8話
長期間の休みは、少しだけ暇を持て余す。
きっと、その暇の部分が学校に行くことなんだと、そう考えながらシュテルンは今日もコラレにもらったイヤリングをつけながら彼女の店へと向かう。
汗ばむ日々、ここ最近は雨も嵐もない快晴ばかり。虫の鳴き声に家から聞こえる楽しそうな人の声。
そして、陽炎が生まれるほどの日光。
「シュテルン?」
ぼんやりと先の道を見つめていると、不意に後ろから声をかけられて振り返る。
いつぶりになるだろうかと、シュテルンは目の前の人物と最後にあった日を思い出そうとしていた。
「おでかけかい」
「うん。ノアも?」
シュテルンに声をかけた青年、ノアはニッコリと笑みを浮かべ、彼女に駆け寄った。
この町に住む、シュテルンとミリヤ以外の同い年の男の子。親の仕事の都合で度々街の外に行くことはあるが、基本的に生活場所はこの町だった。
そして彼は、ミリヤの恋人でもある。
「今日はミリヤと一緒じゃないんだ」
「彼女は今日、両親と家族旅行に行ってるよ。一緒にいかないかと誘われたけど、流石に家族水入らずに入れないよ」
ノアは苦笑いを浮かべながらそんなことを口にする。
浮かべる笑みはどこか幼く、紡ぐ言葉は人を労わり、思いやる。
幼い頃からこの町で一緒に過ごしてきて、ほぼ全員が顔見知りで、家族に近い存在だった。だけど、シュテルンにとってノアは好ましい存在ではなかった。
「それじゃあ私は急いでいるからいくね」
「珍しいね、シュテルンがそんなに急ぐだなんて。バイトかい?」
からかい半分でノアは彼女に尋ねた。だけど、振り返った彼女はどこか嬉しそうな表情を浮かべながら、人差し指を唇に当てながら「内緒」と口にする。
髪と服の裾が靡き、耳につけられたイヤリングが鈴のような綺麗な音色を奏でる。
いつも通りの笑顔のはずなのに、どこか違う。長年一緒にいたノアが今まで見たことのない表情を彼女は浮かべていた。
「……そ、そういえば、好きな人ができたんだって?」
背を向け、そのままシュテルンは歩き出そうとするがなぜか、ノアは話題を切り出す。振り返った先、変わらず笑みを浮かべているがなんだか引きつった笑みを浮かべているノアをじっと見つめる。普通であれば「そうか、引き止めてごめん」と言って解放するところのはずなのに、なぜか彼は会話を続ける。
「ミリヤから聞いたよ。シュテルンがはっきり言ったから驚いたって」
「……だったら何?」
「あぁいや、別に深い意味はないんだ。あのシュテルンが好きになった人がどんな人か知りたくて」
「そうなんだ。あぁそうだ。ノアにあったらどうしても聞きたいことがあったんだ」
「え……何かな?」
シュテルンは、これでもかというほどに満面の笑みを浮かべながらノアに尋ねた。
「どうしてミリアに《桔梗》を送ったの?」
尋ねた内容は、普通であれば何もおかしなことではなかった。でも、シュテルンとノアにとっては、それはおかしなことでしかない。
「ノア……やっと諦めてくれたんだね」
ため息交じりにシュテルンがそう口にするが、目の前にいるノアは何も答えなかった。
暑さのせいなのか、それとも何かに動揺しているのか、ノアはすごい汗を流していた。
でもわずかに震えており、一見すれば熱中症を起こしそうになっているように見える。
「ねぇノア、ミリヤから私に好きな人ができたことを聞いてどう思った?」
「……どうって、嬉しいに決まっているだろう。大事な幼馴染なんだから」
どこか苦しげに、必死に笑みを浮かべるノア。だけどシュテルンには彼の心の中が見えていた。
「幼馴染ね……まぁ私にはどうでもいいけど。それにさっきの質問はある意味確認みたいなものだったから」
くるりとノアに背を向けたシュテルンはそのまま歩き始める。
「ミリヤだけを選んだみたいでよかったよ。昔みたいにまだ両方手に入れようとしたんじゃなくて」
「シュ、シュテルン!」
「ミリヤとお幸せに」
振り返ることなくそのままノアから離れて行った。
彼が、シュテルンを追いかけて引き止めるなんてことはなかった。
*
コラレはどうしようかと悩んでいた。
いつものようにシュテルンがお店へとやってきたが、来るなりカウンターに顔を突っ伏せてしまった。
《どうしました?》と尋ねようにも、顔を伏せているため文字を見せることもできず、オロオロしていた。
