何とか言ったらどうなんだ!
「今この時をもって!そなたとの婚約を破棄する!」
婚約破棄、ですか?
わたくしたちが婚約してわずか3ヶ月。まだ3ヶ月…と言いたいところですが、殿下にはきっと長かったのでしょう。
まあ仕方ありませんね。はい、承りました。
「何故破棄されるのか知りたいか?」
いえ、特に。
多分というか、予測はついていますから。
「そなたはいつも私を無視し蔑ろにした!私だけではない、そなたは周りの全員を無視しているそうだな!」
いいえ。ちゃんとお話しておりますよ。
ちっとも聞いて頂けないだけで。
「そのような冷淡な女など、いくら美しくとも私の妻として、次期王妃として相応しいはずがなかろう!よって婚約を破棄するのだ!分かったか!」
そんなに大声で青筋立てて怒鳴らなくても、わたくしはちゃんと聞こえておりますよ。
ただ、わたくしの話は相変わらず聞いて下さいませんのね。
忌々しげにわたくしを睨みつける王子殿下。わたくしの婚約者、でした。つい先程までは。
ですが、王妃陛下主催の夜会であるのにわたくしのエスコートもして下さらなかったばかりか、衆人環視の中こうして婚約破棄まで突き付けるのですもの。もうわたくしたちの関係もこれまでですわね。
ですが、殿下のお言葉の中でただひとつ、わたくしが王妃として相応しくないという点だけは全面的に賛同致しますわ。
さて、殿下の婚約者でも何でもなくなったわたくしはこの場に居残る資格も失いましたわね。ですからお暇させて頂くとしましょうか。
そう思って優雅に淑女礼をして、わたくしは踵を返しました。
「待て!」
ですのに、何故か殿下がわたくしを呼び止めます。
「何か言うことがあるだろう?」
再度振り返ったわたくしに、憎々しげな目を隠そうともなさらないで、殿下が言葉を投げつけて来られます。
仕方がありませんので、わたくしは確実に意図を伝えるために、ふるふると首を左右にゆっくりと振りました。
「貴様、この期に及んでなおだんまりか!何とか言ったらどうなんだ!」
なのに。殿下はますますお怒りに。
ですから、『何も言うことはない』と首を振ったでしょう?何故伝わりませんの?
それ以上の意思疎通の手段となると………少し手間ですがやむを得ません。
わたくしはドレスに特別に作ってもらっているポケットから、手帳とペンを取り出しました。
表紙をめくり、まだ何も書いていないページを開いて、そこにペンで━━
そのペンは、無情にも男性の手で払い飛ばされてしまいました。
見上げると、怒りに満ちたお顔の殿下が目の前まで来ておられました。
「貴様ッ!返事もせずに手帳に絵を描いて遊ぶなど!私を愚弄するのも大概にいたせ!」
そうして、わたくしは頬を張られました。
殿下の、男性の強い力に耐えきれず、わたくしは広間の床に崩れ落ちます。手に持った手帳が撥ね飛ばされ、宙を舞いました。
「度重なる不敬、もう我慢ならん!
おい!この女を捕縛し牢へ放り込め!地下牢でよいぞ!」
なぜ。
なぜなのですか。
地下牢とはあんまりでございましょう。
わたくしに話をさせなかったのは殿下ご自身ではありませんか。
どれほど話しかけても聞いては頂けず、もっと確実な手段を取ろうとすれば愚弄したなどと。言い掛かりにもほどがございます。
その上さらに、わたくしを不敬の罪人だと扱うのですか。
視界が涙で滲みます。
口の中ではうっすらと血の味がいたします。先ほどの平手打ちで口の中を切ったのでしょう。
「殿下」
その時、シーンと静まり返っていた会場に、殿下以外の男性の声がいたしました。
声の方に目をやると、殿下がわたくしの捕縛をお命じになった警護の騎士様です。
その手に握られていたのは、わたくしの手帳。
「おそれながら、ヘレン様は、本当に殿下を無視なさっていらしたのでしょうか」
「………なんだと?」
「この手帳をご覧下さい」
「そんな落書きなど見て何になる。不敬の証拠でしかなかろうが!」
「いいえ。これは言葉でございます」
騎士様はそう仰ると、手帳を開いて殿下に見えるように持たれました。
そこに書かれていたのは。
『殿下のお好きなお色はなんですか?』
『殿下の好物をお聞かせください』
『殿下にはご趣味はおありですか?』
『殿下のお好きな場所に、わたくしも連れて行って頂けますか?』
それは、わたくしが殿下におたずねしようとして書き留められた『言葉』たち。
結局殿下に伝わることのなかった『言葉』たち。
「ヘレン様は、もしや言葉が話せないのでは?」
そうして騎士様は、その手帳を見たならば当然に感じる疑問を口になさいます。
