1話
その日はどんよりと空が曇っていた。
年中気温が高く、雨が降ることなんて滅多にないこの町で久しぶりの僅かな肌寒さ。
そんな天気の悪い日に、一人の少女は町外れへと足を運んでいた。
柵のない崖の上、激しく波が崖にぶつかって、かなりの高さがあるのに、勢いよく波が天に舞いあがった。
そんな危険な場所に少女が足を運んだ理由は、ずっと遠くから見ていた、そこにポツリと存在するとある店舗が気になっていたからだった。
別にこんな嵐みたいな日に来なくてもよかった。だけど、少女の中でどうしても今日足を運ばないといけないと、激しい感情に襲われてしまった。
足はこの店へと向き、そしてゆっくりと店の扉を開いた。
控えめなドアベルの音。店内は天気の影響で薄暗い。少し不気味に思いながら、少女は辺りをキョロキョロしながら店の奥へと足を進める。
不意に、紙がめくれる音がした。体をびくりと震わせ、視線を店の奥。恐らく会計をするカウンターとおもわれるそこ。そこに人影がある。
薄暗いせいでよくは見えないが、その人影は手に何かを持っていた。
少女は目を凝らし、一歩、また一歩と足を進める。
予想通り雨が降り、窓に少し激しめに打ち付けられる。だけど、不意に陽が差し込む。雨は降っているのに、雲の隙間から光が漏れ出したのだ。
その光は、カウンター後ろの窓から差し込み、薄暗かった店内を明るくさせた。
店に並べられた商品が光に照らされてキラキラと輝き、まるでそれら自身が光を放っているようだった。
そして向かい側。何かを手にしていた人影の姿もまた、はっきりと少女の目に写し出された。
そこにいたのは少女だった。彼女は、手に少し大きめのキャンバスを両手で握っていた。
そこには黒い文字で《いらっしゃいませ》と書かれており、一瞬等身大の人形かと思ってしまったが、彼女は瞬きをし、肩を少し上下に動かしており呼吸をしているのがわかった。訪れた少女は彼女が自分と同じ人間だと認識した。いや、正確には同じ生き物だという認識だった。
彼女は、目の前にいる少女がどうしても同じ人間とは思えなかった。
高価な絹のような真っ白な肌。光を浴びてわずかに青みを帯びて輝く白銀の髪。そして、その中に海をぎゅっと詰め込んだかのようなアクアマリンの瞳。
彼女の姿はまるで、幼い頃から何度も聞いた、この町で有名な物語……
ーー憐れな人魚の容姿、そのものだったのだから
*
年中気候の高い国の端。海辺にある田舎町は、人口約300人。
とは言っても、その計算をしたのは随分と昔ということもあり、もしかしたら当時よりも少なくなっているかもしれない。そのため、町ではなく、村扱いになるかもしれない。
人の半分が老人。町を歩けば全員が知り合いのため必ず声をかけらる。そんな場所だった。
「こらー、いつまで寝てるの。バイト遅れるわよ」
そんな田舎町で暮らす少女。
先日から長期の休みが開始して、のんびりとした毎日を送っており、本日も起床したのはお昼前の時間だった。
「あぁ、寝癖やばい」
父親譲りの茶髪癖っ毛。寝て起きれば、どんなに整えても酷い有様になり、彼女のコンプレックスの一つ。
歯磨きをしながらそれを丁寧に20分かけて直し、リビングへと足を運べばとてもいい匂いが鼻をくすぐる。
「おはよう」
「おはよぉー」
「今日バイトは?」
「あるよ。もう少ししたら出るつもり」
「そうなの。あ、母さんもちょっと頼まれごとされたから出てくるわね」
「ふわぁーい」
彼女の母は、町の人に随分頼られていた。男勝りな性格ではあるが、人に頼られることが好きで、困った人がいたら駆けつける。そんな人物だ。
以前は、父親が彼女のセーブをしていたが、彼は数年前に流行病で帰らぬ人となってしまった。