シュテルンは何も言わない。聞かないほうがいいだろうとも思ったけど、このままにもできない。そう思い、ちょっとしたいたずら心で、コラレはシュテルンの頬を指で突っついた。プニプニと少し弾力のあるほっぺた。
彼女が人に触れることは久しぶりで、あまりの感動に何度も何度も夢中になってシュテルンのほっぺたを突っついた。
「コラレも、意外とそういうことすんだね」
むくっと体を起こすシュテルン。ハッと我に帰ったコラレは慌ててキャンパスに《すみません》という文字を出して、申し訳なさそうに頭を下げた。
「いいよ。きて早々あんなことしてごめんね。ここに来る前に、ちょっと嫌な人に会ったから」
また、シュテルンはカウンターに突っ伏すが、さっきとは違った少しだけ顔を上げていた。
「愚痴、みたいなものなんだけど、口にしてスッキリしたいから、聞いてくれる?」
ちらりと、視線をコラレに向けると、彼女は笑顔を浮かべて小さく頷いた。それが嬉しくて、でも申し訳ないと思いながらも、シュテルンは「ありがとう」とお礼を言って、彼女の幼馴染という名の汚い関係について話し始めた。
*
シュテルンとミリヤ、ノアは幼い頃からずっと一緒に遊んでいた。
同じ年頃の子供は町の人口の3割ほどで、同じ年齢ともなればもっと少なくなる。家が近いということもあり、特にこの三人は仲が良かった。
一緒に遊んで、お互いの家にも行き来して、それは成長しても同じだった。だけど、成長するにつれて変わるものもあった。
「私ね、ノアのことが好きなの」
この日、学校が終わっていつものように三人で一緒に帰ろうとしていたが、途中でノアが先生に呼び出されたことで、シュテルンとミリヤは彼が戻って来るのを待っていた。その時に、ミリヤがシュテルンにそう口にした。
特に驚くような表情を彼女はしなかった。理由は単純に、シュテルンはそれを知っていたからだった。
普段の行動を見ていれば、ミリヤがノアを好きなことは一目瞭然だった。
ずっと幼馴染として三人一緒だったけど、もうこれからは難しいかなと思いながら、シュテルンはミリヤの頭を引き寄せる。
「そっか。じゃあ、私はしっかり応援するね」
「……シュテルンは、ノアのこと好き?」
「ん?好きだけど、それはミリヤとは違う好きだよ。幼馴染として好き。だから、ミリヤのことも好きだよ」
「そ、か……うん、私もシュテルン大好きだよ」
小説のような展開は3人にはなかった。可愛い幼馴染と、唯一の男の子が付き合う。そして、もう一人の子も男の子が好きだけど諦める。そんなものは一切ない。シュテルンにとって二人は、恋愛感情の一切ない、大事な幼馴染という存在だった。
ミリヤは明日にでも告白すると言っていた。もしそれで二人が付き合うことになれば、なるべく二人っきりにして上げないとだなと、シュテルンは心の中でつぶやいた。
二人が幸せであることは嬉しい。だけど、昔のような関係ではいられないことに寂しさを覚えた。
そのあとは、戻ってきたノアといつものように三人で帰った。
これが、幼馴染としての最後の下校となった。
翌日、寝坊したシュテルンは一人で学校に登校した。
なんとかギリギリ学校に間に合うことが出来て、ホッと一安心をする。
そのまま先生が来るまでの僅かな時間。幼馴染二人に声をかける時間がなかったので、視線だけを二人に向ける。
ノアはいつものように机で本を読んでおり、ミリヤはどこかそわそわしていた。
当然、本人から告白したことを聞いたわけではないため、彼女のその様子が告白前なのか後なのかはわからない。シュテルンはただ、告白が成功するのを願うばかりだった。
だけど、その日のお昼休みに事は起きた。
「僕、シュテルンのことが好きだよ」
ミリヤが用事でお昼に遅れると教室で言われ、先にノアと二人で昼食をとっているときに、目の前の彼からそう言われた。
あまりにもさらっと、いつもの笑顔で言ってきた。
「それは、どういう意味?」
「え?どうって、この流れで言ったら告白だと思うけど」
シュテルンが冗談を言ってるのかと思ったのか、ノアは笑いながらそう言った。
正直シュテルンには予想外だった。確かに彼は、優しかった。ミリヤと同じぐらい、シュテルンにも優しく、紳士的に接していた。だけど、あくまで平等だった。別段自分を特別視しているようには見えなかった。だから、彼が告白してきたことに、ただ驚くことしかできなかった。
