(閑話2)
俺の名は才賀 光騎。中学3年の悩める男子だ。
俺には人より持って生まれたものが数多くあった。祖父はメガバンクの頭取で、父親は製薬会社の取締役である。容姿はテレビや雑誌で脚光を浴びるモデルや俳優にも全く引けは取らないし、運動神経や学力もそれなりのモノを持っていると自負している。大きな声では言わないが女性にもモテる。色々あって一時女性不信になった程だ。だが、どれだけモテても浮気は一度もしたことは無い。
小学生からの進学の際、俺は両親や親戚から名門の私立中学への進学を勧められたが、固辞してそのまま地元の公立中学へ進学した。数多くの友人達と離れたくなかったからだ。そして俺が中学生となり、当時の彼女や友人達から勧誘されて何となく始めたサッカーだったのだが、気が付くと1年生の半ばで部活の先輩たちは誰も俺のドリブルを止められなくなり、あっという間に他校にも俺の名が知られるようになっていた。
全中トーナメント準決勝。スコア2ー2で迎えた後半28分。試合終盤にも関わらず信じられないスピードで切り返したあいつに対して、疲労で鉛のように重くなった俺の脚は、意思に従って反応してはくれなかった。
俺は無様に倒れ、あいつが振り抜いたボールは綺麗にゴールに吸い込まれていった。
上には上がいる。現実を思い知らされた俺の中で、サッカーへの情熱が急速に冷めていった。ユースや強豪校からの熱烈なスカウトも煩わしく感じるようになってしまった。幸い、俺は学校の成績も常に上位5位以内をキープしている。今更ながら、受験による進学も視野に入れてみようか。
そんなことを考えていた矢先、ソレは起きた。
あの日、クラスメイトの喧嘩を仲裁し、教室で弁当を食べた後に伊集院達と雑談をしながら進路のことを考えていると、強烈な悪寒と耳鳴りがして俺は意識を失った。
気が付くと、俺は暗闇の中に居た。一体何が起きた!?
未だに頭に残る耳鳴りの余韻で、意識がハッキリしない俺に誰かが声を掛けて来た。
「おおい。大丈夫か。痛い所とかは無いか。」
うん?これはクラスメイトの加藤か。彼は普段あまり目立たない男子だが、偶に撥ねっ返ることがある。そういえば、さっきも危うく喧嘩しそうになるのを仲裁したな。
俺は加藤の声に応じた後、周りの状況を確認する。石でできた部屋?どうしてこんなところに。まさか誘拐か何かだろうか。頭の中が不安で満たされる。
その後、周りの生徒たちが起きるのを待ち、先生が点呼を取ると、この部屋には総勢39名もの人が居ることが分かった。女子も大勢いる。そうだ。怯えてる場合じゃない。俺がしっかりしなくては。
ずっと待機したままでは手詰まりなので、俺達は真っ暗な石室から外へ出ることにした。外は夜であった。そして、空を見上げた俺は驚愕した。普段見慣れていた夜空とはまるで別物の星空。月が二つある。ありえない。知らず発した声が震えた。
クラスメイトの岡田の声が耳に入った。異世界転移?そんなバカげたことが。
・・・俺達はこれからどうなってしまうんだろうか。
翌朝、俺達は元居た石室を調べたが、結局何も見つけることが出来なかったので、食料と水を探すことになった。救助を求める声も上がったが、スマホの電波は通じないし、昨夜の出来事もあり、正直期待できそうにない。
その後、石室で俺を起こしてくれた加藤達とグループを組んで森に入った俺たちは、ヤモリのような不気味な生物を捕獲したが、直後に一緒に居た女子の新垣が足を挫いてしまった為、石室があった元の場所に戻ることにした。彼女は消え入りそうな声で謝罪し、悄然としていた。
無理もない。突然こんな異常事態に巻き込まれて、危険な森の探索に駆り出されて。泣いたり錯乱したりすることの無い彼女は寧ろとても気丈だ。俺は彼女を背負い、出来る限り励ましながら皆の待つ拠点へ戻った。
その晩。早速事件が起きた。俺達と同様に森に入ったクラスメイトの伊集院のグループが、夜になっても帰って来なかったのだ。糞。何てことだ。今直ぐにでも此処から飛び出してあいつらを助けに行きたい。でも、この暗闇では余りに危険すぎる。
深刻な話し合いの結果、夜が明けたら皆で伊集院達を探すことになった。だがその時、それに待ったを掛ける男が居た。
「俺は・・・探すべきじゃないと思う。」
この事件に巻き込まれて以来、何かと絡むことが多い加藤だった。
俺は怒りでカッとなった。有り得ない。こいつはクラスの友達を見捨てろって言うのか。何て冷酷な奴だ。
俺は思わず加藤を怒鳴り付けそうになったが、その前にキレた人物がいた。伊集院の彼女の香取だ。怒り狂う香取に責められた加藤はしどろもどろになって何やら言い訳をしていたが、誰かに後ろから蹴られて倒れていた。