今は、母一人、子一人の二人暮らしをしている。
昔は今のような食事の時間も、たくさんの話をしていたが、シュテルンが歳を重ねるごとに、精神も成長し、今はほとんど会話もしなくなってしまった。
「ごちそうさま。美味しかった」
「お粗末様。洗い物はしておいてあげるからいってらっしゃい」
「ん。ありがとう」
流しに食器を置き、カバンを背負って家を出る。
彼女の家は、町の丘の上にある。
食品や雑貨、お店が並ぶのは町の麓のため往復するのはかなり大変で、特に帰りは上りになるため足がパンパンになってしまい、仕事よりも帰る方が疲れることが多々ある。
小さい頃は大変な道のりではあったが、もう何年も同じ道を歩くため、すっかり慣れてしまった。
ただ、シュテルンにとっては慣れた道だが、他の人はそうではない。お年寄りや小さな子供にはとても厳しい道のため、何かあったときは彼女の方から出向いていた。
「あ、シュテルンだ。おっはよー」
「ん、おはよう。というか、時間的にこんにちはでしょ。そっちもさっき起きたばっかり?」
「おやおや、その様子じゃシュテルンさんもですかな」
出会った少女は、シュテルンの友人。薄い緑色の髪をおさげで結ぶ、赤い瞳の女の子。彼女は、シュテルンと幼い頃からの友人。つまり幼馴染だった。
老人ばかりのこの町で、シュテルンと同じぐらいの年頃の子供が住んでいるのは珍しかった。
ここに住んでいた人たちは、もっと生活がしやすい場所へと移り住んでしまっており、かつての友人も一人、また一人とこの町を離れていっている。
「随分とオシャレしてるけど、またデート」
「またとは何か!いいじゃん別に。せっかくの休みだし」
「まぁ別にいいけどさ……ミリヤ、前もって言っておくよ。泣きついて宿題見せないからね」
「な!いつの話ししてるのよ!」
「去年」
「ホントすんませんでした!」
「せっかく彼氏がいるんだから、愛しのノアに見せてもらいなさい。宿題は終わるし、好きな人と一緒で一石二鳥でしょ」
「嫌味ですか……」
「いや、相手がいない私が言っても嫌味にはならないでしょ」
いつの間にか、二人は一緒に横に並びながら麓へと降りていった。
ミリヤを含め、シュテルンと同じ歳でこの町に残っているのは、先ほど口にしていたノアという男子だけ。昔はもっと居たのだが、みんなここを出ていってしまった。
「ずっといるんだから、行くとこなんてないでしょうに」
「そうだけど、一緒にいるだけでいいんだよ」
「はいはい、惚気惚気」
鳥の鳴き声が響く。雲ひとつない青空が広がり、汗ばむほどの日差しが差し込む。空を見上げてシュテルンは思った。昨日も同じだったよな、と。ちゃんと一日がすぎてるはずなのに、同じ一日を過ごしてるような、そんな毎日。代わり映えのしない毎日。だけどそんな毎日の中で、彼女は先日いつもと違う行動をとっていた。
「じゃあ私はこっちだから」
「うん、ノアによろしくね」
「うん。あ、そうだ。シュテルン」
一度背を向け、バイト先に向かおうとしたが、ミリヤに引き止められて、再び振り返る。先ほどまで笑みを浮かべて居たミリヤだったが、なぜか今は少し不安げな表情をして居た。
「丘の上のお店どうだった?」
わずかに震える声。まるで何かに怯えるようだったけど、シュテルンはニッコリと笑みを浮かべ、彼女の不安を抑えるように、両肩に触れた。
「別に。ただのお店だよ」
彼女がそう口にすれば、ミリヤも少しだけホッとしたような表情を浮かべる。
そのまま彼女はノアとの待ち合わせの場所へと向かっていき、シュテルンはそんな彼女の背に向かって笑顔を浮かべて手を振る。だけど、すぐに笑顔は消え、そのままミリヤとは逆側の道へと進んで行く。