「ねぇ、シュテルンはどう?」
「どうって……付き合うか付き合わないかの話?」
「そう。シュテルンは僕のこと好きかい?」
「好きだけど、それはあくまで幼馴染として。恋愛対象として見た事はない」
それに、シュテルンは彼の言葉にOKとは答えることが出来なかった。それは、ミリヤの気持ちを知っているから。そして、彼女に応援すると伝えたからだ。
特別じゃないかと言われたら確かにそうだった。でもシュテルンにとってのそれはあくまで幼馴染としてだ。恋愛的な特別として、ノアを見る事はなかった。
「悪いけど、ノアと付き合うつもりはない。私にとってノアはこれから先もずっと幼馴染だから」
「ごめん!遅れた!」
ノアが何かを言おうとしたが、そのタイミングでミリヤが戻ってきて、強制的に話は終わった。
その後は、シュテルンだけがさっきの話を気にして、当の本人であるノアはいつも通りに振る舞っていた。
午後の授業も終わり、放課後になったタイミングでノアは先生に連れて行かれてしまった。待ってるとミリヤが言うが、遅くなるからと結局シュテルンとミリヤの二人で帰ることに。
帰り道シュテルンは悩んでいた。お昼のことをミリヤに伝えるべきか。
ミリヤはノアが好き。ノアはシュテルンが好き。彼女の恋が実る事はないと。
「あのね、シュテルン。実は私、ノアに告白したの」
「え」
隣で、少しうつむきながら言うミリヤ。シュテルンは驚き、頭の中でいつのタイミングに告白したのか考えた。
ほとんど二人と一緒にいたため、やっぱり告白したタイミングは朝なのか。
きっと傷ついてる。応援してるなんて言ったが、結果としてノアの好きな人はシュテルンだったから。
励まそう。知らなかったことを伝えよう。そう思って、シュテルンは口を開こうとした。だけど……
「そしたら、OKもらったの!」
開いた口が塞がらなかった。
満面の笑みで、それはもう嬉しそうな笑顔を浮かべるミリヤ。だけど、聞かされたシュテルン本人はわからなかった。
告白してOKをもらったのなら、この二人は付き合っている。タイミング的には朝に告白したことになる。じゃあ、お昼休みのあれはなんだったんだ?
シュテルンは訳が分からず、ただ気持ち悪さを感じていた。
「シュテルンどうしたの?顔色悪いよ」
「え?あぁ大丈夫、平気だから」
苦笑いを浮かべながら、わずかに冷や汗を流しながらも、シュテルンはミリヤに「おめでとう」と祝福の言葉を口にした。
だけど、やっぱり訳が分からなかった。付き合ったのに、どうしてノアは自分に告白したのか。それが気になった。
だから、シュテルンはノア本人に尋ねることにした。
「こんな遅くにどうしたの?」
確実に彼がいる時間帯を狙って、シュテルンはノアの家に訪ねて呼び出した。
日はすっかり沈み、町の人たちが家の中に帰ってしまっていて、町の中に人の姿はない。
「ねぇ、ミリヤに告白されたのは朝のことなの?」
背中を向けたまま、シュテルンはノアに尋ねる。だけど、ノアは答えない。それでもいい。シュテルンは言葉を続ける。
「OKしたんでしょ?なのにどうして私に告白したの?」
やっぱりそれでも答えない。しびれを切らしてシュテルンはノアの方を振り返った。だけど、彼の浮かべている表情は衝撃的だった。彼は、なぜか不思議そうな顔をしていた。
「何をそんなに怒ってるの?」
「は?」
「僕がシュテルンに告白した理由は、言っただろう。好きだからだよ」
「好きって……でもノアはミリヤと付き合って……」
「もちろん、ミリヤも同じぐらい好きだよ」
何を言っているのかさっぱり分からない。
ノアはさも当然のように、いつものように笑みを浮かべるだけ。そんな表情を見ていると、自分がおかしいのかと思ってしまう。
「僕はね、ミリヤのこともシュテルンのことも、昔から同じぐらい好きなんだ。そしてこの好きは幼馴染としてじゃない。僕は、二人に恋をしてるんだ」
陶酔したような表情を浮かべるノア。シュテルンはずっと気持ちが悪かった。だけど、その理由がわからなかった。どうしてこんなにも気分が悪いのか。
でも、やっとわかった。シュテルンは、彼の恋心が《平等》であることが不快で仕方がなかった。
ノアはミリヤとシュテルンの両方に、同じだけの恋心を抱いていた。
