お宅訪問
先日約束した放課後勉強会のメンバーを集めるべく、中里さんと勇に声をかけたのだが――
「あーしはパス。でもテスト前になったらお願いするかも? 変なところで真面目君の坂上なら安心して澄香も勉強も任せることができるしねー」
「わりぃ、翔太。俺、部活あるんだ」
勇の件は失念していた。あいつはサッカー部に入っている。放課後は部活があるから勉強会に参加できなくて当然だ。
中里さんに至っては俺に対して謎の信頼をしているし本当によくわからん。もしかしたら単に勉強嫌いという線もありうる。
仕方がないので俺と五十嵐さんの二人だけで放課後勉強会を教室で開くことになり、早数日が経過したのだが――
「五十嵐さん」
「ん? 何かな?」
隣には机をくっつけた。もう一度言う、五十嵐さんは隣にいるのだ。
「前から思っていたんだけどなんで隣にいるんだ? 正面でよくないか?」
「だって、横にいた方が私のノート見やすいでしょ? ほら、間違ってるところとか見やすいだろうし」
俺は彼女に正論かつ合理的に論破された。
実際隣同士のほうが教えやすい。ただ、パーソナルスペースの関係で若干緊張するのも事実だ。
俺は中里さんの言葉を思い出しながら、きちんと理性で自分を律する。
五十嵐さんは分からないところがある時は遠慮がちに質問してくる。それに対して俺は応えるが、そうでないときは基本的に話しかけない。
彼女が集中しているところを邪魔したくない。俺もシャーペンをノートに走らせたり、教科書に書かれた明らかにこの場面は後々使うだろうという単語にアンダーラインを引いたりする。
そんなことをしていると彼女はシャープペンシルをノートの上に置いて軽く伸びをした。
「ん-っ! 一区切りついちゃった」
それなら都合がいい。結構復習も進んだろうし、ここらであれを試してみよう。
「それなら軽く小テストやってみる? 数値で結果を見れば自信にも繋がると思う」
「えっ? 坂上くん、テスト作れるの?」
そこまで手の込んだことはしない。しかし世の中には問題集付きの参考書とやらが出回っているので、それを使えばいいのだ。
「違うよ。参考書を使うんだ」
と言って俺はカバンの中から参考書を取り出す。で、そこで自分のミスに気付いた。最初から参考書を貸してあげて復習して貰えばよかった。そうすれば五十嵐さんの自習も効率よく進んだことだろう。
参考書を受け取った五十嵐さんは物珍しそうにそれを眺めていた。もしかしたら高校生用のそれをまだ持っていないのかもしれない。
とりあえず俺は彼女に開いた参考書を手渡し、ここの小テストをやってみるといいと提案する。
そして彼女は小テストの解答に取り掛かる。
真剣な表情をしている。それだけで勉強に対して真摯に取り組もうという姿勢が見て取れる。
程なくして小テストは終了し、彼女は頭を使って疲れてしまったのか机に突っ伏した。
俺は彼女から小テストの解答を記したノートを受け取り、採点する。
「五十嵐さん、満点だったよ」
「本当!?」
嘘ではなかった。実際に彼女はその小テストで満点を取った。
五十嵐さんは勉強ができないわけではない。ただ、勉強に割ける時間が足りなかっただけなのだ。
一方、満点を取った彼女は満面の笑みでそのノートを眺めていた。
美少女の笑顔は絵になるなぁ。
「坂上くん。他に参考書持ってない? 私、他の教科の小テストもやってみたい」
自信がついたようでなによりだ。しかし残念なことに俺は他の参考書を持ってきていなかった。
「ごめん。他にも参考書を持ってはいるんだけど、家にあるんだ。あれ、結構重たいし嵩張るから何冊も持ってこれなくて」
置き勉するという選択肢もあるが、それをしてしまうと自宅で自習が出来なくなってしまう。
何より放課後掃除する人たちの負担が増えてしまうから避けたい。
すると五十嵐さんはこんな提案をした。
「それなら、坂上くんの家で勉強すれば問題解決だね!」
……本当にそれは問題ないのだろうか。問題だらけじゃないか?
仮にも俺は思春期真っ盛りの男子だぞ?
