2-3 銃声に向かって
昼下がりの陽射しは、ビルの谷間にも眩しく差し込んでいた。
平日の繁華街だというのに、人の波は途切れず、制服姿の学生や買い物袋を提げた主婦、観光客らしき集団が行き交い、テラス席のあるカフェからは楽しげな笑い声が絶えず響いていた。
俺と春香さんは、その雑踏の中を歩いていた。両手にずっしりと重い買い物袋を抱えたまま。中身は食材だ。今夜の歓迎会――GIFT HOLDERSに新しく加わった俺たちのために開かれる小さな宴の準備らしい。
だが俺にとっては、袋の重みよりも周囲の喧騒の方がよほど重たく感じられた。人ごみの中に身を置いても、自分が浮いているような感覚が抜けない。数日前まで、自分はこんな場所で、こんな風に普通に歩いていた。だけど今は、もう――。
「……俺、絶対いらない戦力だと思うんだけどなあ」
重さに耐えかねてぼやいたその声に、前を歩いていた春香さんがぴたりと足を止めた。
細身の背中がふわりと揺れる。振り向いた彼女は、何やら真剣な顔つきでぶつぶつとつぶやいていた。
「……焼きそば、ポテト、枝豆、冷奴……あと唐揚げに、さっぱり系の副菜。うーん、南蛮漬けがいいかな……あ、でも野菜が足りない? ナムル……いや、ピクルス……?」
買い出しというより、ほぼ居酒屋の仕入れだ。俺は思わずツッコミを入れる。
「……それ、完全におつまみメニューですよね」
春香さんは胸を張って言い切った。
「いいのよ! 今日は歓迎会なんだからっ。いっぱい食べて、いっぱい飲んで……あっ、圭介くんは未成年だった!」
慌てて口元を押さえる彼女に、俺は肩をすくめる。
「そもそも、未成年の方が多いんじゃ……」
「うっさい!」
元気よく言い返すと、春香さんは両手に持った紙袋を、まるで羽根のようにひょいと持ち直した。その動きの軽さに、思わず目を見張る。詰まってるのは食材だけじゃない。氷もペットボトルも入ってるのに――。
一方の俺はといえば、片手に提げたレジ袋ひとつでも肩がちぎれそうだ。
「ていうか春香さん、それ全部持てるなら、俺いらなくないですか?」
「いいの、あんたがいないと今ごろ私、汗だくになってたよ、絶対。……いや、たぶん?」
春香さんは笑ってごまかすように言いながら、俺の袋をちらりと見る。中身は、パンと調味料と軽めの野菜類。明らかに手加減されている。
(……これ、戦力外通告じゃん)
「まっ、話し相手も欲しかったし、これが圭介くんの初任務ってことで!」
そう言って笑う彼女の笑顔に、思わず力が抜けた。
張り詰めていた何かが、ふっと緩む。俺も、つられるように笑っていた。
この人といると、不思議と肩の力が抜ける。
戦いとか、能力とか、命を懸けた非日常から、一時だけ解放されるような、そんな感覚。
――だが、現実は甘くなかった。
ふと、何かを思い出して足を止める。
「……どうしたの?」
春香さんが振り返る。俺は、手元のスマホを見つめたまま言った。
「……俺、家族にまだ、何も伝えてないんです。今のこと……ちゃんと、生きてるって」
静かに漏らしたその言葉に、春香さんは一瞬きょとんとし、それから優しく微笑んだ。
「そっか。なら、電話してあげなよ。それくらいなら、ね」
「……はい」
通りの端にあったベンチに腰を下ろし、スマホの画面を開く。
連絡先一覧の中、「母さん」の名前をタップ。胸の奥が、少しだけざわつく。
自分がいなくなったこと、どれだけ心配かけたか。声を聞くのが、少し怖い。
――コール音。
何度目かで、繋がった。
『もしもし?』
その声に、胸の奥が締めつけられる。
懐かしくて、温かくて、そして――痛かった。
「母さん! 俺……圭介!」
『圭介!? 今どこなの、もう、ずっと――』
――パンッ!
突如、耳を突き破るような破裂音が響いた。
銃声。そう認識するより早く、頭の中が真っ白になる。
世界が、突然、凍りついた。
「……え?」
思考が追いつかない。音が、空間を切り裂いたその瞬間、時間までもが止まったようだった。
『きゃっ……! 圭……け――っ』
――バチッ。
音声が、途切れる。
スマホの画面から、何の反応も返ってこない。通話は、完全に切断された。
「……今の、銃声……?」
ぽつりと呟いた声は、風にかき消された。
春香さんが急いで駆け寄ってくる。その瞳が、俺の顔に異変を読み取った。
「圭介くん、どういう状況?」
「……電話の向こうで、銃声がして……母さんの声が……」
喉がつまって、声にならない。
肺がうまく動かず、胸の奥で言葉が凍りついていた。
春香さんはすぐにスマホを取り出し、冷静に指を走らせる。
玲次さんへの連絡だ。その声は明瞭で、まったく揺らぎがなかった。
「こちら春香。……圭介くんの自宅で異常発生。通話中に銃声、家族の悲鳴。これより現地に急行する」
通話を終えると、彼女は紙袋を地面に置き、俺の前にしゃがみ込むようにして目線を合わせた。
「圭介くん、家ってどのあたり?」
「えっ……あ、駅の北口側。大通りを抜けて五丁目の坂を上ったとこです。緑ヶ丘住宅街の――」
「オッケー、行くよ!」
言葉が終わる前に、春香さんはすでに駆け出していた。
軽やかに、無駄なく、風を裂くように走っていく。
「ちょ――春香さんっ!」
我に返り、俺も袋を置き捨ててその背中を追った。
雑踏のざわめきが、さっきまでと違って聞こえる。
街の喧騒が、何かを隠そうとするかのように響いていた。