「ハッ」
それを聞いて、殿下は鼻でお嗤いになりました。
「口が利けぬ人間など、この世にいるはずがないだろう。デタラメを申すのも大概にいたせ」
ああ、やはり。
殿下は身体に障碍を持つ者の存在を信じておられないのだわ。
「殿下、そんなことはございません。殿下はご存じないかも知れませんが、世の中には口がきけない人も、耳が聞こえない人も、目が見えない人も多くおります」
「それは確かにいるだろうな。だがそうした者たちは、皆何らかの事故や病でそうなってしまっただけのこと。だがヘレンがそういう不幸に遭ったなどとは聞いたこともない」
ああ、なるほど。
殿下は障碍を持つ者ではなく、先天性障碍の存在を信じておられないのね。
確かに、世間ではそのような障碍を持つ子を隠そうとする親が多いと聞き及びます。かくいうわたくしの両親、つまり公爵家でもわたくしの存在を当初は秘匿しておりましたもの。
「ヘレンがそうした不幸に遭っていないのならば、こやつは話ができるはずだ!なのに一言も口を開こうとしないのは、私を愚弄している以外になかろうが!」
「殿下、そんなことはございません」
「ないわけがあるか!神々は自らに似せて人類を作りたもうたのだぞ!その人類に不完全な者などいるはずがないではないか!」
ええ、確かに神話ではそうなっておりますね。そして、神々に目の見えない者や口のきけない者がいるなど確かに聞いたこともありません。
とうとう、騎士様も黙ってしまわれました。殿下には何を申し上げてもご理解頂けないとお察しになったのでしょう。
でもね、殿下。わたくしが貴方様の婚約者に選ばれたのはね。
「先程から騒々しいが、いかが致した」
「何やら聞き捨てならない騒ぎのようですが、何事ですか」
その時、国王陛下と王妃陛下が会場に戻って来られました。両陛下は開会の挨拶に出られたあと、ご公務のため一旦お席を外されておいでだったのです。
両陛下がいらっしゃらない隙を突いて、殿下はわたくしに婚約破棄を宣言なさったのです。
「ああ、両陛下。良いところに戻っていらした。
両陛下からもお言葉を賜りたい。この世に生まれながらにして口がきけない者などいるはずがないということを、この愚か者に知らしめてやって頂きたい!」
自信満々で言上なさった殿下。
それに対して、両陛下は呆れたように目を細められるばかりです。
「王子よ。そなたはどうやら、世間を知らなさすぎるな」
「全く嘆かわしい。そんなことで次代の国王が務まると考えているのですか?」
「…………えっ?」
両陛下からの非難がましいお言葉に、初めて殿下の顔に不安のお色が現れました。
「この世に生まれつきの障碍を持ち苦しんでいる者がどれほどおると思っておるのだ」
「実例を見せた方が解りやすいと思ってヘレンを貴方の婚約者にしたというのに」
「えっ、なっ………」
わたくしは立ち上がり、両陛下に向かって一礼したあと、素早く手を動かします。
『殿下はわたくしの手話もご理解下さらず、筆談用の手帳を落書きと謗りになり、たった今婚約破棄を通告なさいました』と。
それをご覧になって、両陛下の顔色が変わります。両陛下はわたくしのために、お忙しいご公務の合間を縫ってわざわざ手話を覚えてくださったのです。
「まあ、なんてこと」
「見識の狭さもここまでとはな…」
「へ、陛下?母上も、何を?」
「王子よ。そなたに読んでおくように渡した本があったであろう。あれはどこへやった?」
「ほ、本ですか?」
「忘れたとは言わさんぞ。ヘレンと婚約するに当たって必ず読むようにと申し渡したはずだ」
殿下の目が分かりやすく泳ぎます。
ええ、そんなものお読みになっていないことは、わたくしが一番よく存じておりますとも。
「あ、あれは………」
「読んでおらんのだな?」
読むも何も、必要ないから焼き捨てろとわたくしにお命じになりましたものね?
「なっ!?あれを焼き捨てたと申すか!?」
「えっ!?だ、誰がそんな事を申し上げたのです!?」
「たった今、ヘレン嬢がそう申したではないか!」
「へ、ヘレンは今何も言ってはいないではありませんか!」
「何を言っているのです!先ほどから彼女はずっと手話で話しているではありませんか!」
「し、手話ですと!?」
そうですとも殿下。貴方が今までずっと「その手遊びを止めろ」とお怒りだったわたくしの手の動き。それこそが手話というものです。そして、あの焼き捨てろとお命じになった手話の教本は手話を読み解くため、わたくしが特に希望して作らせた手引書なのです。きちんと図解入りなのですよ?