俺はそのまま放置してやろうかと思ったが、このままでは埒が明かない。怒りの声を上げる皆を止めて、改めて夜が明けてから伊集院達を探すことにした。加藤には罰として夜の間の見張りを命じておいた。
翌朝。嬉しい出来事が起きる。伊集院達が無事に帰ってきたのだ。しかも、何と川まで見つけてきたらしい。だが、俺にはそんなことより皆が無事だったことが本当に嬉しかった。よかった。
川の水で水分補給をして落ち着いた俺は、昨夜の出来事を思い出した。冷静に思い返してみると、加藤は飲料水の重要性を訴えていただけで、何も伊集院達を見捨てようとしてたわけじゃない。昨夜は俺も冷静じゃなかった。加藤には悪いことをしたな。
俺は加藤に謝罪した。そして、すんなり仲直り出来た。彼はあまり気にしていない様子だった。
それからの俺たちは、とにかく食料調達に奔走することになったのだが、どうも加藤が他のクラスメイトに嫌がらせを受けているようだ。
俺が見ている範囲では何も無いのだが、目の届かない所で色々やられているようだ。俺はその行為を積極的には止めなかった。もしかすると、あの晩のわだかまりがまだ残っていたのかもしれない。森の探索の時も、彼は独りだった。俺は彼に一緒に行こうと声を掛けようとしたが、その前に女子達に囲まれてしまった。
そしてある晩。加藤は食当たりを起こして寝込んでしまった。その前に、誰かが盛り付けた夕食を食べていたが、まさか・・・ね。
その後、丸一日寝込んでいた加藤だったが、割と直ぐに回復したようだ。軽傷で良かった。ノロウイルスやサルモネラ菌ならこんなものじゃ済まなかっただろう。
だが、その晩俺は加藤にこっそりと呼び出され、この拠点から出ていくと告げられた。俺は今の加藤が置かれた状況を考える。反対は出来なかった。それに、加藤が追い詰められてしまった責任は俺にもあるだろう・・。
加藤は後のことを俺に託すと、その時同行を願い出たクラスメイトののぶさんを連れて、さっさと拠点を出て行ってしまった。こんな状況にも拘らず、何故か彼のことはあまり心配にならなかった。今まであまり仲が良かったわけではないが、絡んでみると見かけによらず色々な意味でタフな男だった。
翌朝、事故や不測の事態ではないことをそれとなく匂わせつつ、俺は加藤達が居なくなった事を皆に告げた。
だが先生方も含めて、皆の反応は冷めたものであった。伊集院の時とは打って変わって、誰も探そうなどとは言い出さなかった。冷笑しているクラスメイトも居た。
俺は、特に吉田先生と吉岡先生に不信感を抱いた。加藤に頼まれたので言葉を選んだ言い回しにしたとはいえ、生徒二人の行方が分からなくなったのに教師がそんなことで良いのだろうか・・。
加藤達が拠点から去った後、改めて俺達は過酷なサバイバル生活を始めた。だが、状況が悪化するのにさしたる時間は掛からなかった。
「おいっ!これは俺のモンだぞ。返せよボケッ!」
「俺が先に見付けたんだぞゴラ!ぶっ殺すぞゴガアア!」
拠点の外で激しく言い争う声と、取っ組み合いの音が聞こえてくる。俺は一つ溜息をついて、激しく揉み合う二人の元へ向かった。
俺達がこの世界に飛ばされて2週間程が過ぎた。
生徒同士が争う光景も日常茶飯事となってしまった。37名もの人間がまともに生活しようとすれば、必要な生活物資は膨大なものとなる。皆で必死に拠点の周囲を探索してはいるけれど、俺達がこの場所で調達できる物資ではまるで足りなかった。
幸い、川が近くにあるので水に困ることは無かったが、飲料水は毎回煮沸できるような量を汲みだすことも火にかけることも出来無い為、川の側に粗末な濾過装置を設置してそのまま飲むしかなかった。何名かは腹を下して度々苦しむことになった。
トイレについても、始めは男女それぞれ共同で穴を掘って設置したのだが、直ぐに汚物で溢れることになった。地面に穴を掘るのはかなりの重労働なので、いつしか適当な場所を決めて、そのままそこで適当に排泄をすることになった。俺たちはどんどん薄汚れ、身体からは悪臭を放つようになっていった。
俺達は連日森に入って食料を探し回ったが、必要な分にはまるで足りない。時には見慣れぬ虫や蚯蚓などが食卓に登ったが、殆どの女子達は食べようとはしなかった。また、森の中では小型の野生動物に襲われ、怪我をする男子も出てきた。今の所大事には至っていないが、今後どうなるかは分かったものではない。
俺は加藤を真似て、投石によりしばしば小動物を捕まえることが出来た。女子達には喜んでもらえた。だが、自分達は解体をあまりやろうとしない上に小動物の肉を自分らに優先して虫や蚯蚓、蝙蝠などには決して手を付けようとしない女子達に、男子の不満が噴出していった。
