(閑話4-9)
その日の夜。
俺達3人は兵舎を抜け出して、すぐ隣に建つ戦神を祀る礼拝堂に集まった。俺はこの世界の神に祈る気は無いが、戦場に立つ兵士達の信仰が最も厚いのは、この戦神である。兵舎のすぐ側に礼拝堂が建てられたのも、多くの兵士の強っての希望によるものだそうだ。
俺達には個室なんてものは用意されていないので、兵舎の中では常に他の兵士の目が周りにある。だが、身体が資本の兵士たちは夜間は基本ぐっすり眠っているので、人目につかずに話し合うには夜が最も都合が良い。日中は兵士達で騒がしい此の礼拝堂だが、今はひっそりと静まり返っている。光源は小さなランプと月明りだけだが、意外と周りの様子は良く見える。この数年で夜目が利くようになった影響もあるのかもしれない。
本当は女子達にも声を掛けたかったのだが、俺達は今日この王都に帰ってきたばかりで、まだ彼女たちが何処の部屋で就寝しているのかも分からなかった。こんな時、スマホのような連絡手段が何も無いのは不便なものだ。
今日は久しぶりに王都に帰って来たばかりだというのに、随分と慌しい一日だった。
張飛さん達に呼び出されてからは、心が乱されて女子達と話す事も出来なかった。
王都での俺達の所属はまだ決まってはいない。編入する部隊については、明日部隊長から内示されるそうだ。
あれからずっと、俺は考えていた。
俺はラーファさんの誘いを受けるべきかどうか、だ。
正直なところ、俺の気持ちは半ば決まっていた。
俺は確かに強くなった。戦場に身を投じて、戦って、戦って、生き残るために戦う術も、気概も身に付けたつもりだ。だけどこの世界は、日本に居た頃のぬるま湯な環境とはまるで違う。この世界にあのような人間離れした連中がゴロゴロ居るというのなら。もしアレが敵として俺達の前に現れたとしたら。想像するだけで恐ろしい。
その時点で俺達の人生は終わりを迎えるだろう。ゲームのようにやり直しは効かない。そう考えると、今まで身に付けた俺達の実力で充分とはとても言い難い。
もし俺達が、市井の只の一般人としてこの世界で静かに一生を終えるのなら、此のままでも良いのかもしれない。
だが、俺達にはどうしても譲れない目的がある。俺達はいつか必ず元の世界に、故郷に帰るんだ。だが、それはまだ雲を掴むような話でしかない。ヒントになるものは今の所、俺達がこの世界で最初に目を覚ました、あの遺跡のような建造物だけだ。
この世界で遺跡と言えば、真っ先に聞こえてくるのは有名な古代文明の遺跡の数々だ。そしてその遺跡の殆どは、恐ろしい魔物が闊歩する魔窟と化している・・・。
その為、俺達が元の世界に帰る方法を探す途上で、踏み越えねばならない危険に遭遇する可能性は高い。その事も合わせて考えると、やはり彼女の誘いに乗るべきではないだろうか。
だが、懸念材料もある。
正直、このままラーファさんの思惑通り動くことには危険を感じる。
俺達の為に、などと言う彼女の言葉を勿論俺は信じちゃいない。単純に考えれば、軍内部における権力闘争に俺達の力を利用するつもりなんだろうけど、理由は其れだけじゃないような気もする。
ただ逆転の発想で、故郷に帰るという俺達の目的の為に、彼女や此の国を逆に利用できるんじゃないかという考え方もある。だが、外征に消極的とはいえ此の国は殆ど年中戦争してるのだ。この国を利用するためとはいえ、隣国との戦争に参加しつつ、国内の権力闘争にまで身を投じるのは、余りにもリスクと得られるものとの釣り合いが取れていない。そもそも、今の俺程度の実力で彼女を都合よく利用できる気がしない。正直なところ、あの誘いの事を考慮しなければ、俺はこの国にこれ以上深入りしたくない。
また、騎士の試練の内容自体にも懸念がある。この世界の人々と俺達地球の人類。外見は殆ど変わらないが、中身まで同じとは限らない。
俺が此のまま騎士の試練を受けたとして、果たしてその効果や身体に与える影響まで同様の結果を期待して良いものなのだろうか。下手をすればあっさり死ぬこともありえなくはない。
