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あなたが世界を愛さずとも  作者: 甘
春日野について
18/43

ダークヒーロー⑹




日が完全に落ちた。



ホテルに戻ってからはあっという間だった。荷物をまとめ、お世話になったキャストやスタッフの方々に挨拶をし、1週間ぶりのハイブリッド車に鍵をさす。


時刻は22時を回っていた。


地下駐車場を出ると、Lサイズのスーツケースを乗せたトランクがガタンと揺れる。後部座席に置かれた無地のリュックも跳ねた。彼女の荷物はそれだけで、年ごろの女の子にしてはコンパクトだ。


助手席では、伸びたロンTにジーパンという相変わらずの私服で、身も心もリラックスした状態の春日野がいる。めずらしいと思いつつ、そりゃそうだよなと首肯する。気が張る現場だった。しかもそれが1週間ずっと。疲れが出ないほうがおかしい。



海沿いは静かだった。


海面の真ん中に三日月が透写されている。なめらかな曲線が雲間に隠れ、光を遮断する。その一連の流れを、彼女はぼんやりと眺める。


道を曲がると、目新しい輝きは闇夜に紛れた。興味をなくしたのか、ゆっくり、ゆっくり、きれいな二重の線が沈んでいった。





カチ、カチ、カチ。ウインカーの作動音が耳を叩く。


30分ほど経過した。トイレ休憩がてらコンビニに寄る。その隣には銀行、クリーニング店、ドラッグストアが並ぶ。24時間営業が多いからか、真夜中だというのにまあまあ明るい。


車を停め、ナビを確認する。あと半分まできた。コーヒー1缶で足りそうだ。




「あ、すみません」




春日野が目を覚ました。一番にそう言うところが彼女らしい。




「よく眠れたか?」


「は、はい……すみません」


「はは、いいよ。なんならもっと寝てくれ」




背もたれに寄っていた上半身を起こした彼女は、肩をすくませる。それから辺りを見渡し、休憩だと察するとシートベルトを外した。


一緒にコンビニに入店した。彼女は御手洗いに行き、俺は飲み物の棚に直行した。


ブラックコーヒーと、彼女のはどうしよう。ざっと見たあと、ラスト1個だったミルクティーに決めた。


軽い軽食もついでに買おう。散々悩んでいる間に、10分も過ぎていた。もういいかこれで、と手に取ってのは、一番高価なもの。1週間がんばったご褒美で奮発してやろう。



車ではすでに春日野が待っていた。不透明な車窓からうかがえる横顔は、うつむき、影の濃淡をつくっている。


寝てる? ……わけじゃない、か。


長いまつ毛の動きを見て取れた。じっと一点を捕えている。無地のリュックが膝の上に移動していた。それかと思ったが、ちがう。そのさらに奥、リュックに回された手に、何かを持っている。


彼女の目が眇められた。セイラの表とも裏とも似ているようで、もっと本質的で、根本的な、どろりとした感情を飼いならしているようだ。


素の彼女の心にはじめて立ち入ってしまった気がして、思わず勢いよくドアを開けた。




「あ、雪マネージャー」




向けられた目は、いつもの清らかさを宿していた。


無様にも乱れた脈を悟られぬよう、平静を保ちながら運転席に着いた。


あったかい飲み物と軽食を手渡す。受け取った手の反対側には、通帳が握られていた。


……なるほど、あの気迫は、そういうことだったのか。




「欲しいものは、手に入りそうか?」




はした金じゃ手にできない代物だと言っていたっけか。


少しボロボロな通帳の表面。折り目や爪痕までついていて、どれだけ本気か伝わってくる。




「もう少し、先になりそうです」




彼女は息を多く含んだ返しをし、通帳をリュックの中にしまった。


雑さのあった手元が、話題を一掃するように、とたんに丁寧に動かされる。慎重に取り出されたのは、四角い箱だ。紺色の包みに黄色のリボンが今夜の空のごとく映えている。


それも今、買ってきたのだろうか。


一瞥しながらコーヒーを立てかければ、「どうぞ」ところんとした声が届けられた。




「え……えっ?」


「これ、受け取ってください」


「え??」




いかにも間の抜けた声だ。顔も、たぶんそう。


だって……え? なんで?


プレゼントされる理由がない。マネージャーに就いた日も誕生日も冬でまだまだ先だし、そもそも今までこういうことはなかった。


ただただ硬直するばかり。そんな俺の胸に、半ば強引に箱を押しつけられた。




「え、えっと……これ……?」


「ルームフレグランスです」


「お、俺、誕生日じゃ」


「知ってます」




わたしの気持ちです、と誤解を招きかねない言い方をされ、ぶわっと耳の裏が紅潮する。




「大きな仕事が入ったら、渡そうと思っていたんです。マネージャーにはこれまでも、そしてこれからも、たくさんご迷惑をおかけするでしょうから」




……あぁ、なるほど。


俺は何を身構えていたのか。別の意味で赤みが引かない。ワイシャツのボタンをひとつ外した。


箱には「Thank you」と記されたシールが貼られてあった。これが彼女の気持ち。なんてかわいらしいんだろう。いつまで経っても使えなそうだ。


にやけをごまかそうと咳払いをしかけ、やっぱりやめた。




「ありがとう。大事にするよ」




俺も誠実で在りたい。


これからもよろしく。そう言って握手を求める。ひとまわり以上小さな白い手が、やはり丁寧に重ねられた。俺のより冷えた温度をぎゅっと閉じこめる。



これから。


この手はどれほどの愛で温められることだろう。



家までの距離よりはるかに近くまで、彼女の時代は来ていた。




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