ほんの数週間前まで普通に学生生活をしていたのに、こんな見知らぬ場所でいきなり自給自足させられた上に、昆虫や蚯蚓を食えなんていくらなんでも彼女らには酷だろう。俺は必死で男子達を宥めた。幸い、食料調達で一番活躍していたのは俺なので、皆渋々言うことを聞いてくれた。
二人の先生は始めこそ皆を引率していたが、次第に無気力に拠点に籠ることが多くなってゆき、生徒たちから役立たずの烙印を押されるようになっていた。特に吉岡先生は、少々精神に変調を来しているのか頻繁に弱気な発言を繰り返し、不明瞭な言動が多くなってきた。
俺達は飢えはじめ、精神はささくれ立ち、些細なことで衝突するようになっていった。女子達は次第に固まって過ごすようになり、男子たちを遠ざけるようになった。彼女らの話を聞くと、男子たちから次第に異常な目つきで見られる事が増えてきたとのこと。
このような状況だから同情すべき点はあるにせよ、他の男子には厳しく釘を刺しておかないといけないな。女子達は俺には気を許してくれるようで、最近は俺を仲介して男女が話すことが多くなってしまった。
最初の犠牲者が出たのは、俺達がここに来てから3週間程経った時だった。川の下流の水溜まりに魚影らしきものを見つけたクラスメイトの田中が、思わず中に飛び込んでしまったのだ。結局何も捕まえられず濡れネズミで拠点に戻った田中だったが、急激に身体が冷えたせいか翌朝から高熱を発して倒れてしまった。抗生物質も何もない俺達には何もできなかった。先生も唯見ているだけだった。
2日間苦み続けた田中は、ある日の朝あっさりと息を引き取った。人間てこんなにあっさりと死ぬんだ。俺にはどうしても現実感が湧かなかった。田中の死体は拠点の近くに埋めた。田中を埋葬する間、皆無言で作業をしていた。
それからの俺達は、雪崩を打つように崩壊していった。
ある日、女子の一人が森の様子を見に行くと、副担任の吉岡先生が木の蔓に首を掛け、自ら命を絶っていた。無論俺たちはショックを受けたが、それ以上に吉田先生にとって衝撃だったようで、それ以来、俺達が先生に呼びかけてもあまり返事が来なくなってしまった。先生は独りで虚ろな目で何事かを呟いていることが多くなった。
クラスのムードメーカーであった伊集院は連日荒んで、他のクラスメイトに暴力を振るっていた。ある日、伊集院の彼女の香取が転移に巻き込まれた他のクラスの男子に襲われた。俺が駆け付けた時には、伊集院は馬乗りになって加害者の男子を殴り続けており、その顔は最早原形を留めていなかった。その男子は、その後間もなく息を引き取った。
伊集院と香取はその晩、拠点から姿を消した。
その後もひっそりと拠点から姿を消したり、飢えや怪我が元で力尽きたり、野生動物に襲われたりした結果、俺たちは櫛の歯の欠けるように次々と数を減らしていった。吉田先生も吉岡先生の後を追うように亡くなってしまった。俺たちは、次第に死者をきちんと埋葬する気力も体力も失っていき、適当に土を被せて粗末な墓標を作ることしか出来なくなっていった。
そして、最近では警戒して拠点にあまり近づいて来なかった野生動物の姿を頻繁に目撃するようになっていた。
俺達がこの世界に飛ばされてから一月余り。
初め39名居た俺達の生き残りは、僅か12名までに減っていた。
俺は拠点の壁に背中を預け、ボンヤリと地面を眺めていた。今日は食料を探しに行く気力も湧いてこなかった。俺達はこのまま死ぬんだろうか。
ふと俺の視界が暗くなった。訝しんで顔を上げると、目の前にクラスメイトの綾瀬が立っていた。元々、長身で整った顔立ちの彼女は男子達に人気があったが、艶やかだった長い髪はボサボサで顔は薄汚れ、頬はコケて見る影も無かった。
俺は黙って彼女の目を見ていると、彼女は何かを差し出した。
差し出された物を見て俺は目を見開いた。彼女の手のひらには飴があった。貴重な糖分である。だが、すぐに冷静さを取り戻した俺は、彼女の手を押し戻そうとした。
「受け取れないよ。これは君が・・。」
「あたしは多分もう駄目みたい。でも才賀くんには生きていてほしい。だから。」
「綾瀬・・・。」
彼女は強引に俺の手に飴を掴ませると、フラつきながら俺の前から去って行った。
そしてその日の夜、彼女は拠点から姿を消した。
次の日、俺は綾瀬から貰った飴を口に含みながら今後の事を考えていた。最近よく思い出すのはあの加藤の事だ。あんな状況にも関わらず、別れ際のあいつの目はギラギラと獰猛に輝いていた。生きることを微塵も諦める気なんて無い目だった。
・・・そうだよ。このまま何もかもを諦められるのか?