俺はそれらの考えを、静まり返った礼拝堂で岡田と山下に打ち明けた。話は勿論日本語でだ。此れなら何処かで盗み聞きされていたとしても、この世界の人間には内容を理解できないだろう。
「そうか。でも結局、お前はあの女の誘いを受けるつもりなんだろ?」
腕を組んだ山下が眉間に皺を寄せて俺に訊ねてきた。
「ああ。そのつもりだ。お前たちはどう思う?」
「そうだな。キナ臭い話ではあるが、実力が足りないのは俺も今日痛感させられたよ。だから、お前がそのつもりなら、俺達は強く反対はしない。だが、俺達が同意するのには一つ条件を付けさせてもらう。」
山下が俺に提案してきた。俺達?そういえばさっきまで二人で何やら話し込んでいたな。一体どんな条件なんだろう。
「その騎士の試練。俺達もお前と一緒に受けさせてもらう。」
山下は何かを決意した顔で、俺の目を真っ直ぐに見て宣言した。横で岡田も頷いた。
俺は動揺した。
「し、しかし何が起こるか分からないんだぞ。下手をすれば死ぬことだって。」
「それが何だってんだ。お前だって同じことだろ。」
「でも、俺達がもし揃って死んでしまったら、残された女子達はどうするんだよ。」
「今更だろ。クラスの皆や先生たち。俺達が今まで一体何人の最後を看取ってきたと思ってる。それにな。俺達が砦に行っちまって好き勝手やってる間、あいつらは此処で、たった3人で生き抜いてきたんだぜ。あいつらはお前が思ってるほど弱くねえよ。」
「それにな。」
「お前だけが強くなって更に女にモテまくるなんて許せねえ。」
山下は一転、ニヤリと笑いながら俺の胸を小突いた。
「光騎。」
岡田が俺に声を掛けてきた。
彼の容貌には、もう地球に居た頃の名残は残っていない。幾度も修羅場を潜り抜け、叩き上げられた戦士の顔だ。岡田の射抜くような鋭い目が、俺の目を真っ直ぐに見つめていた。
だが、ふと岡田の表情と目が柔らかくなった。すると、その顔にはかつて教室に居た頃の岡田の面影が戻っていた。
「俺はさ。最初この世界に放り出された時、滅茶苦茶興奮して、期待したんだ。待ち焦がれたファンタジーの世界に来れたんだって。退屈で空虚な日常から遂に抜け出せたんだって。アニメや小説みたいにチートやスキルを貰って、毎日面白可笑しく、女の子にモテまくって生きていけるんだって思ったんだ。本当に馬鹿だよな。みんなあんなに怖がってたのに。」
岡田は苦笑いしながら話し始めた。昔を思い出しているみたいだ。
「でも、現実は違った。直ぐに思い知らされたよ。俺にはチートどころか、自分の食料を調達する力すらなかった。一人じゃ何もできないどころか、いつもクラスのみんなの足を引っ張ってばかり。毎日どうしようもなく辛くてさ。チートだのスキルだのあっという間に頭の中から飛んでいったよ。そんな事より飯食わせろってね。そのうち何もかも嫌になって、捨て鉢になって、もういつ死んでもいいやって思ってた。」
「だけどさ、光騎。お前を見ていて気が変わったんだ。学校に居た頃は、お前は俺とは別の世界の人間だと思って気にも留めていなかったんだけどな。でも、この世界に来てから、汚れて、痩せて、傷だらけになって、それでも一生懸命みんなを励まして。あんな糞ったれな状況でもずっと諦めずに頑張ってるお前の背中を見て。俺は初めて、お前の事を滅茶苦茶カッコイイと思った。俺も、いつかあんな風になりたいと思ったんだ。」
買い被りだ。俺はお前が思ってるような立派な人間じゃない。俺はただ、死にたくなかっただけだ。死にたくなくて、只助けたくて、藻掻いていただけだ。それなのに、結局俺達6人以外は皆死んでしまった。俺は誰も救えなかった。何もできない、ちっぽけな存在だ。
「買い被りするなってツラだな。でもこの際、お前が自分自身をどう評価してるかなんて、俺達にとってはどうでもいいんだよ。」
ニヤケ面を改めて、真剣な表情になった山下が俺に言い放った。
「ほんの僅かでもいい。お前を助けたい。お前の力になりたいんだ。こんな俺でも、
目立たなくて冴えない俺でも、今はお前の隣で、お前と一緒に戦いたいと思ってる。だから今まで耐えられたんだ。飢えて苦しんで、クラスの皆は死んでしまって、此処に来てからも毎日殴られて、辛い事は本当に沢山沢山あったよ。けど、いつもお前の背中に励まされて、俺は此処まで生きて来られた。そして今は、こんな俺でも少しは強くなって、此の剣に、ちっぽけだけど誇りを持てるようになった。」