「いやいや! 問題大有りでしょ!?」
「そうかなぁ? まぁいいや、凛に聞いてみよっと」
彼女はスマホをタップし始めた。おそらく中里さんにLimeでメッセージを送っているのだろう。凛というのは中里さんの下の名前だったはずだ。
間もなくしてシュポ! という音とともに返事が返ってきたようである。
「凛は行ってもいいって言っているよ?」
五十嵐さんはメッセージ内容を俺に教えてくれた。
一部を切り抜くと『変なことを考えている男子なら無理やり誘ってきてるはずだから』とのこと。
なんか俺信用されすぎじゃね? そこまで言われたら頑張るしかない。
かといって俺からするとすぐに女子を部屋に呼び込める状態じゃない。掃除とかしておかなくてはならない。
とりあえず俺の家へのお宅訪問は今週末の土曜日にしよう、という話に落ち着いた。
時は土曜日当日。一緒に帰宅する際に別れるいつもの場所で五十嵐さんと合流し、俺の家に向かった。
しかし五十嵐さんの様子が何かおかしい。まるで借りてきた猫のようになっている。
もしかして――
「五十嵐さん、緊張してる?」
「気づかれたかぁ。――うん。初めて男子の家に行くから、なんかこう……」
いや、そんなこと言われたらこっちまで緊張しそうになってくる。
しかし五十嵐さんの不安はどうにかして解消したい。緊張している状態だと勉強どころではない。
それならいっそのこと勉強は後回しにして別のことをするか。
自宅に到着し、俺らは靴を脱いで二階に上がる。
「あの、ご家族の方は……?」
「親は仕事中、兄弟はいないよ」
まさかの『家に誰もいませんよ』発言である。これでは余計に緊張させてしまうかもしれない。
俺は自室へ行こうとしたが一旦中断した。
「ごめん、五十嵐さん。ちょっと階段下りてもらってリビングに行ってくれる?」
「えっ? でも勉強会は……」
「いやいや、緊張しているみたいだし難しいでしょ。勉強を始める前にちょっと話したり遊んだりしようよ」
彼女の声色が安定しない時もあるし、正直勉強している場合ではない。
まずは彼女が安心してくつろげる雰囲気を作らなくてはならない。
「飲み物、紅茶でいい?」
「えっ? うん、いいよ」
俺は準備しておいた飲み物の紅茶とお菓子のクッキーをテレビ前のテーブルまで持って行った。
「五十嵐さん、ゲームできる?」
「うん、できるよ! 凛たちと植物の森とかヒゲオカートとか遊んだことがあるんだ」
それなら問題ないな。ヒゲオカート、通称ヒゲカーは俺も持っている。
俺はテレビ台からゲーム機を引っ張り出して配線をつないでゲームを起動した。
一つコントローラーを彼女に手渡し、俺らはゲームを開始する。
キャラは俺はキノコンを選んだ。五十嵐さんはタルト姫を使うらしい。
「ちょっと! ダッシュアイテムで逃げないでよ!」
「ゲームといえど勝負は非情なんだ。悪いな、五十嵐さん」
ヒゲカーは白熱した勝負となった。俺が投げた火の玉にまぐれ当たりした彼女は悔しそうにしたり、逆に五十嵐さんのバズーカの狙撃が俺にまんまと直撃してしまったこともあった。
お互いに笑い合いながらゲームし、談笑も交えながら刻々と時間は過ぎていった。
「――でさ、撮影所に行ったら本物のモデルさんが来ることがあるの!」
「いやいや、五十嵐さんもモデルでしょ」
俺はそう思ったのだが実際のところはきちんとした線引きがあるらしく、モデルの世界はざっくり言うとアマチュア、セミプロ、プロとわかれているらしい。
「私は読者モデル――セミプロだから、やっぱりプロとは違うよ」
「そうなんだ。プロの世界でやっていきたいとか思わないの?」
「そこまでは思わないかな。プロのモデルって本当に輝ける一部の人たちがステージに立てる世界だから。私もスカウトされたことがあるけど、怖くて『やります』って言えなかった」
そんな事情があったのか。
きっと彼女の周りには色々な大人がいて、彼女自身も俺らよりちょっと大人で、カメラのファインダー越しに見えている世界も違うものなのかもしれない。
「でも大学を卒業するまでは読者モデルを続けたいなぁ。もしかしたら掲載雑誌は色々変わるかもしれないけど、同じ編集部の雑誌ならやりやすいし編集部が変わらないといいかなって」
やっぱり考え方が大人だ。俺は軽い劣等感を覚えるが、それが単なるわがままであることは重々承知しているのでその思いを心のうちにそっと潜めることにした。
「チャンス! ていっ!」
「ちょっ! 五十嵐さんそれはずるい!」
彼女は追尾する滑るブロックを俺に対してぶん投げてきた。対処しようがなかったのでそれは俺のキノコンに直撃し、カートはその場でスピンしてキノコンがくるくると目を回す。
その時、『ガチャッ』と施錠していたはずの家の扉が開いた音がした。