まあそういう本ですので、あれは焼き捨てずにわたくしがきちんと保管しておりますけれどね。あれを原本として、複製して王宮の図書館をはじめ各所に頒布して回っているところです。
「おお、ヘレンよ。あれはそなたの手元にあるのだな?」
はい、陛下。
「良かったわ。あれをまた一から編集するとなると大変ですものね?」
はい、王妃陛下。あれはわたくしが初めてお役に立てた記念すべきものですので、焼き捨てるなどどうしてもできなかったのです。
「ええ、そうよね。思えばそんな大事なものをこの子に渡してしまうなんて、本当に愚かなことをしたものだわ」
わたくしのことを思って下さったがゆえのことですし、その点は両陛下に感謝しかございませんわ。
「ち、父上も母上も、誰と何を話しておいでなのですか………!?」
「………ああ、そなたには理解できんだろうな」
「貴方はそうやって、ヘレン嬢の言葉を理解しようともせず、今まで何ひとつ聞いていなかったのね」
殿下が仰るには、わたくしは“殿下にお返事も差し上げずに愚弄した”のだそうです。だから婚約を破棄するのだと仰せでした。
「ああ、そうだな。望み通り婚約は破棄させてやろうとも」
「ええ、もちろん王家の有責で、ですわね陛下」
「無論だ」
「なっ、何故ですか!?ヘレンの有責に決まっているでしょう!」
殿下。この期に及んでもなおご理解頂けないのですか。
「王子よ。そなたには無期限の国内視察を命ずる」
「なっ………!?」
「国内各所を回り、民草や地方領主、兵士たち、老若男女多くの人に会って話を聞いて参れ。陳情を聞き入れ要望を受け、対策を練って施策を致せ」
「活動の成果は月に一度報告書として提出させましょう。進捗と成果がしっかり確認できるように」
「そうだな、それが良かろう」
「わ、私が何故国内視察など………!」
「そなたの見識があまりに狭すぎるからに決まっておろうが!広い世の中を見て回れ。そして真に国王に相応しき見識と度量を身につけるまで戻ってくることまかりならん!」
「そなたに付ける側付きの選定を至急進めます。それを終えるまで、そなたは部屋で謹慎していなさい」
「そ、そんな……!」
「これは王命である。逆らうならばそなたと言えども容赦はせぬ。よいな」
両陛下にそこまで申し渡されて、とうとう殿下は膝から崩れ落ちてしまわれました。視察に出向かれて、きちんと世の中の多くの理不尽を学んで帰って来られることをお祈りしておりますわ。
まあ、何年かかるか分かりませんけれどね。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
あれからおよそ1ヶ月後、殿下は側付きという名の監視役を何人も伴われて無期限視察の旅にお出になられました。
結局最後まで先天性障碍についてご理解頂けなかったようで、何やらブツブツと不満を漏らしておられたようですけれど、そんな調子ではお帰りはいつになる事やら。
わたくしはと言えば、新しい婚約者はおりません。
おりませんが、わたくしは今、大臣のひとりとして世の先天的、後天的を問わず障碍に苦しんでいる人々のため、様々な保護政策を立案させて頂いております。
そんなわたくしの側には、護衛兼手話通訳の騎士様がおられます。そう、あの時わたくしを擁護して下さった、あの騎士様です。
彼はあのあと、わたくしの作った手話の教本で一から手話を学ばれて、あっという間に会得なさり、今では健常者の皆様に同時通訳までして下さっています。まだ手話に不自由な大臣や官僚たちも多い中、本当に助けられています。
両陛下もわたくしの政策をお褒め下さり、力強く後押しをして下さいます。最近ではそれまで社会に出ることの少なかった女性たちにも有能な者がいるのではないかとお考えになり、積極的に登用を進められるとのこと。
わたくしも全く同じ考えでございます。“口がきけない”“女性”のわたくしがこうして能力を認めて頂けたのですから、きっと後に続く女性たちが現れると、わたくしは信じています。
我が国はより良い未来へ向かってたゆまぬ変革を進めてゆくことでしょう。
殿下、早く視察を終えてお戻りにならないと、もしかすると貴方様の継ぎたかった玉座もなくなってしまうかも知れませんよ?
【お断り】
◆作者は身体的精神的な疾患および欠損等について、「障害」ではなく「障碍(障礙)」と表記するスタンスを取っています。本来の表記であり字義を考えてもそうするべきだと考えています。
とはいえ、政府が認めている現行の表記はあくまでも「障害」です。その点について異議を申し立てるつもりはありません。
◆この世界の世界観について。「神々が自らを模して人類を作った」というのはあくまでも物語上の設定であり、何らかの宗教観に基づいて主張するものではないことをお断りしておきます。
◆重ねて申し上げておきますが、作者および当作品につきまして、身体的および精神的な「障碍者」を差別する意図も揶揄する意図もございません。当作品の執筆動機は、あくまでもこの手の婚約破棄の物語で障碍をテーマにしたものを見た覚えがなかったからであり、こういうテーマの話があってもいいんじゃないかと考えたためです。それ以上でも以下でもありません。
世の障碍者の皆さまが、差別や偏見を受けることなく安寧に暮らせる世の中になって欲しいと願って止みません。