろと、いつも言っているが」


 総統は顔を上げずに言う。


「ええ、覚えてはいるんですけどね。癖でして」


 黒田の声はどこか楽しげで、しかし底知れない。感情が空気の膜を纏っている。


 総統は書類を閉じ、視線だけを持ち上げた。


「報告を」


 黒田は一礼もせず、淡々と話を始めた。


「まずは任務のご報告から。風間美佐子──処分には至らず。現時点で行方不明です」


 一言一句に虚飾はない。

 それでも片倉は、眉一つ動かさず静かに応じた。


「……杜撰だな」


「まあ、言い訳するつもりはありませんが……能力の相性が最悪でした。見えない壁のようなものに邪魔されまして。攻撃が届かないんですよ、まるで」


 黒田は気怠げに笑ったが、総統の表情は一切揺れなかった。


「始末書で詳細を記せ。退室を」


 命令。それ以上の意味はない。

 ところが黒田は、相変わらず動こうとしなかった。


「……まあまあ、そう急がせないでくださいよ。報告はもう一つありますから」


 ニヤリと笑い、懐から小型のデータ端末を取り出す。

 それを、総統のデスクにそっと置いた。


「次元移動の能力者が確認されました」


 時間が止まったように感じた。

 室内の空気が、わずかに変質する。


 総統はその言葉に反応し、初めて正面から黒田を見た。

 視線が交差する。だがその奥にあるものを、黒田は読めなかっただろう。彼自身でさえ、いま沸き上がった感情を完全には名付けられなかった。


「……本当か?」


「目の前で見ましたよ。壁がひっくり返るように回って、向こう側から人間が出てきた。物理のルールを否定してましたね」


 黒田は少し冗談めかして言ったが、総統は応じない。

 内心では、何かが跳ねた。


 ──ようやく、出たか。


「場所は?」


「郊外の廃倉庫──セクション・セブンです。複数の能力者が関与しています。慎重に進めた方がいい」


 黒田はそこで一呼吸置き、続けた。


「白坂と組ませてくれれば、確実に仕留めますよ。あいつとなら無駄もない」


 総統は一瞬だけ思考し、静かに結論を下す。


「……白坂で十分だ。お前は行かなくていい。いや──行かせない」


「へえ?」


 黒田が意外そうに眉を上げる。


「今回の任務において、お前は足手まといになり得る。白坂の動きを乱す可能性がある」


 言葉に一切の情はなかった。

 その評価がどれだけ冷たくても、事実を歪めることは彼の矜持が許さない。


「黒田。しばらく謹慎しろ」


 黒田は肩をすくめた。


「了解。……ま、次は派手な戦果でも持って戻ってきますよ」


 そう言い残すと、彼の身体は音もなく部屋の奥へと消えていった。

 影に溶けるように。


 室内に、再び静寂が戻る。


 総統はひとつ息を吐き、デスクの上の端末に視線を落とした。

 内側から、かすかな熱がこみ上げる。


 次元移動──世界の枠を越える力。

 それは彼にとって、長年求め続けた欠片だった。


 この静かな、絶対的な秩序の奥底で、思わず笑みがこぼれた。

 唇の端が、わずかに上がる。それは、総統ーー片倉麗一という男が見せる、極めて稀な感情の揺れだった。


「次元移動の能力者──ようやく、私の夢が実現する」


 呟きが空気に溶けていく。


 世界はいま、音もなく軋み始めていた。

 ここまで読んでくださりありがとうございます。


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