醤油を買いに行っただけなのに
6/11の夜まで時間を置いて3話ずつ、計6話ほど連続投稿します。
「あの、困ります。人を待っているので……」
そんな若干上擦った声が街中から聞こえる。
声の主の方へ目をやると綺麗な女性がチャラそうな男性にナンパされていた。
街中でナンパをする人って本当にいるんだなぁと感慨深げに眺めていたら、ナンパされている女性に見覚えがあることに気づいた。
「ん? あの人五十嵐さんか?」
五十嵐澄香、俺のクラスメイトだ。学校一の美少女であることは間違いない。というのも彼女は読者モデルをやっているのだが、セミプロではなくプロのモデルにならないかとスカウトが来たほどの美貌の持ち主だ。
学業を優先するとの理由でモデルのスカウトを断ったらしい。所詮噂は噂なので実際のところ真実かどうなのか俺は知らない。
だが読者モデルをしていることは本当らしく、よくクラスメイトが『あの雑誌の写真可愛かったよー』と話しているのを聞く。
しかし本当にあの女性はあの五十嵐さんか? 普段は制服姿しか見ないから私服姿だと判別しにくい。
気になって仕方がない俺は彼女のもとに近づいてみた。
人が行き交う道を進み、彼女がよく見える位置に着いた時点であることに気がついた。
「あれ? これってされた方からしたら嫌なことじゃないか?」
仮に彼女が五十嵐さんだとすると、俺は要約するとナンパを野次馬するクラスメイトになる。
うわぁ……。若干自己嫌悪に陥る。
この罪悪感をどうにかしたい。幸運にも今ここにはその罪悪感を払拭する最大のチャンスが訪れていた。
つまりこのナンパ男を撃退すればいいのだ。彼には悪いが実際そこの女性も困っているようだし手助けしよう。
俺は勇気を出して彼女たちに話しかけた。
「あの、何かお困りでしょうか?」
よくやった、俺! 正直本当に助け船を出せるとは思っていなかった。さっきの罪悪感さんにちょっとだけ感謝するのであった。
しかし俺は窮地に追い込まれる。目の前の女性とナンパ野郎の『誰この人』という視線が俺に突き刺さる。
だが女性の方は俺の顔を見て笑顔になった。
「もしかして坂上くん!? 偶然だね! こんなところでどうしたの?」
どうやら彼女は俺の顔と名前を認知していたらしい。正直嬉しい。仮にもし名前すら思い出せない奴だとしたら完全にナンパ野郎二号になるところだった。
しかしナンパか、この件どうするかな。例えば『この子は俺の彼女だ!』とか言えれば格好はつくのかもしれないが、実際のところしがない学友の一人でしかないからな。
それにただのクラスメイトにそんなこと言われても五十嵐さんも困惑することだろう。
しかしこのまま何もしないのでは埒が明かない。彼女にも一芝居打ってもらってナンパされているという現状を打開しよう。
「五十嵐さん。ちょっとお耳を拝借――」
「ふふっ。時代劇かな?」
この子メンタル強いな。現在進行形でナンパされているんだぞ、怖くないんだろうか。
俺はナンパ男を撃退する手助けをするので話を合わせてほしいと伝える。
しかし彼女の返答は意外なものだった。
「あっ、それなら大丈夫。そろそろマネージャーが来るから」
「――澄香さーん!」
その時、路肩に停車された車から一人の男性? 女性? どっちだこれ?
とにかく声は高いが、体ががっちりとしたスーツ姿の人物が五十嵐さんの名前を叫びながらこちらに向かって走ってきた。肩回りの筋肉が凄く、スーツ姿では苦しそうなほどだ。
「うぉっ!? なんだあのゴツいの!」
そうナンパ野郎は言い残し、その場から逃げ出した。ぶっちゃけ俺も一緒に逃げたかった。だってあの筋肉そのものが走ってくる感じ、本当に迫力が凄いんだよ?