今の岡田は帯剣はしていない。だが、まるでそこに剣が存在するかのように左手を握った。
「だから、俺はお前と一緒にもっと強くなりたい。これからも、お前の隣で一緒に戦って、いつだってお前を助けられるように。だから、お願いだ。俺達も試練を受けられるように、あの人に頼んでほしい。」
真剣に俺に頼む岡田の目は、ギラギラと輝いていた。俺の脳裏にあいつの目が思い浮かんだ。
「へっ、お前も言うようになったよなあ。俺も同じさ。同じ気持ちだ。俺はサッカー部の頃からずっと一緒だから、今更アレコレ言わねえけどな。だから、俺からも頼むよ。なあ、親友。」
そして山下もまた・・。
ああ、そうだ。そうだよな。俺はこの世界に来て、沢山の物を失った。奪われた。
でもそれだけじゃない。手に入れたものだってある。
恐らく日本に居たんじゃ絶対に手に入らないもの。
どんな時でも無条件で背中を預けることができる、命を託すことが出来る、掛け替えのない俺の親友たち。
「分かったよ。その代わり、頼むに当たって俺からもお前らに条件がある。」
「なんだよ。」
「お前らも絶対死ぬんじゃないぞ。死んでも耐えろ。3人で一緒に強くなるんだ。」
「はは、死んでもって無茶言うなあ。」
そして俺達3人は、誰からともなく向かい合って拳を合わせた。
「俺達3人、何の因果か運命か。こんな異界の果てに飛ばされてしまったけど。」
「いつだって心を合わせて助け合って。」
「いつか必ず、共に日本へ帰ることを誓おう。」
俺は指に力を籠めた。触れたところから、二人の手の温かさが伝わってきた。が、暫くその姿勢で居るとなんだかちょっと気恥ずかしくなってきた。
「はは。なんだか三国志の桃園の誓いみたいだな。」
頭を掻いて苦笑いしながら、岡田が恥ずかしそうに言った。どうやら俺と同じ気持ちだったようだ。
「張飛さん呼んでくるか?」
山下、それは色々とマズいだろう。
「ちょっとそこの3人。自分達だけで何勝手に盛り上がっちゃってるのかな?」
前触れもなく、背後からいきなり声が掛けられた。まるで気配を感じられなかった。
俺達はギョッとして振り向いた。
振り向いた先には、礼拝堂の入り口の扉にもたれ掛かった根津が、俺達を見ながらニヤニヤと笑っていた。
背中が少々寒くなる。直ぐに分かった。根津の奴、顔は笑ってるがこれは滅茶苦茶怒ってるな。
「あたし達はぁ 親友じゃないのかなぁ~? 一緒じゃないのかな~? ねえ、どうなのかな~。」
根津が一切気配を立てないままにじり寄ってきた。一体何処でそんな技術を身に付けてきたんだろう。ちょっと怖い。
俺は近付いてきた根津の肩に手を置くと、何食わぬ顔で言い切った。
「分かってる。勿論、女子の3人も同じだよ。俺の何よりも大切な仲間だし、ずっと一緒だ。」
なんだか誤魔化すような感じになってしまったが、急に出てきた根津が悪い。たぶん。その気持ちには嘘は無いからな。
「ふ、ふ~ん。分かればいいのよ。分かれば。」
そう言うと、根津は照れたようにソッポを向いた。どうにか機嫌を直してくれたようだ。
「さて、方針は決まったことだし、兵舎に戻るか。」
と言うワケで。最後は何だか冴えない感じになってしまったが、其処で解散となった。俺達は兵舎に戻って、粗末な寝台に潜り込んだ。
その後、改めて会見した俺達が頼み込むと、ラーファさんは二人が試練を受けることをあっさり了承してくれた。というか、二人がそのように動くことは彼女の想定の内だったようだ。
そして更に1月後。俺達3人は、とある建物の地下に居た。来る時に目隠しをされたので正確な場所は良く分からないが、俺の推測ではどうやら此処は王城の地下のようだ。
誘いに乗ってから随分日が経ったが、3人分の騎士の試練の準備には少なくともそのくらいの時間は掛かるらしい。
「では始めるとしようか。」
付き添いなのか、或いは監視なのか。
俺達と一緒に此処まで来たラーファさんが、試練の開始を宣言した。




