音楽の力
鼓膜を震わせるけたたましい声と腹の底に響く楽器の音。どちらも私にとって不快な音だ。それが両方。普段なら逃げるか耳栓だ。だが、この時は違った。人気アーティストが突如私たちの前に現れたのだ。突然のことで皆戸惑いの色を見せた。しかしそれは一瞬でその後には歓声が上がった。私はそのアーティストを知らなかった。歌ったところで彼等のように盛り上がることはないだろう。
演奏が始まった。それと同時に手拍子が始まる。私もその場に合わせる。何回か手拍子をするうちに熱気に溶け込めた気がした。熱気の中アーティストが歌い始めた。ざわついた会場は静まり返っていた。だが、手を叩く音は強かった。私は手の動きを止めた。面倒になり止めたのではない。余裕がなかったのだ。
サビに向かうにつれ再び会場がざわつき始めた。後ろからくるよ、と女の声が聴こえた。その直後大歓声が上がった。サビのようだ。手拍子をしていた彼等は拳を振り上げていた。音楽に疎い私でも音楽は人々の心を一つにすることは知っている。テレビやユーチューブでライブ映像を観たことがある。しかし実際にその中に入り込み一体感を感じたことはなかった。歓声と楽器音、アーティストの透き通った歌声が欠けていた心を満たす。
この頃突然激しい動悸に襲われることがある。心臓の動きは激しいくせに行動は鈍い。何をするにしてもやる気が出なかった。この卒業式だって出る気はなかった。母に出ろ、と言われたから気力を振り絞り出席したのだ。
出てよかった――
私はちっぽけなことで悩んでいたのかもしれない。たかが殺人だ。しかも警察は事故死と判断している。バレることはない。恐れることはないんだ。
曲が終わりアーティストが壇上から姿を消した。アンコールの声が上がったが空しく終わった。会場を出ると、卒業生たちが写真を撮っていたり、談笑したりしていた。友人がいない私にはこの場にもう用はない。学位記授与式が行われるキャンパスに行くため駅へ向かった。スポティファイ契約しようかな、と考え歩いてた時、後ろから名前を呼ばれた。男の声だ。私は振り返り、目を見張った。年嵩の男と若い男が立っていた。二人とも背は高くないが肩幅が広い。
刑事だ――
こいつらは私が父を事故死に見せかけ殺したのではないかと疑っている。二人の刑事は笑みを浮かべて近づいくる。だが目つきは鋭い。不吉な予感がする。
「武道館で卒業式とは豪華だねえ。さすが一流大学だ。俺なんか学内にあるぼろっちい講堂だったぜ」
浮かれた卒業生たちを見ながら年嵩の刑事が言った。
「あの……何かまだ僕に用があるんですか」
「実はねえ、見つかったんだよ」
背中に冷たい汗が流れる。
「見つかったって何がですか」
「おい、見せてやれ」
若い刑事がジャケットの内側からスマホを取り出し画面を見せてきた。
そこに映し出された画像を見て息を呑んだ。