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《GIFT》―異能力、それは呪いか祝福か―  作者: 甲斐田 笑美
第1章 花は凍りて風に消ゆ
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1-1 ずっと続く気がしてた

音無(おとなし)恭子(きょうこ)

挿絵(By みてみん)

 昼下がりの教室には、むんとした空気が静かに滞留していた。

 開いた窓から入り込む湿った風が、白いカーテンをそっと揺らす。

 そのすぐそばの席で、恭子が数式の並ぶノートをくるくると指先でなぞっていた。


 ミディアムの髪は深い灰色で、ふんわりとやわらかく波打っている。前髪の一部は控えめに編み込まれ、耳元へと流れるサイドブレイドとなって形を留めていた。

 その髪が、窓から斜めに差し込む午後の光にふと照らされ、ところどころに琥珀めいた艶を浮かべる。あくまで灰色の中にひそやかに滲む、それは光がもたらす一瞬の表情だった。


 整った輪郭と涼やかな眼差し。

 その瞳には、まるで他人の心の揺れまで映してしまうような、静かな深さが宿っていた。真剣な表情でノートと睨めっこしているのに、どこか無防備で、子どものような一面も垣間見える。


「……やっぱ分かんない。ここ、なんでこうなるの?」


 不意にこぼれた声が、静けさに波紋を落とすように響いた。

 恭子が前髪をかき上げて顔を上げる。湿気で少しだけ額に貼りついた髪を払いながら、自然とこちらを向く。その瞳と目が合った瞬間、圭介は思わず、ふっと笑った。


「そこ、符号が違ってる。ほら、ここがマイナスになってるからさ」


「あ……ほんとだ。ありがと、圭介」


 返ってきた声は、少し悔しそうで、でも素直だった。

 なんということもないやりとり。だが、その何気なさがなぜか心地よかった。


 教室のあちこちでは、クラスメイトたちが夏休みを目前に控えた午後のけだるさに身を預け、机に突っ伏している。風鈴のように揺れる会話の断片と、遠くから聞こえる野球部の掛け声が、ぼんやりとした背景のように重なっていた。


 いつも通りの、放課後。

 何かが起きる気配もなく、ただ、時だけがゆるやかに過ぎていく。


* * *


 鞄を肩にかけて、二人並んで校舎を出る。

 昇降口のガラス戸を押し開けると、まばゆい夕陽が斜めから射しこみ、世界をやわらかく染めていた。

 西の空が、大きく滲んでいる。橙と藍が混ざり合い、まるで水彩絵の具を広げたようだった。遠くの街並みがゆらめきながら溶けていくように見えて、現実と非現実の境目が曖昧になる。


「ねえ、今日の空、きれい」


 足を止めた恭子が、そっと空を仰いだ。

 夕陽の光が彼女の瞳に差し込み、きらりと淡く反射する。その横顔に、圭介は少し遅れて視線を向け、息を飲んだ。

 言葉ではうまく言えないが、何かを失いそうになる時、人はこんなふうに景色を覚えてしまうのかもしれない、と思った。


「……なんか、こういうのってさ」


「ん?」


「こういう景色とか、誰かと歩く時間とか……ずっと続いてくれる気がしてたのに、ふとしたときに、そうでもないのかもって思うんだ」


 その声は穏やかだったが、どこか切実だった。

 何かを知っていて、けれど言えない人の言葉のように、真っ直ぐで、少しだけ脆い。

 空気の温度がふいに変わる。胸の奥をかすめるような風が吹いた気がして、圭介は足元に視線を落とした。


「変なこと言ったかな」


「いや……なんかわかるよ、そういうの」


 言葉を探して、それしか言えなかった。

 でも、うまく言えない感情ほど、本当の気持ちに近いものかもしれない。


 信号が青に変わり、ふたりはまた歩き出す。

 舗道に伸びた影が、ゆっくりと背後へと流れていく。もうすぐ家に着く。何も変わらない帰り道のはずなのに、その日だけは、少し違って見えた。


 夕暮れの風が恭子の髪を揺らし、圭介の腕にふと触れる。アスファルトから立ち上るぬるい熱が、やがて夜の帳に吸い込まれていく。


 何も特別なことはなかったはずなのに——

 この静かな一日が、なぜか壊れやすいガラス細工のように思えてならなかった。

 何かが終わり、何かが始まる。

 そんな気配だけが、確かにそこにあった。


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氷川たちの出会いと「第八班」創設の物語――
『GIFT・はじまりの物語』をぜひお読みください。

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