しかし帰宅部である俺は素早さが足りず、逃げ出すことはできなかった。
疾走してきた人物は息切れ一つすらしていなかった。それだけで相当運動慣れしていることが見て取れた。
「澄香さん、遅れてしまって本当にごめんなさい」
「大丈夫ですよ、私が指定時間より早く来てしまっただけですから」
五十嵐さんは身振り手振りを交えながらマネージャーらしき人の謝罪に対応していた。
誤解も解けたところでそのマネージャーはこちらを一瞥。
「澄香さん、またナンパされたんですか?」
いや、これまだ誤解が解けてねーわ。俺もナンパ野郎の一人として認識されている。
その証拠としてマネージャーは若干濁った瞳をこちらに向けてくる。
筋肉と懐疑の視線がセットでこちらに向けられるとこんなにも怖くなるのな。
「違うの! 彼、坂上翔太くん! 私の友達!」
五十嵐さんはそう言うが、俺と彼女の接点は今までそれほどなかった。
学校の行事で班が一緒になれば交流するくらいの間柄だったはずだ。
今までは友達未満の関係だったのだが――
「はい、俺は五十嵐さんの友達の坂上です。勘違いさせてしまってすみませんでした」
「いえいえ! ナンパと勘違いしたのはこちらの不手際です、申し訳ありません! つきましては――」
マネージャーは謝罪しながら俺に名刺を手渡してくれた。
流石社会人、しっかりしているところはしているなぁと感心していると五十嵐さんが話に加わってきた。
彼女は事の顛末を話した。天気が良かったからテンションが上がって早めに来てしまったこと、時間を潰していたらナンパされてしまったこと、その間に入って手助けしてくれた友達のこと。
でも『ちょっとお耳を拝借』の部分は話さないでほしかった。あれは思い返せば恥ずかしい。もっと自然に耳打ちできなかったものだろうか。
しかし何事もなくてよかった。というか正直俺が出しゃばる必要はなかった。なんせあの強そうなマネージャーが駆け付けることは確実だったのだ。
なんにせよナンパ回避は確定路線だったので一安心といったところか。
話を聞いていたマネージャーが腕時計で時間を確認して、五十嵐さんに一声かける。
そこで俺は察した。ああ、これから撮影があるのか、と。だからマネージャーと待ち合わせをしていたのだろう。
五十嵐さんとマネージャーは停車されている車のもとへ向かう。
去り際に五十嵐さんがこちらに振り向き――
「またね、坂上くん!」
「ああ。またね、五十嵐さん」
車のドアが閉まり、その車は路肩から車線に戻り走り去っていった。
しかし俺は別れるときにもっと気の利いたことを言えなかったのだろうか。
そういえば俺、スーパーに用事があったから街をブラブラしていたんだった。さっさと用事を済まさねば。
「醤油とみりん買ってきてって言われたけど重いからきついんだよな……」
お徳用の水物は本当に重たいからな。
適材適所ってことでさっさとお使いを済ませますか。
翌日の月曜日、いつも通り登校し席に着こうとしたところで既に先に教室内にいた五十嵐さんと目が合った。
「あっ、坂上くん、おはよっ!」
その瞬間教室の時が止まった。
それもそのはず、五十嵐さんが男子に自らの意思で挨拶しているところなんて俺は初めて見た。つまり俺がこのクラス内でそれを目撃したことがないということは、他のクラスメイトにも当てはまることだろう。
とりあえずこの凍てついた空気をどうにかしなくては。
「おはよう、五十嵐さん」
「うん、昨日ぶりだね。迷惑かけちゃってごめんね?」
彼女は俺に頭を下げ、手を合わせて上目遣いをする。
美少女の上目遣い、これは破壊力が高い。彼女に好意を持つやつらの気持ちが少しわかった気がする。
しかしここでクラスにどよめきが上がる。それはそうか。他のクラスメイトからしてみれば日曜日に一体何があったんだって話になるよな。
だが俺は最低限の処世術を心得ている。それを遺憾なく発揮しようではないか。
「いや、迷惑だなんて思っていないよ。昨日は偶々、本当にたまたま街中で会っただけだし」
嘘は言っていない。事実、昨日は偶然出会っただけだ。あとはナンパの件を隠し通せば俺の学園生活は平穏なままになることだろう。
だがこのまるでメインヒロインのような風貌をした彼女はそれを許してくれなかった。
「――それで私を助けてくれたんだよね!」
再度教室内がざわざわとし出す。
いやいや! 色々と情報が抜けてるし、なにより俺が何も言わなかった場合よりややこしい状況になった。
どうなるの? 俺の高校生活!?