3-8 強くなるしか、なかったんだよ
――夢の中。
見渡すかぎり、何もない、だだっ広い場所。
空も地面も白く濁ったようで、現実味がない。そこに、わたしたちはいた。
玲次さん。春香さん。圭介。恭子。
それに――知らない人たち。
誰もが、同じ方向を見つめていた。無言で、ただ固まったように。
次の瞬間、視界の中心が脈打つように歪んだ。
空気が押し返されるような圧迫感。
そして――爆発のような衝撃波が走った。
空間が裂け、暴力的な風が襲いかかる。地面が砕け、光が爆ぜる。
吹き飛ぶ身体。割れる叫び。誰かの名前が遠ざかっていく。
わたしも、地面ごと弾き飛ばされる。痛みすら追いつかない。何もできない。
何も、守れない――。
* * *
「っ――はっ!」
喉を焼くような息を吐いて、跳ね起きた。
全身がびしょ濡れだった。額からは汗が滴り落ち、背中を冷たいものが伝う。胸は裂けそうに痛く、心臓が乱打する音が耳の奥でこだました。
しばらくは、ただ息をするだけで精一杯だった。
夢だった。
――また、だ。
視界の端に、見慣れた天井がぼやけて映る。夜の拠点、無機質な個室の壁。聞こえるのは自分の呼吸音だけ。あまりに静かで、夢の喧騒が嘘みたいだった。
ふらつく指で枕元の小型ライトを探る。クリック音とともに、小さな光が闇を照らした。
薄ぼんやりとした光。それでも、これが“現実”なんだと思える。
ペン。夢日記。目が覚めるたびの儀式。机の上に整然と並べられたそれらを手に取り、震える指で書き始めた。
「衝撃波」「みんな」「見知らぬ能力者」「白い空間」「誰も無事じゃない」……。
文字を刻むたびに、記憶が手のひらから零れ落ちそうになる。早く、急がなきゃ、忘れてしまう。細部を失えば意味がない。夢の断片を一つ残らず記録しなきゃ、未来は救えない。
なのに、ペン先はしばしば紙の上で止まり、思考の奥から突き上げる吐き気が喉元までこみ上げてきた。
――気持ちが悪い。
胃が裏返るような感覚。体は冷たいのに、頭だけが熱を帯びている。寒気と汗。心の内側で何かが崩れていく。
なんで、こんなものを見せられなきゃいけないんだろう。
誰が望んだ? わたしじゃない。少なくとも、わたしは……見たくなかった。
知りたくなんてなかった。
それなのに、目を閉じれば、勝手に流れ込んでくる。誰かの叫び、崩れる世界、届かない手。すべてが、無理やり目の前に突きつけられる。
“これが未来だ”と。
“いずれ起こる現実だ”と。
残酷すぎるよ。
わたしの能力――“未来視”。未来の断片を夢に見る。しかも、きまって地獄みたいな未来ばかり。
誰かが死ぬ。何かが壊れる。失われる。
そのすべてを、真っ先に見てしまうのが、わたしの役目なんだっていうの?
……やってられないよ、こんなの。
もちろん、それでも伝える。記録して、チームに共有して、対策を考える。それで未然に防げたこともある。失われなかった命も、ある。
でもね。見たわたしの心が軽くなるわけじゃない。
地獄を覗き込んだ記憶は、消えない。誰にも代わってもらえない。
頭の中に焼きついて、日常に潜む不安と絶望の種として、ずっと残り続ける。
「……強くなるしか、なかったんだよ」
ぽつりとこぼれた声が、夜の部屋に静かに落ちた。
どれだけ泣いても、能力は止まらなかった。叫んでも、誰も助けてくれなかった。
だから、わたしは一人で立ち上がるしかなかった。
立ち止まれば、壊れる。崩れる。飲まれる。
だから、泣いている暇なんてなかったんだ。
この前、恭子に言った言葉を思い出す。
「精神の鍛錬なら、わたしの方が上だよ」って。
ちょっと意地を張ってしまったけど――でも、あれは本音だった。
わたしは、もう何年もこの能力と向き合ってる。
夢の中で誰かが死ぬ事もある。
それがどういうことか――誰よりも、わたし自身が知ってる。
訓練でも、努力でもない。
強くならなきゃ、壊れてた。とっくに。
……だけど、それでも。
ぽとり、と。
頬を伝う温度に気づいて、わたしは両手で口を覆った。
声が漏れないように。誰にも気づかれないように。ぎゅっと、唇を噛みしめる。
涙が、止まらない。
どれだけ“強くなった”ふりをしても、どうしても抑えきれないものがある。
この能力が、怖い。
未来が、怖い。
何より、“守れなかった”時の自分自身が、一番怖い。
どうして自分じゃなきゃいけなかったのか。
どうしてこんな力を与えられたのか。
わたしの能力は、“知る”だけだ。
だけど、知ってしまったら、嫌でも責任がついてくる。
守りたい。玲次さんを。春香さんを。圭介を。恭子を。
でも、その気持ちが強ければ強いほど、未来を見ることが怖くなる。
涙で滲んだ視界の中、小さな部屋は変わらず静かだった。
誰もいない、深夜の無音。
その静けさが、かえって現実の重みを増幅させる。
ひとりきりで戦う夜の中、わたしはただ、小さく震えながら、泣き続けた。