このまま何もできず、何もせず、何も手に入れることなく、唯飢えて無意味に死んでいくのかよ。
そんなことで自分を許せるのか?自分の生き様に対して胸を張れるのか?そして、死んでいった人達に申し訳が立つのか?
無理だろ。
俺は拳を握りしめた。加藤の目が、俺の心に火を灯した。綾瀬から貰った飴が、俺の身体に活力をくれた。
俺は決断した。
俺は生き残った11人のうち、俺を含めて7名を選抜した。そして、他の6名を集めて宣言した。
「このまま此処に留まっても、俺たちは早晩全滅するだろう。ならば一か八か。此処を離れて新天地を目指そうと思う。」
「でも却って危険じゃないか?むしろここを離れたほうが早く死ぬかもしれねえぞ。」
山下が異論を挟んできた。こいつも痩せて随分見た目が変わってしまったな。
「危険は承知だ。だが俺は、僅かでも生き残る可能性に賭けたい。」
俺は山下の目を見て答えた。果たして俺に付いてきてくれるだろうか。
「でも・・ここに居ない4人はどうするの?まさか置いていく気?」
小柄で要領の良い根津が、俺の宣言に疑問を呈した。
正直な気持ち、全員を連れていきたい。だが選抜した以外の4名は、恐らく体力的にも気力的にももう長距離の移動には耐えられまい。
俺たちの命も、もはや風前の灯火。救助は絶望。躊躇っている時間も体力ももはや無いのだ。例え罵られようと、蔑まれようとも生き伸びる為には今、動くしかない。
「滅茶苦茶辛いけど・・・そう決めた。いくらでも俺を責めて構わない。勿論付いてくることを強制なんてしない。嫌だと思うなら此処に残るのもまた一つの選択肢だろう。だが、もし俺と一緒に生き残る可能性に賭ける気持ちがあるなら、どうか俺に付いてきて欲しい。」
俺は此処にいる皆に深く頭を下げた。そして、彼らは暫く時間が欲しいと俺に頼んできたので、半日ほど考える猶予を与えることにした。
結局、俺達7名はこの拠点を離れることに決めた。残る4名に対しては、一人一人事情を説明し、その手を取って頭を下げた。彼らも何となく己の命運を悟っていたのだろうか。特に俺達を責めることもなく了承してくれた。
そして数日後。俺たちは身の回りの物資で旅の支度を整えると、拠点の入口に集まった。居残る4名の為に、出来る限りの食料は拠点に置いておいた。
「一応改めて聞くが、俺たちは何処を目指すんだ?」
何度も打ち合わせたことだが、改めて山下が聞いてきた。
「まずは川の下流を目指す。そして人里を探しつつ、定住に適した土地も探す。人間がどこかに定住しているとしたら、どこか河川の流域だろうからな。」
「分かった。俺たちはお前に付いて行くぜ。キャプテン。」
山下は、まるでサッカーの試合の時のように俺に声を掛けて来た。僅か数か月経っただけなのに、酷く懐かしい気持ちになった。
痩せこけて不精髭を生やし、すっかり人相が変わってしまった岡田が頷いた。彼は何時からか異世界や勇者などと一言も口にしなくなっていた。
「じゃあ皆出発するぞ。生きる為に。」
俺達は残る4名に見送られ、新天地を目指す旅に出た。