逆言えば、一つの恋心を二つに分けたと考えられる。そして、仮に二人と付き合うことになっても、平等なんてことはあり得ない。どちらかを優先すればどちらかが後回しにされる。
好きな人に自分だけ見て欲しいというのは、恋をしたときに当たり前に感じるものだと思った。だけど彼は、それを理解していない。同じぐらい好きだなんて不可能だ。
「だから、僕は二人と付き合いたい。二人とも、僕にとって特別なお姫様なんだ」
耐えられなかった。
シュテルンは思いっきりノアの頬を叩いた。そして、吐き捨てるようにノアに向かって「気持ち悪い」と口にした。
何が起きたのかわからないノアは、ただ呆然と叩かれた頬に触れる。
シュテルンの頭の中に浮かぶのは、無邪気に、幸せそうに、ノアに恋をして、付き合えたことに喜んでいたミリヤの姿。
当然、彼女は一途に彼のことを愛していた。でも、ノアは違う。彼の中にある愛情の全てが彼女に注がれることはない。なぜなら彼が好きなのは、ミリヤだけではなく、シュテルンもだからだ。
「ノア、本当なら私はもうこれ以上貴方と幼馴染で居たくない。でも、このことをミリヤは知らない。そして、私たちの関係が壊れることを望んでない」
シュテルンは、勢いよくノアの胸ぐらを掴んだ。
彼女の表情は、幼い頃から一緒にいる相手に向けるものではなかった。軽蔑の目だった。
「だからノア。表面上は幼馴染で居てあげる。でも、貴方と二人っきりになるのは嫌よ。私はもう貴方を幼馴染としてみることはできない」
「シュテ、ルン……」
「私のことは諦めなさい。そして!ミリヤを一途に愛しなさい!あの子を、悲しませないで!」
シュテルンはそのまま勢いよくノアを突き飛ばし、彼はそのまま地面に尻餅を着く。
ノアの見上げた先、そこに居たのはもう幼馴染ではなかった。
「私と貴方の恋愛観は違う。私はね、純粋だろうと歪んでいようと、一途であることが恋愛だと思ってるの。平等愛なんて、それは愛じゃない」
それから、三人はいつも通りの幼馴染を表面上で構成して居た。だけど、その下にある真実を、ミリヤだけが知らないまま、戻ることなくドロドロに溶けてしまっている。
*
話終えた後、シュテルンはコラレに謝罪をした。関係ない話をしてしまって申し訳ないと。
「それでも、ノアが私を諦めることはなかった。ミリヤと付き合ってる間も、同じように私に接して居たから。でも、やっとこの前もう手に入らないと思ったんだろうね、ミリヤに桔梗の花を送ってたよ」
桔梗の花の花言葉は「永遠の愛」。ノアの性格から、ちゃんと調べて送っただろうとシュテルンは思った。これでやっとと思ったが、彼はシュテルンに好きな人ができたとミリヤに聞いた。それで、消えたはずのシュテルンへの恋慕が再発しかけていた。それが、先ほどのやりとりの結果だった。
「まさか自分の幼馴染がやばいやつだなんて思うかなー」
《好きな人がいるのですね》
コラレはシュテルンの目の前にキャンパスを掲げ、書いた文字を見せた。
あえて話の内容に触れることはなかった。ただ、その部分についてだけはあえて触れることにした。
「あー……うん、いる。好きで好きで仕方ないんだ」
そういいながらチラリとシュテルンはコラレの方を見た。彼女はにっこりと笑みを浮かべると、キャンパスにまた何かを書いて、シュテルンに見せてきた。
《いいですね。私も、シュテルンさんと同じで、一途な恋愛派ですね》
「コラレも?」
《はい。やっぱり、たった一人を強く思うのって素敵だと思います。例えそれが叶わない恋だったとしても》
同意されて嬉しかった。だけど、最後の言葉がシュテルンの胸に突き刺さった。
それはまるで、コラレはシュテルンの恋心にすでに気づいていて、遠回しに断っているかのようだった。
動悸が激しくなる。まさかと、嫌な想像が膨らんでしまう。
嫌な汗がどんどん額から滲んでくる。
《シュテルンさん?》
「ごめん、コラレ……一方的に私が話して申し訳ないけど、今日はもう帰るね」
はっきりと言われたわけじゃない。でも、きっと振られた。
初めての恋だった。でも、初恋が実るなんてことは低確率だとシュテルンは思っていた。
振られた。でも、それでも諦めきれなかった。まだ好きで好きで仕方がない。
どうすれば振り向いてもらえる。もっともっと自分のことを知ってもらえたら、もっとちゃんと意識させればよかった?
「どうすれば、コラレは私だけを見てくれるの……?」